シラーズ到着が4時、まだ日が高いので明日に予定されていたシラーズの市内観光を前倒しすることになる。

シラーズにはかってザンド朝の都が置かれ、世界的に有名な詩人、ハーフェズ、サアディーやアヴェル、ケルマーニを生んだ薔薇と詩人の街である。
ガイドさんによれば、現在はファールス州の州都で人口は約120万人、薔薇、糸杉、柚子、レモン、葡萄で知られ、革命前はワインの名産地であった。また美人の女性が多いいらしい。
5月には薔薇が咲き、街中に薔薇の匂いが漂うが、シラーズとエスファハンの中間にガムツァラという町があり、ここの薔薇を煮て作ったつゆで年に2回、メッカのカバー神殿を洗うのだそうだ。

エラムガーデン

バスがシラーズの中心街を抜けて暫らく走るとエラムガーデンに着く。エラムとはペルシャ語で楽園の意味で、今から150年くらい前、ここは周りに水、緑がふんだんにあるガジャール王朝の王達の遊び場であったと言う。

庭園に入ると真っ直ぐな道の正面に宮殿が見え、右手に薔薇庭園、左には糸杉の並木がのび、右手の小高い丘にはシラーズの医科大学がある。
宮殿は2年前まで法科大学として使われ、今後博物館にする予定だそうだ、ヨーロッパ調の建物の前には池があり草木が取り囲み、噴水があがり落ち着いた雰囲気である。壁にはペルシャの物語、詩が書かれた繊細で美しいタイルワークがあり、この時代にイランのタイルワークに赤、ピンクが入ってきたとガイドさん。

薔薇庭園に入ってみると、ばらのシーズンは過ぎているが、少しまだ残っていて名前を書いたプレートがそばに立っている。この庭園は薔薇の学術研究機関の役割も担っていて、世界中のあらゆる薔薇を収集し、各国の研究者が集まって研究しているのだそうだ。

サアディー廟

エラムガーデンの観光を終え、バスはサアディー廟に向かう。
ガイドさんの説明によれば、サアディーが葬られた場所に廟を建てたのは、テヘランの絨毯博物館を開いたパーレビ2世王妃ファラーで、今から50年ほど前のことである。廟は糸杉と薔薇に囲まれ、サアディーの棺を安置しており、サアディーを慕う参拝者が途切れることがないと言う。
もう1人の詩人、ハーフェズはシラーズからほとんど出ることがなかったと言われているが、サアディーは30年にわたり中東やアフリカ、インドなどを放浪し、70才を過ぎてからシラーズに戻り、‘薔薇園(ゴレスターン)’、‘果樹園 (ブースターン)’というペルシャ語散文の最高傑作を書き上げたと言う。
13世紀後半を生きたサアディーについて、イギリスのある詩人は、彼は20世紀における友人、相談役、案内役であるとし、サアディーに追従することを恐れたり恥じたりするものは誰もいないだろうと評したそうだ。

廟に入るとサアディーの棺が真ん中に安置され、人々が手を伸べて棺を触っているが、イランでは棺に触れて聖人、偉人にあやかろうとする風習があるらしい。
壁は一面にゴレスターンのタイルワークで装飾されている。文末で韻を踏む独特のリズムと韻がありますと言ってガイドさんが壁に書かれたペルシャ語のゴレスターンの一節を読んでくれる。意味は‘私はこの世界にあるものすべてを愛している、なぜなら神が造り、存在させているものだから’とのこと。
廟の地下には水の流れる水槽があり、金魚が泳いだりして、チャイハネが楽しそうだ。地上に戻って時間待ちをしていると、外国人が珍しいのか日本人が好きなのかカメラに入って呉れとせがまれツアーの何人かが気軽に応じているようだ。

旅行の直前に図書館で泥縄をしたゴレスターンの一節、
人々がある大人を宴のなかで称え、彼の麗しき性質について過度に語っていた。
彼は頭をもたげて言った、「私のことは自分がよく知っている」

我が善を数え上げる者よ、我を危害から守れ
汝は我が外見をみているが、汝は我が内面を知らぬ
我が人物は世の人々にはよく見えよう
我が内面の悪については汝への恥じらいにうなだれる
孔雀はその色とりどりの羽根を持つことで、人々はそれを褒め称えるが
孔雀は自らの足の醜さを恥じている

教訓的な内容を、散文と詩を織り交ぜた文体で書かれているのだが、日本語に訳すと独特のリズムと韻が消えてしまい、ペルシャ語散文の最高傑作の味わいが半減してしまうようだ。
シラーズの市内観光が終わり、ホテルの近くに来ると、キャリム・ハーン城塞が見えてくる。シラーズが30年間だけイランの都となったザンド朝のキャリム・ハーンの居城である。ガイドさんによるとキャリム・ハーンの後継のラズハリがガジャール族との戦に出かけ、帰って来た時、城の守備兵が裏切って中に入れなかったそうで、結局、ラズハリはケルマンでの戦いに敗れてザンド朝は30年で終わりになったとのこと。