世界の果て博物館

元アルゼンチン銀行の支店だったそうだが、小さな博物館である。日本語のリーフレットをみると、先住民と冒険家のコーナーがメインで、フェゴ島の鳥のコレクションの展示室や監獄のコーナーなどがある。

先住民コーナー

ヨーロッパ人がやって来た時、フェゴ島にはヤマナ族、カワスカル族、オナ族やマネケンク族などの先住民が住んでいたが、そのうち主な部族であるヤマナ(ヤーガン)族とオナ(セルクナム)族の生活の様子が写真で紹介されている。

ヤマナ族はフェゴ島の南部からホーン岬で魚介類を糧にして、裸同然で暮らし、セルクナムは南東部で狩猟をし、グアナゴの毛皮で体を覆っていたようだ。重要な慣習として、若者が暗い小屋で霊と称されるものと向かい合うハインという通過儀礼も行われたらしい。

オナ族の女性3人が並んでいる写真を見ると、われわれ東洋人とよく似ているように思える。アジアのモンゴロイドが氷河期の末期にベーリング海峡渡り、1万2千年前頃にはアメリカ大陸を北から南へと大移動を始め、その一部が南米大陸の最南端まで達したと言われている。何万年もかけて途方無い旅の末に世界の果て、フェゴ島に辿り着いた先住民はわれわれと同じ祖先を持っているということなのだろうか。

もっとも、先住民はヨーロッパ人が持ち込んだ疫病と虐殺によって絶滅、ガイドさんによれば現在、生き残っているのは80才を越えた女性が唯1人いるらしい。

冒険家たち

ウスアイアを訪れた冒険家たちや起こった事柄を年代記風に並べ、その主なものがパネルで詳しく紹介されている。

イギリス福音教会伝道所

1830年の1回目のビーグル水道探検の際に、実はジミー・バトンなど4人のヤマナ族をイギリスに連れ去り、ダーウィンが乗船した1832年の2回目の調査では3人を故郷に返した(1人はイギリスで死んだ)のだと言う。キリスト教の伝道に役立つと思ったらしい。

このビーグル号の乗組員だったガーディナー大尉は海軍を退役して牧師となって、1848年に伝道所を作る目的でフェゴ島に赴いたが、先住民とうまく暮らすことが出来なかった。3年後に再びフェゴ諸島のピクトン島に上陸したが助けて貰えると思ったジミーなどに会えず、先住民の襲撃から逃れるためにフェゴ島のアギレ湾に向い、そこで飢えと寒さのなかで死んでいったそうだ。

モンテ・サーバント号

1927年に建造されたハンブルグ・スダメリカーナ社の2万トンの客船。1930年1月21日にウスアイアに投錨した。翌日、乗客はウスアイアの街と近郊を楽しみ、乗客1200人と乗組員350名をのせて、正午過ぎにはウスアイアを出航し、ブエノスアイレスに向かった。しかし、わずか数マイル走ったとろで、エクレルール付近の岩礁に乗り上げた。船首に亀裂が発生したので船が見放されたことは誰の目にも明らかであった。

ボートが降ろされ、乗組員とウエイターは乗客を岸に着けるためにオールを握った。そしてその日が終わる頃には、すべての乗客と乗員はホテルや教会、一般家庭に収容された。当時、ウスアイアの人口は800人ほどだったそうなので、大騒動が目に浮かぶようである。船は24時間以上漂流した後に転覆、沈没したという。

このほかパネルには、サン・セバチャンの虐殺で知られるラモン・リスタのフェゴ島東部の調査やサレジオ会の伝道所の設立などが語られている。

ヤマナ語辞書

壁際に、‘YAMANA – ENGLISH’と題されたページが開かれた本が置かれて、見開きにはトーマス・ブリッジス牧師の写真が載っている。写真をみると、ブリッジス師は幾多の風雪に耐えた強靭な精神の持ち主であることが読み取れる。
‘YAMANA – ENGLISH’はブリッジス牧師が3万2千語のヤマナ語を英語に翻訳した辞書である。

子共の頃、養父のデスパート牧師に連れられてフェゴ島にやって来た時には、ブリッジスはヤマナ族を習得して通訳のような役割もしていたらしい。その後、彼はヤマナ語が複雑な言語構造や語彙を持っていることが分かり、若くして、ヤマナ語の辞書をつくる決心をしたと言う。

辞書があればキリスト教の伝道にも役立つと考えたものと思われる。そうして、その後の生涯にわった途方も無い努力の末に、3万2千語のYAMANA – ENGLISH辞書が完成したということである。

彼の手書きの原稿は大英博物館が所蔵しており、活字のこの辞書は彼の子供が後をついで刊行しもののようだ。
なお、ヤーガンという言葉はトーマス・ブリッジスがヤーガという地名からをつくり出したのだそうだ。

遭難船の船首飾り

最後にと言うか、博物館らしい遺物の展示は、部屋の中央に天井から吊り下げられている船首飾りある。イギリスの帆船、DUCHESS OF ALBANY号のものだそうだ。

DUCHESS OF ALBANY号は1746t、リオデジャネイロからチリのヴァルパライソに向かう途中、フェゴ島の東南端のヴィンセント岬で、1893年7月13日に沈没した。フェゴ島からホーン岬にいたる海域は暴風雨が年中吹き荒ぶのでこの海域で、座礁、沈没した船は800隻にものぼると言う。

フェゴ島の野鳥

中央展示室の隣には、フェゴ島の野鳥の剥製が展示されている。180種以上のコレクションはフェゴ島の鳥では最大のものだと言う。なかでも、広げた羽根が3m近くありそうなハヤブサやいかにも獰猛そうなコンドルが圧巻である。