タンゴショー

カラファテをお昼に発って、ブエノス・アイレスに戻る。
夕食はタンゴディナーショーである。もともと、タンゴは貧しい人々が日々の生活の辛さを紛らわすために踊ったものと言われているが、美男美女が舞台で踊る洗練されたタンゴは観光客向のもので地元の人は見ないという。実際、ペアーのダンサーが踊った後、どうだと言わんばかりに見得を切る仕草は薄っぺらい感じである。

横の壁にチェ・ゲバラのポスターが貼ってあってちょっと場違いの感じであるが、アルゼンチン生まれの革命家がショーの劇場でも今なお人気がると思えば、何となくほっとした気分である。

ブエノス・アイレス市内観光

ブエノス・アイレス発が深夜便なので最終日も観光に使える。折角のパタゴニアツアーだし、大抵の人はイグアス見物でブエノス・アイレス市内観光は済ませているはずなので、カラファテから近いパイネ国立公園観光もありと思うのだが、アルゼンチン航空事情からタイトなスケジュールは組み難く、安全弁としてブエノス・アイレス市内観光を入れることが多いらしい。

そんなこんなで、お昼にホテルを出発、気温は32℃のうえ、むし暑い。冬からいきなり真夏に放り出された感じである。日系2世のガイドのおばさんが、この点を考慮したとは思えないがエビータの墓をちらっと見てレコレータ墓地の見物はお終い。

酔っ払いの木やジャカランダが美しい7月9日大通りを走って昼食に向かう。食べ物の恨みは怖いと言われるが、旅の良し悪しも食事が影響する。ことに最終日の食事が印象に残りやすい、で、ちょっと高級感のあるレストランで、メニューは日本人好みの生ハムにパエリア。

食後、5月広場で下車、ピンクの大統領府をカメラに収めて、大聖堂に向かう。
以前のツアーでは車窓観光であったが、今回は入場観光である。大聖堂の正面は一見、博物館を思わせ、12本並んでいる柱(12使徒?)の頭柱はアカンサスの上に渦巻き模様が載っているかのようである。

仏教徒にとっては、カソリック聖堂の玄関がどうなっていようと構わないのであって、大聖堂見物の関心はサン・マルティン将軍がここに葬られていることである。

南米を旅行すると、各地にサン・マルティンの名の付いたメインストリートや銅像の立っている広場がある。彼はアルゼンチン、チリ、ペルーなどスペインとの戦争を主導、シモン・ボリバルと並ぶ独立戦争の大立者なので南米各地で今なお人気があるということなのだろうか。後に、サン・マルティンはイギリスに亡命、1850年にフランスで失意のうちに亡くなっている。娘さんの死後、1880年にアルゼンチン海軍がフランスからアルゼンチンに遺骸を移送、ブエノス・アイレスの大聖堂に安置したという。

入口を入り、右手の側廊を少し進んだところにサン・マルティンの霊廟があり、兵士2人が警護している。アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女像が守るサン・マルティンを納めた黒い石棺にはアルゼンチン国旗が巻かれている。不遇の晩年を異郷で過ごしたサン・マルティンはしかるべく評価され、しるべき場所をえて安らかにに眠っているのだろうか。

再びバスに乗りコロン劇場で写真ストップの後、最後の観光地のボカ地区へ向かう。
カニミートでの長めのフリータイムは買い物タイムでもある。アルゼンチン代表のユニフォーム、マテ茶にチョコレレートで買い物は終了。

丁度、オープンカフェでお茶をしていたガイドに‘砂漠の征服作戦’で先住民を何万人殺したのかと訊ねたら、‘1万人か2万人くらい・・・・、よく知らない’と言ってそそくさと逃げだされてしまった。白人の国、アルゼンチンの成り立ちについて、疑問に思っていることの1つが先住民のジェノサイドなんだが・・・・

夕食は倉庫街がお洒落に再開発されたペルト・マデーロでイタリアン。
でもって、パタゴニアの旅はお仕舞い。80台半ばのお2人には大変お世話になりました。おかげで楽しい旅となりました、ありがとうございました。