昼食の後はフリータイム、ザンビア側のビクトリアフォールズ見物と象に乗ってサファリ見物の2つがオプショナルツアーとなっている。
ザンビア側のビクトリアの滝見物には、広島、千葉から参加のご夫婦、若い2人組と自分の7人、象に乗ってサファリ見物には岐阜の2人が参加することになっている。象には座る座席がついていないから、足をいっぱい広げて乗るんだよと皆にからかわれながらも2人は楽しそうだ。

一旦、ホテルに戻って20分ほど休憩、ビクトリアの滝見物組は2時前に出発する。ジンバブエとザンビアの国境はホテルから約10分、ジンバブエの出入国審査場でパスポートのチェックを受けて出国する。
緩衝地帯を進んでいるとビクトリアフォールズ橋が見えてくる、午前中の滝の見物で最後にたどり着いて虹を見たのはこの橋のたもとであった。
この橋はもともともとケープタウンとエジプトを繋ぐ鉄道網構想の一環として建設されたもので道路と鉄道の併用橋で鉄道が真ん中を通っている。現在では旅客列車は走っていないらしい。今、有名なのは橋の中央にある高さ110mのバンジージャンプである。

橋を渡るとすぐにザンビアの出入国審査場である。ビザ代US20ドルをパスポートに挟んでガイドさんに渡すと、すぐにパスポートにスタンプが押されて返ってくる、本人の確認など関係ないようだ。

ビクトリアの滝(ザンビア側)

‘Victoria Falls’と言っているのはジンバブエで、ザンビアでは‘Mosi-oa-Tunya’(モシ・オ・トゥニャ= 雷鳴とどろく水煙)である。
モシ・オ・トゥニャは原住民がこの滝に誇りと畏怖を込めて呼ぶ言葉であり、ビクトリアは単にイギリス女王の名前を付したに過ぎない。

土産物屋が5~6軒並ぶ公園の入口で、午前中と同じようにカッパに着替えサンダルを履いてビクトリアの滝の見物を始める。ザンビア側からはイースタン・キャタラクトとアームチェアー・フォールズ、遠くにはレインボー・ フォールズが見える筈である。

下り傾斜の遊歩道を進んでいくと、雨林の茂みの間からイースタン・キャタラクトが見えてきた。丁度、デビルズ・キャタラクトを最初に見た時と同じように斜め横からイースタン・キャタラクトの怒涛を見る格好である。

少し移動していると、滝の落ちぎわを同じ目線で捉えることが出来るビューポイントがある。このポイントではザンベジ川の流れが濁流となり轟音を響かせながら落下する様子が間近に見えるのでド迫力である。絶好のシャッターチャンスなので皆さんカメラにおさまる。で、穏やかに滝の見物が出来たのはここまで。遊歩道を進んでイースタン・キャタラクトの正面に近づくに連れて水しぶきが襲ってきはじめた。

イースタン・キャタラクトを真正面から見るには小さな橋を渡って‘Danger point’(ジンバウエ側の遊歩道のドン詰り、危険地点)の対岸まで行かなくてはいけないが、ちょっと怖そうと言うことでご夫人方2人が辞退、残りの5人と添乗員がガイドさんの後について行くことになった。
小さな橋はナイフ・エッジ・ブリッジと言い、長さは20mほど、水量の少ない時期にはイースタン・キャタラクトをすぐ目の前に見ることが出来、さらにほぼ一直線に連なる滝が望める絶好のスポットと言われているが、今は増水期、水しぶきと白い水煙でほとんど前方が見えない。足元に視線を落としてそろりそろりと進んでいると橋の下から吹き上がる水しぶきと横殴りの土砂降りが襲ってきて少し怖い。

向こう岸に渡ってガイドさんの後についてしばらく歩いていると‘Danger point’ の対岸とおぼしき所に着いた。最初の日の遊覧飛行で全体像は頭に入っているのだが、周囲全体が水煙に包まれているので‘Danger point’はおろか、イースタン・キャタラクトやアームチェアー・フォールズも轟音はすれど姿はみえずである。

滝の反対側を眺めると遠くにビクトリアフォールズ橋が見える。ガイドさんがバンジージャンプと言うので、よくみると橋の真ん中あたりでロープの先に人が垂れ下っているようだ。高所恐怖症の自分には想像も出来ないが、110mの高さの台に立たされると人はどんな気持ちになるのだろう。

これでビクトリアの滝の見物はお仕舞い、ナイフ・エッジ・ブリッジを引き返す時にせめて2~3枚でもと思ってシャッターを押していると台風なみの土砂降りが襲ってきてカメラが水浸しになった。(ホテルに帰って、カメラの電源を入れるとエラー表示となって作動しなくなった)

入国審査場でシングルビザ代US30ドルを払わされて、またジンバブエに入る。最初の日にビクトリアフォールズ空港でダブルビザ代US45ドルを払わされているのでジンバブエにUS75ドルも払ったことになる。天文学的なインフレで昨年の初めには100兆ジンバブエドルの紙幣を発行したりして、ついには自国通貨を断念してしまった国なので観光客のもたらすUSドルは貴重な外貨収入のようだ。

この後、近くの村を訪問、車窓から平屋の家並みを眺める。アダさんの話では村には旧地区と新地区があり、旧地区は借地だが、新地区はローンを払い終えれば自分のものになるそうだ。旧地区には粗末な家が多いいようだ。
野菜市場や衣料品、日用品が乱雑に積み上げられたマーケットを一回りした後、新地区の住宅を訪問する。
アダさんによれば、夫婦と子供4人が暮らす中流家庭なんだそうだが、入口を入ると右手にキッチンがあり、左側には4畳半ほどのダイニングと、その奥に10畳くらいのリビングがある。ダイニングとリビングの周りにベッドルームが3つ、と言うレイアウトである。親は共働きで、父親は我々が宿泊しているホテルのウエイターをしているそうだ。長男は高校生で19才、将来は法律家になりたいとのことだが、彼の希望は叶えられるのだろうか。
ホテル着は7時50分。