ツアーもあっという間に終わりが近づき、観光は今日が最終日で明日はケープタウンを発って帰国の予定となっている。

8時過ぎにホテルを出発、添乗員が心配していた天気も快晴である。ちょっと意外なことだが、ケープタウンは地中海性気候に属しているおり、 他の南部アフリカ地域がこの時期には乾季となるのに対して、移動性低気圧により雨が多くなるらしい。事実、ガイドさんによれば、今日は14日ぶりの快晴なんだそうだ。

そのガイドさんだが、日本で7年間も生活したことがあるとかで日本語がペラペラである。 大分に留学していたと聞いて、なんで大分なのと皆がいぶかっていると、理由は簡単で受け入れてくれたのが大分だけだったとか。で、名前はズレッテさん、イーデス・ハンソン似の美人である。

今日の観光予定やウオーターフロントでのフリータイムなどの説明を聞いている間にバスは市街地を抜けて坂道を上り始めると正面にデビルズ・ピーク、そして右手にテーブルマウンテンの絶壁が見えてきた。ギアナ高地のロライマ山を見た時とはちょっと違うなと思案してうちに地上駅に着く。
バスを降りると、地元紙の記者とカメラマンが寄ってきて取材をしたいと言ってきた。ガイドさんが旅程を説明し、2~3人がケープタウンの感想を語った後、全員でカメラに収まる、なんでも明日の朝刊に載せるらしい。

ロープウェイの始発は8時半、10分以上時間があるのでデビルズ・ピークやラインズヘッドなど周りの写真を撮っているとロープウェイの説明板があった。
それによると、①ケーブル駅(ここではロープウェイとは言わずにケーブル・カーと言っている)の標高は363m、②テーブルマウンテンの1番高い所は1085m、③ロープの長さは1200m、④ケーブル・カーの定員は65名、⑤ケーブル・カーの最高速度は秒速10m、⑥4000リットルの水をゴンドラの底に積んで、頂上への飲み水を運んでおり、風が強い時にはゴンドラの揺れを防ぐ重しの役目にもなっている、などなど。

ケーブル・カーが昇り始めると、床がゆっくりと回転を始めた。ゴンドラのどの位置に立っていても、周囲すべての景色を眺められるように工夫されているわけだ。絶壁そのものの高さは400mくらいだろうか、間じかに見ると岩がぼろぼろで今にも崩れそうなところがあちこちにある。4分ほどで頂上駅に到着、頂上は幅3kmほどで岩がごろごろして全体にごつごつした感じである。

眼下に広がるケープタウンの絶景をしばらく眺めた後、ガイドさんの説明を聞きながら遊歩道を散策する。あちこちに設けられたビュー・ポイントには、眺める方向の景色の説明がついていて分かり易い。
ライオンズヘッドを背景にした絶景ポイントで、われらの美女2人の写真を撮らせて貰う。

遊歩道沿いにはテーブルマウンテンやケープ半島の模型、テーブルマウンテンに生息する動物や独自の植物、テーブルマウンテンの色々な呼び方、テーブルクロスと言われる現象、ケープ半島での遭難の歴史やテーブルマウンテンの岩石などについての説明板も取り付けられていて親切である。

テーブルマウンテン??

その岩石についての説明は、‘4億6千万年もの昔、北方から流れてくる大河が、当時この地に存在していた広大な海岸沿いの平原に泥、砂利、小石など運んできて堆積し、次の1億年の間にはその堆積は数千メートルの厚みになっていった。
その後、堆積の圧力と気温が高くなるに従って、粗い砂と小石は何層にも重り、徐々に結合、固まっていき極めて硬いテーブルマウンテン砂岩になっていった。
現在、われわれの目の前に聳えている切り立たった険しい地形はこの硬質砂岩が侵食に抵抗してきた証であり、より軟らかなマルムズベリー層からなっているシグナルヒルの滑らかな風景とは明らかに様相が異なっている。
しかしながら、今でもこの岩山はゆっくりと雨風や地衣類などの浸食原因によって、ひとかけら、ひとかけらずつ削り取られており、1千万年もすればこのテーブルマウンテンは元の砂に戻ってしまうであろうと予想されている’
さらに、この説明板には、テーブルマウンテンはマルムズベリー層や花崗岩層の上に砂岩が乗った地質構造であることが分かり易く図解されている。

ケープ半島の模型をみると、ケープ半島はテーブルマウンテンを北端にして南に伸びているので、かって太古の昔(オルドビス紀?)に海岸沿いの平原に堆積された砂岩と花崗岩層が南方に伸びてケープ半島山脈を形成したように思われる。また、山頂からの眺めやテーブルマウンテンの模型などをみると、テーブルマウンテンの麓に広がる広大な裾野とその先のケープタウン市街は巨大な砂岩の山が侵食されて出来たものであることが一目瞭然であり、その侵食の残滓が東にデビルズ・ピーク、西にライオンズヘッドそして真ん中にテーブルマウンテンとして残っていると思われる。特にライオンズヘッドは消滅寸前のようであり、説明板に書かれているように‘1千万年もすればこのテーブルマウンテンは元の砂に戻ってしまうであろうと予想されている’のかも知れない。

テーブルマウンテンを最初に見た時、ロライマ山とはちょっと違うなと感じたのは、大きさにテーブルマウンテンとそのミニチュアくらいの差があることもあるが、片やはジャングルに覆われれた裾野から1000mの絶壁が聳え、赤黒く苔むしているのに対し、此方は瓦礫と雑草のなだらかなスロープであり、海岸沿いで侵食された絶壁は青白く見えることからきているようだ。

さて、ケープタウンのテーブルマウンテンの絶壁もギアナ高地のテーブルマウンテンのように周囲をぐるっと垂直な絶壁で囲まれているのだろうかと関心があったが、こちらのテーブルマウンテンの南西側にはケープ半島に続く12使徒と呼ばれる山々が連なっているし、西側や北も急斜面になっているが垂直な絶壁とは言えないようだ。どうやら、こちらのテーブルマウンテンはギアナ高地のように絶壁に囲まれたテーブルマウンテンではなく、垂直な絶壁と言えるのは東側の高さ400mほど斜面だけのようだ。

もう1つの関心は頂上がテーブルのように平たくなったのはどうしてだろうということであったが、素人のあてずっぽで言えば、この地域に砂岩が堆積されたのが4億6千万年も前のことなので、その後の何回かの氷河期に砂岩の上に氷河が堆積、その重さで砂岩の上部が平たくなったと考えたくなるのだが・・・・・

この後、ネルソン・マンデラが18年も獄中生活を過ごしたロベン島を眺めたり、遊歩道で遊んでいるケープハイラックス(イワダヌキの一種)を眺めたりして、テーブルマウンテン見物はお仕舞い。