ごくごく短めの博物館見物の後は、フェゴ国立公園入口近くのレストランで昼食。仕切りの奥で丸焼きにしていた羊が骨付きでどっさりとでて来た、牧場のガウチョたちが三度々々食べるというアサドのようだ。脂身が少なく臭みもあまり感じられないので結構、食が進む。

3つほど離れたテーブルに10人ほどの日本人らしきグループが黙々と食事をしている。ウスアイアでは日本人を見かけたことがないので、後でガイドさんらしき女性に声をかけてみると個人旅行のグループだそうだ。ブエノスアイレスにそれぞれ個人で集まり、日本語のガイドでパタゴニアにやって来ているのだと言う。格安の航空券が手に入れば、パタゴニア旅行も言葉に不自由することなく、気軽に出かけられる手があるようだ。

世界の果て鉄道

この世界の果て鉄道でも、日本語のそれも、かなり詳しいリーフレットが用意されていて実に有り難い、日本人の観光客がそれほど多いということらしい。

鉄道は、元々はウスアイアの刑務所の建設のため伐採した木材を運ぶために造られたが、刑務所の完成後も、‘囚人列車’あるいは‘樵列車’と呼ばれ刑務所の暖房や市民のため電気をおこすために木材の運搬は続けられた。

リーフレットによると、刑務所から毎朝2本の列車が出発する。1番目には20人の囚人たちが乗り、材木を積んで線路を進める作業をした。2番目の列車は午前7時に出発、90人の囚人と銃を持った30人の看守が乗っていた。

冬の氷点下になる厳しい季節も、雨や雪、冷たい風の日も、薄い囚人服を着て、1日の作業で約700本の木を切り、薪にする重労働であったが、囚人たちは刑務所に残るよりも列車に乗るほうを好んだと言う。

路線は切り倒す木を求めて総延長25kmに伸びていたが、現在、そのうちの7kmが復元され、観光列車が走っている。
リーフレットに目を通していると、列車が動き出した。軌道幅600mmの小型機関車ながら5両の客車を引っ張って元気に出発する。

走り出してすぐに、蛇行するピポ川の岸辺に枯れ木が散乱し、平地のあちこちに切り株が見えてくる。反対側の山の斜面にも切り株が散らばっていて、ちょっと異様な光景である。

10分ほど走ったところのマカレマ駅で列車がストップ、15分ほど停車するとアナウンスがある。山側の遊歩道を少し上っていくと小さなマカレマ滝がある。かって、囚人列車はこの滝で蒸気機関車に水を補給していたと言う。

駅に戻ってピポ川の方を見ると大きな南極ブナの中ほどに黄色でボールのような花(?)が見える。列車のガイドさんが‘FAROLITTO CHINO’と書き、身振り手振りで説明してくれて‘中国のランタン’と言われるものだと分かった。花ではなく枝の小さい先がもじゃもじゃと丸くなっているらしい。遊歩道を左手に下ってピポ川のほうに行くとヤマナ族の小屋を再現したものがあるらしいが、時間がない。

出発進行、車窓に広がるのは青い空に白い雲、遠くに山々が連なり、目の前にはピポ川のせせらぎがある、まさに絵に描いたような牧歌的な光景がある、が、切り株の数がだんだんと増えてきた。完全に木々が切られた地帯もあり、まさに‘木の墓場’と呼ばれるのも肯ける。切り株をよく見ると、背の高い切り株と低いものがある、低い切り株は夏に切られたもので、高いのは雪が深かったということのようだ。

やがて列車は南極ブナの木の原生林の中を抜けて行く、‘木の墓場’もかっては、こうしたブナの原生林に覆われていたに違いない。ブナは寒冷なパタゴニア南部では直径50cmに成長するのに100年もかかるらしいので、手あたりしだいに切って山を裸にしてしまうと、とりかえしがつかない。が、囚人たちに責任があるわけではない。