ボルダーズビーチのレストランでちょっと遅めの昼食の後、最後の観光地の喜望峰に向けて出発するとすぐに左手にゴルフコースが見えてくる。
ガイドさんによると、南アフリカの人々はゴルフ好きでゲーリー・プレーヤー、アーニー・エルスやグーセンなど世界的なゴルファーも出ており、国内にはゴルフコースが500以上もあるそうだ。(今年の全英オープンの優勝者も南アフリカのルイ・ウェストヘーゼンだった、BBCのアナウンサーが名前の発音を本人に確認したほどの無名に近いプレーヤーであったが、いずれ崩れれるだろうという期待に反して圧倒的なスコアで優勝をかっさらった)

彼女の旦那さんは高校の先生をしているが、雨降りでもゴルフ場の周りだけは雨は降らなかったと言い張るそうで、これがケープタウンのゴルファー気質なんだそうだ。

しばらく海岸線をドライブして、7750haという広大な喜望峰自然保護区に入り、岩がごろごろした草原を走る。途中、ガイドさんにバス・コダ・ガマの記念碑が見えますと教えられたが遠すぎてうまく撮れない。エランドがいますと言われてカメラを向ける、こちらはうまく撮れたようだ。

喜望峰

で、3時過ぎに喜望峰に到着。バスを降りるとそこは何の変哲もない岩場であり、振返って海を眺めると、波もなく穏やかである。少し期待はずれの感がしないでもないが、ポルトガル旅行の時に聞いた大航海時代のことを思うとちょっと感慨がある。

ポルトガルの船乗りたちはリスボンを出発し、テージョ川を下ってロカ岬に至ると、カモンスイの碑に‘ここに地果て、海始まる’と詠われているように、果つることなしと思わせる大西洋に向かってこぎ出し、生死の保証のない航海に乗り出したのである。
この喜望峰に最初の到達したのはバルトロメウ・ディアスと言う人である。嵐に遭って漂流し、アフリカ大陸最南端のアグラス岬よりも先まで到達した後、帰路に喜望峰を見つけたのが1488年5月だと言われている。
ディアスは当初、嵐に苦しめられたことから‘嵐の岬(Cabo Tormentoso)’と名付けたが、国王のジョアン2世がインドへの航路が開ける希望が出来たと喜んで、‘喜望峰(Cabo da Boa Esperanca)’と変更したのだそうだ。

ベレン地区にある‘発見のモニュメント’にはエンリケ王子を始め大航海時代に活躍した人達の像が彫られているが、ディアスも勿論このなかに登場している。

無駄話はこれくらいにして、アフリカ大陸最南西端 喜望峰の看板の後に立って我らご一行様の集合写真を添乗員に撮って貰い、喜望峰見物はお仕舞い。

ケープポイント

ケープ半島の先きっぽは喜望峰とケープポイントの2つの岬に分かれていて、バスで10分ほどの距離がある。ダチョウを見つけたり、ディアスの記念碑を眺めたりしているとケープポイントの観光センターに着く。
ケーブルカーがあるのだが故障しているとかで赤いちっちゃなバンでケーブルカーの終点まで上り、100段ほどの階段を昇ると頂上に着く。250mくらいの高さがあるので灯台があったが、今では展望台になっている。世界各地への距離が書いてある標識があり、ベイジンは12933kmとあるが東京がない。さては観光でも北京に抜かれたのかとひがみ根性がでるが、ガイドさんによれば以前には東京もあったが風で吹き飛ばされたでけです、と。
先ほどまでいた喜望峰を眺めたり、360度、真っ青の海を楽しんだ後、帰路は遊歩道を歩く。途中、山腹に作られた新しい灯台を見る、古い灯台は霧や雲に遮られて光がとどかないこともあって新しい灯台が造られたとガイドさんが言っていたが、もう一つ良く分からない。

この後、ケープタウンに戻り、ウオターフロントでフリータイムとなる。スーパーマーケットでハイボスティを土産に買い、皆さんとは別れてホテルのフロントで教えられたシーフード・レストランに行く。メニューの300gのロブスターのイメージがないのでもたもたしていると、現物をテーブルに持ってきて見せてくれる。
ちょっと小振りな気もするが、ロブスターセットにフレンチサラダとビールを追加してUS50ドル弱、お得な感じである。

で、世界遺産ビクトリアの滝・チョベ国立公園と南アフリカを巡る旅はお仕舞い。
連日の快晴、親切な皆さん、それになにより格安ツアーを提供してくれた旅行社に感謝、感謝。