ヤズドの観光を終え、エスファハンに向けて出発。今日も300kmを越える長旅である。長旅の気分転換というわけでもないが、トイレ休憩の後、ガイドさんへの質問タイムが始まる。
いろんな質問がでるなかで、やっぱり気になるのはスンニ派シーア派はどう違うのか、イラン人から説明して貰いたいところだ。

ガイドさんの話やガイドブックの説明を長屋の隠居と熊さんの話に翻訳すると、
ムハンマドというイスラムの大師匠が亡くなる。後継者を指名せずに亡くなったので、跡目相続をめぐって争いがおきる。ムハンマドには男の子がなく、血筋としては従兄弟で女婿のアリーがいるが、まだ若い。他方、師匠の高弟達も名跡を狙っていると言う構図で、よくある話である。アリーを支持するものがシーア派で、大名跡を継ぎ、神聖な指導者となる者にはムハンマドとの血の繋がりが大切で、繋がりのない者はただの人に過ぎないと主張する。高弟達のスンニ派はすでに慣習・伝統が出来上がっており、皆の中から選ばれたものがこの慣習(スンナ)を守れば最高指導者の役割を果たすことが出来ると言い、シーア派は神ではなく人間を崇拝するものだと批判する。結局、権謀術策に長けたスンニ派のアブー・バクルが後継の最高指導者(カリフ)となり、2代目、3代目もスンニ派から出て、4代目になってアリーが選ばれるが、スンニ派のウマイヤ家がいちゃもんをつけ内乱になる。シーア派では最高指導者のことをイマームと呼び、アブー・バクルなどはイマームと認めずアリーが初代イマームである。
アリーの子供で、3代目イマームのフセインは、ウマイヤ朝のヤズィードに虐殺されたが、シーア派はこれを殉教と捉え、社会的不正義に対する聖戦を象徴するものと考えるようになった。今でも、フセインが殺された日をアーシュラーと呼び、自分の体に傷をつけフセインの殉教を悼む習慣があると言う。
12代目イマームのムハンマドが5才で姿を消して以来、イマームは隠れたままで、いつか救世主となって国難を救いに戻ってくると考えているのがシーア派のなかの12イマーム派。サファヴィー朝を興したイスマイールが国教と定めたのはこのシーア派の12イマーム派である。

一般にシーア派の方が厳格にイスラムの教えを守っていると思われているが、例えば、ラマダンではスンニ派の国では殆どの人が守るが、シーア派の国では緩いと言うか、ずるをする者もいるらしい。また、スンニ派の国のモスクは立派なミナレット持っていて、アザーンが町中に響くが、イランではミナレットのないモスクも多いい。そういえば、エジプトやトルコではアザーンが耳についたが、イランでは騒がしくないようだ。
ムスリムは1日、5回の礼拝が義務付けられているが、イランでは3回でもよいらしい、2回目と3回目、4回目と5回目を一緒にお祈りすれば、3回で済ますことが出来るらしいが、ご都合主義の感じでなかなかよろしい。