ミュンヘン~ドレスデン

ミュンヘン、10時47分発のICEだが、7分遅れでライプッチッヒに向けて出発、ドレスデンまで7時間の旅なので1等車を奮発している。
座席の背は革張風で硬い、ルフトハンザの席も同様であったが、ドイツ人は革張風が好きなのだろうか。

車窓はアウグスブルグ、ニュールンブルグなどバイエルンの広大な穀倉地帯がどこまでも続く感じである。
ドイツ国鉄のサイトから時刻表をアウトプットしているが、少しずつ遅れをとり戻しているようだ。

バンベルグという駅で日本人のビジネスマンが前の席に乗り込んできて、急に暑くなったことやコンフェデカップ、高原のことなど話す。ベルリンに行くのかと聞いたらライプッチッヒに行くとのこと、ライプッチッヒにはポルシェやBMWなどがあってビジネスも盛んなようだ。

ライプッチッヒが近づく頃には遅れはほとんど取り戻したようだが、駅の入口付近で停まって動かなくなる、乗換え時間が6分しかないし、プラットフォームの番線も離れている。同じようにドレスデンに行くイギリス人とドアーの前でいらいらしたりしたが、なんとか接続に間に合う。

ライプッチッヒからドレデンへはREと言う地域間急行で、ICEより格が落ち日本からでは座席の予約は出来ないと言われたが、なるほど、1等の席も2等と同じ車両に、同じ座席が10席ほど区切られているだけだ。

ドレスデンが近づいてきて、前の席の人にドレスデン中央駅で降りるのだがと聞くと、次の駅で降りなさい、自分も降りると言われる。

プラットフォームを出て、ホテルは駅の裏手で、すぐ近くにある筈だと見回すが、どうも様子が違うようだ。駅の係員にホテルの地図を見せると、ここはドレスデン新駅で、中央駅は2つ先だと言われる。

電車やバスに乗った時にはよっぽど自信がある時以外は行き先が正しいかどうか、近くの乗客に確認することにしているのだが、セントラル・ステーションの発音が悪いのか、町の中心と誤解されたようだ。こうした失敗はあまりないが、これも旅の楽しみの一つだと思っている。

ドレスデン観光

予定より遅れて6時にチェックインし、日没は何時頃かと聞くと、10時でも明るいよと言われ、明日の観光の下見に出かける。

中央駅から10分ほど歩くともう旧市街地で、アルトマルクト広場に着く。広場の右手に文化会館。少し奥に聖十字架教会がある、少年合唱団で有名なのだそうだ。隣には新市庁舎。
さらに少し進み、レジデンツ宮殿の中央門館(ゲオルゲン・バウ)をくぐると宮殿広場に出る。

広場はエルベ川を背に宮廷教会ホーフキルフェ、レジデンツ宮殿や旧ザクセン州議会などに囲まれている。教会の裏手にはテアター・プラッツ広場を挟んでオペラ座とツヴィンガー宮殿があり、このあたりがザクセンの都の心臓部のようだ。

これらの建物は第2次世界大戦では勝敗がすでに決していた1945年2月13、14日に連合軍が見せしめのために徹底な破壊を行ったと言われている。
エルベ川沿いのブリュールのテラスに上り、クルーズ船を見ながらしばらく休息し、君主の行列、アルベルティーヌム、フラウエン教会、オペラ座、ツヴィンガー宮殿などを見て回る。

レジデンツ宮殿

ザクセン選定公、後にポーランド国王も輩出したヴェッティン王家の居城。
ゲオルク長髪王の居館として16世紀の初めに建てられたゲオルゲン・バウが最初にルネッサンス装飾も美しく修復されている。

往時の姿そのままのように黒ずんでみえるのはザクセン産の砂岩が鉄分を含んでいるためらしい。高さ100mの塔ハウスマンス・トゥルムを持つ西翼館周辺のパレスや館など、すべての再建は来年の予定となっている。

宮廷教会ホーフキルフェ

この宮廷教会は18世紀半ばにアウグスト2世によって建てられたが、プロテスタントがほとんどのザクセンの地にカトリック教会をつくるには国王といえども秘密裡に建設準備をし、完成後も非公認扱いとされたらしい。

もっとも、父親のアウグスト1世がカトリックに改宗したのはポーランド王になるための単なる手段であったと言われ、プロテスタントとの妥協もさほど心が痛まなかったのかもしれない。

高さ83m、透かし造りの塔。欄干には78体の聖者像が並ぶバロック様式の教会は壮大で、ザクセン最大のカトリック教会である。

フラウエン教会

近くにあるフラウエン教会は、プロテスタント市民のための教会として、また王のカトリックへの改宗に対する反対の意思表示として建設されたといわれている。

直径24mのドームを持つこの教会はバロック様式の美しい教会として世界に知られていたが、連合軍の爆撃で壊滅してしまった。

戦争の悲惨さを伝えるために永い間、廃墟のまま残されていたが、瓦礫の山から破片を集めパズルのような再建が1994年から続けられ来年には美しい姿が再現されることになっている。