8時30分、イラン観光のハイライト、ペルセポリスに向かって出発、しばらくするとコーラン門が見えてくる。
コーラン門はシラーズからエスファハンやペルセポリスに行き来する玄関口になっていて、門の上にキャリム・ハーンの作った小部屋があり、古いコーランが置かれ旅に出る人の安全を見守っているとのこと。
旅人を送り出す家族は、旅人が町を出る時、そのうちの一人がこのコーラン門でコーランをかざすそうだ、旅人がその下を潜ると無事に町に戻ってくると信じられている。

ペルセポリス

バスがエスファハンに至る幹線道路を小1時間も走って、側道に入ると松林の間にペルセポリスの列柱らしきものが見えてくる。いくつになっても期待に気持がたかぶる瞬間である。
駐車場から工事中の道を200mほど進むと遺跡の正面階段の下に着く、階段は折り返しになっていて111段。ガイドさんによれば、階段は1段ずつ積み上げたものではなく、1つの岩から5段分の階段を削って作ったもので、段差を低くして馬に乗ったまま上れるようにしているとのこと。
階段を上ると、ラフマト山(慈悲の山)の麓に築かれた12万5000㎡のペルセポリスが目の前に広がってくる。

ペルセポリスはギリシャ人が付けた名前で‘ペルシャ人の都市’の意味だと一般に言われているが、古代ペルシャの世界的権威シャーバージィ教授のガイドブックによれば、‘Persepolis’はギリシャ人の用法では都市の破壊者、‘destroyer of the cities’の意味なので間違いらしい。正しくはペルサイポリス、‘Persaipolis’とすべきだが、今さら直しようもないそうだ。

さて、エジプトからインダス川におよぶ広大な帝国を築き、中央集権体制を確立したダレイオス1世がスーサを政治上の首都に、祭儀を行う都としてペルセポリスを造営したもので、後継のクセルクセス1世とアルタクセルクセスが拡張したと言われている。新年(ノウルズ)の儀式や即位式がここで行われた。王は広大な領土の各地から来る使節団や朝貢使節を謁見するので、壮大な宮殿を築きアケメネス王朝の威容をこれら属国に見せつける意図があったものと思われる。

万国の門

クセルクセス1世が造ったのでクセルクセス門とも言われペルセポリスの入口にあたる。高さ5mあまりの有翼牡牛像が入口の両側をかためている。この像はアラブが侵入した時、偶像崇拝禁止のためか牡牛の部分が削り取られている。門の反対側には人面有翼獣像があり、こちらは保存状態が比較的よい。人面の長い髭は賢さと逞しさを表すとガイドさん。

門の内側には楔形文字のバビロニア語 エラム語 ペルシャ語の3つ言葉でクセルクセス1世の讃辞が刻まれ、

‘アフラ・マズダの慈悲により、余はこの万国の門を造くれり。
余と父はペルシャのあらゆる処に美しきことをなせりしが、そがいかに美しく見えようとも、アフラ・マズダの慈悲のなせるものなり’

‘願わくば、余によって、また余の父ダレイオス王によってなされた事業に、
アフラ・マズダならびに神々のご加護のあらんことを’

などと書かれているらしい。

門の中は600㎡ほどの部屋になっており、使節団は一旦ここで待機し許可が出ると、軍隊の道を進んで行くことになる。万国の門や軍隊の道はレバノン杉の天井に覆われていたと言う。
軍隊の道を歩いていると双頭のホマが見えてくる、ホマは想像上の鳥で、幸の鳥と考えられていた。昔からホマが肩にとまると幸せをもたらすと言われ、現在でもイランの女性の名前にはホマは多いのだそうだ。イラン航空のシンボルになっているのがこのホマである。
少し先に行くと、柱の残がいが置かれている。ペルセポリスの列柱も高さ2mほどの円柱を重ねて作ったようだ、オリンピアのゼウス神殿でみたのと同じである。ギリシャではドラムと言っていたが、ここでは何と言うのかガイドさんも知らないとのこと。
軍隊の道の突き当たりが未完成の門、完成すれば万国の門より規模は大きくなっていたと言う。双頭の牡牛像が置かれていたり、作りかけの門がある。専門家にとって途中まで作られているので、作り方が分かる貴重なものだそうだ。

百柱の宮殿

未完成の門に続くのが百柱の間と言われる宮殿である、名前のとおり100本もの列柱が林立する68.5m四方のペルセポリス最大の広間である。軍隊の謁見にはこの宮殿が使われたと言う。アレキサンダー大王がペルセポリスを襲った時、最初に火をかけたところと言われ、現在は柱の残がいが散乱する空間にすぎない。
でもって、百柱の宮殿の見ものはゲートに残るレリーフである。

北側ゲートの門壁のレリーフ

アルタクセルクセス王の謁見の様子が刻まれている。1番上にアルタクセルクセス王が王座に座り謁見の間に行くところが描かれ、その下にはメディアとペルシャの護衛兵が交互に並んでいる。ヘルメットのような帽子を被っているのがメディア人で、縦じま模様の円筒形の帽子を被っているのがペルシャ人である。5段の枠にそれぞれ10人の護衛兵が描かれており、反対側のゲート柱にも同じように50人の護衛兵が描かれていて、100人の護衛兵に守られている。

南側ゲートの門壁のレリーフ

ガイドさんによれば、このレリーフは王座担ぎが描かれていて興味ふかいのだそうだ。アルタクセルクセス王が玉座に座っていて、王の上で羽根をひろげているのはゾロアスター教の象徴だそうだ。下の3段の枠には玉座を担ぐ殖民地の人々が描かれている、アケメネス朝の最盛期には23の殖民地があったといわれ、メディア、バビロニア、インドなどなどさまざまな服装をした人々が王を持ち上げている様子が描かれている。王が民の力で支えられ、民の支えがないと落ちてしまうことを表していると言う。