マイバス観光の集合場所は三越前、ホテルから歩いて13~4分の距離だ。出発時間の8時少し前に着くと、20人ほど集まっている。ガイドさんは50代のおばさんで人数を確認して出発する。

ストーンヘンジ

ストーンヘンジはロンドンの南西約140km、ソールズベリ郊外にある巨石の遺跡。

ガイドおばさんの話はいきなりストーンヘンジの天文学で始まり、話の繋がりに脈略がなく分り難いが、整理し補足すると、今から5000年前頃、自然のなかに土俵のようなものを作ったのだそうだ、直径が86mで周りに溝を掘り土手道を周囲に巡らした円形の場所で、集会に利用されたらしい。

その後、円の内側に56の穴、オーベルホール(発掘した人の名前)が作られ、オーベルホールに重なるように4つのステーションストーンが置かれた。

このオーベルホールで月の満ち欠けを調べ、食の計算が出来て、天体観測として使われたのではないかという説がある。また、ステーションストーンを結ぶと長方形になり、北の線は月が沈む点と一致し、月がのぼる点は南の線で一致するという研究もあるらしい。

この後、ガイドおばさんの話は巨石のサークルや3石塔と続くが、百聞は一見にしかず、現物をみれば分かるだろうと決めて、うとうとする。
トイレ休憩もいれて2時間半あまり走ると、畑の真ん中に石のかたまりが見えてくる。

入口で日本語の音声ガイド借りて地下道をくぐると、目の前にストーンヘンジの遺跡がある。直径が30mくらいのなので、正直なところ、ストーンヘンジってこれだけなのと言った感じである。

音声ガイドによるとストーンヘンジは3つの段階を経ていて、最初は約5000年前で、ガイドおばさんが説明していたもので、4600年前の第2段階では木の構造物が加えられたが、形、規模などは分かっていない。

最終段階はウェールズの山から運んできたブルーストーンや近くの丘陵地から持ってきたサーセン石で石の構造物を造ったと言われ4500年から4000年前のことである。

現在残っているストーンヘンジの姿はその廃墟なのだそうだ。ブルーストーンを350kmも離れたところから持ってきたのは何故か、詳しいことは分かっていないとのこと。

石の構造物は、30個の巨大なサーセン石で直径30mの輪を造り、そのサークルの上に横石を載せたもの(うまく接合するように加工が施されている)と、この輪の内側に、2個の石を立て、その上に横石を載せる3石塔が馬蹄形に5つ配置される構造になっている。

馬蹄形の3石塔の内側に19個、外側に60個のブルーストーンが立てられていた。
30、5、19、60の数も月や星と関連があるとする研究があるようだ。

このストーンサークルの工事のための道にヒールストーンと言う石が置かれていて、ヒールストーンと馬蹄形の中心を結ぶ線上を夏至の日には太陽が昇るようになっているらしい。
誰が何のために造ったのかはっきりしていないが、ストーンヘンジの構造をみても宗教的なものであったと言えるようだ。

天文観測所という説については、イギリスにある他のストーンサークルを調べても、石は日の出、日没の方向を意識して配置しているが、概して石の配置は偶発的なもので、科学的意図に基づいているという考古学的な証拠はないと言うことらしい。

バース

さて、ストーンヘンジをあとにして、小さい道を北西に1時間ほど走るとバース着く。
バースは英語のBATHの語源になっているところで、イギリスで唯一温泉がでるところだ。地下7メートルのところにローマ時代の遺跡があり、その上に18世紀の町がそのまま残っていると言われている。

まず、バスでバース・アビやロイヤル・クレッセントなどの観光スポットを回り、ローマン・バスの見学となる。いくつもの浴場の他にプールやサウナもあり、さらにミネルヴァ神殿も併せ持っていて、さすがローマ人の大浴場という感じである。ローマ帝国の各地から人々が訪れる一大保養地となっていたらしい。

このあと、昼食を兼ねた1時間半のフリータイムとなる。貰った地図をたよりに街をぶらぶらし、客が大勢は入っているレストランを見つけてサンドウィチとサラダにジュースの昼食をとる。

3時20に集合し、ロンドンに向けて出発、三越前に6時前に着く。
ピカデリー広場に近いスーパーに夕食を物色しに入ると、父の日を忘れないようにと書いたプラカードが架かっている、イギリスも父の日を設けて商売に励んでいるようだ。

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