ジャーメ・モスク(金曜モスク)

エスファハンで一番古いモスク。8世紀半ばに創建されたが、一度焼失し12世紀のセルジューク朝時代に再建。その後も増改築が19世紀まで繰り返されたそうだ。そのためイランのイスラム建築技術とイラン美術のコレクションとも言われている。

ガイドさんによれば、イランの一定の人口以上の町にはジャーメ・モスクがつくられたが、アラブには当初、建築技術がなくジャーメ・モスクの99%はゾロアスターの寺院を転用したものだそうだ。

ジャーメ・モスクとは完璧なモスクのことで、モスクで会議が出来たり、たくさんの人に食事をだしたり、学校が付設されたりするのがジャーメ・モスク。ヨーロッパ人がジャーメ(Jame)をジョーメ(Jomeh、金曜日のこと)と間違ったことからジャーメ・モスクが金曜モスクと言われるようになったが、ここで金曜日だけ礼拝をするわけではないとのこと。多くの解説書で言われていることとは少し違うようだ。

入口のところにチェーンがぶら下がっていて、罪を犯した人がこのチェーンを掴んでいる間は捕らえることができなかった、聖なるお祈りの場を汚してはいけなかったとガイドさん。

列柱回廊

入口から左手に少し進むと、列柱回廊になり、林立する柱が400以上も連なる小さなドームを支えているそうだ。ゴルドバのメスキータとはとは違う感じで、柱が斜めに傾いてなっているもの、曲がっている柱もあり、ごつごつとして重厚な柱の林である。

イラク戦争の時、爆弾で破壊されたところがあり、修復されているが一見それと判り、戦争が人類の貴重な遺産にも取り返すことの出来ない傷を残すことが分かる。

南礼拝堂ドーム

列柱回廊を抜けると礼拝堂に入る。南礼拝堂で、ハーゼ・ニザム・アル・ムルクドームと呼ばれている。セルジュークの3代目スルタン、マリク・シャーを補佐したペルシャ人の名宰相が建てたので彼の名前が付けられている。

ジャーメ・モスクのなかでは一番大きいドームだが、1090年頃の建築なのでレンガの凹凸で模様が作られているようだ。壁に作られたへこみはメッカの方角を示すメヘラブである。このドームは華麗さはないが、どっしりと重厚な感じである。

エイワン

ジャーメ・モスクには60m四方くらいの中庭があり、中庭に面して東西南北にエイワンという半ドームの門がある。こうした中庭の周りに建物をつくるのはペルシャの建築様式がモスク建築にも取り入れられたようだ。

半ドームの湾曲した奥に礼拝堂への入口があるのでエイワンは半外部空間である。エイワンの上部は鍾乳石模様(スタラクタイト)で装飾されている。4つのエイワンには名前が付けられており、南はサーヘブ(主)、東、シャーゲルド(弟子)、西、オスタード(師)、そして北はダルヴィッシュ(托鉢僧)と呼ばれている。

南礼拝堂のエイワンは12世紀、2本のメナーレ(メナーレが付いているのは南だけ)は15世紀につくられたと言われ、メナーレの装飾は17世紀まで続けられたと言う。

ガイドさんによれば、エイワンについて日本のガイドブックにはエイヴァーンと説明したり、イーワーンと言う解説書もあるが、ペルシャ語からすればエイワンなのだそうだ。

西礼拝堂
メヘラブ

西エイワンの北側の小さい部屋に入ると、煉瓦色のメヘラブが目にはいる。近づいてみるとレリーフは煉瓦で浮き彫りして化粧漆喰で装飾されているが、アラベスク模様の中に、さらにアラビヤ文字が浮き彫りされているなんとも精緻な芸術品である。

モンゴルの6代ハーン オルジェイトのイラン人宰相、ムハンマド・サヴィによって14世紀の初めにこのメヘラブは作られたと言われているが、この時代の芸術性の高さに驚かされる。

シャベスタン

ガイドさんの後について、次に入った部屋は電気が消されて暗い部屋、ガイドさんによれば、夏のシャベスタンとか冬のシャベスタンと呼ばれるイランの各地にある礼拝室で、地下などで暑いところでは涼しく寒い時には暖いところで礼拝をするように工夫されているそうだ。

大理石の格子窓から明かりを採り入れるようになっているとのこと。電気が点くと、皆があっという声をあげ、太い柱が林立する礼拝室が現れる。柱は上部が広がった形をしておりテントの形を思わせる、ティムール朝の遊牧の民は故郷サマルカンドの風景を作ったのだろうか。

折角だからと言ってガイドさんが礼拝の仕方を実演してくれる、分かり安く横向きで見せて貰うが、勿論、実際はメッカの方角を向いて行う。

スィー・オ・セ橋(33橋)

今日の最後の観光はスィー・オ・セ橋。
橋のアーチが33あることから、スィー・オ・セ橋(ペルシャ語で33はスィー・オ・セ)と呼ばれている。川幅の一番広いところに架けられているので長さは約300mある。アッパーズ1世時代、1603年に完成した。

橋のたもとにあるチャイ・ハネでティータイム、水タバコを楽しんだ女性陣もいたようだ。チャイ・ハネは新橋のガード下のような感じで騒然としていて、イラン人もおしゃべりが好きな人種のようだ。

チャイ・ハネの後、川岸の公園でしばらく時間を潰していると、辺りが薄暗くなってきて手をつなぐカップルもいるようだ。
ザーヤンデ川に夕日が沈むサンセットを見たあと、すぐ近くのホテルに歩いて帰る。