ナイル東岸
カルナック神殿

ナイル東岸は太陽がのぼる生者の町で現世に生きる人々が日常生活を送る
場所であり、人間の世界において神を祀るために神殿をつくった、それがカルナック神殿でありルクソール神殿である。
カルナック神殿はアメン神殿だけでも東西560m、南北600m、東京ドームが7杯入るエジプト最大の神殿と言われている。

第11王朝のころ建造が始まり、プトレマイオス朝にも増設が行われていたので1900年間に亘り歴代のファラオ達が寄進を続けてきたアメン・ラー神、ムト神、コンス神の3神を祀る神殿コンプレックスである。
スフインクスの参道を通って第1門塔を入ると中庭があり、ガイドさんの説明を聞く。

列柱室

スフインクスの参道や第1門塔は第30王朝時代のもので、第1門塔は未完成で上部にレンガを積み終わらないうちに放置されてしまったが、建設のための斜路が残っているので建設の様子が分かりますとのこと。

参道から第1門塔、中庭、第2、3・・・6門塔、至聖所に到る線は東西を指しています、第3門塔と4門塔の間を右に折れると第7・・・10門塔が続いています。
ガイドさんの後について第2門塔の入口を進むと、カルナック神殿の観光のハイライトの一つは列柱室ですと言ってガイドさんの話が続く。

列柱室はセティ1世が第3門塔の中庭に着工したものを息子のラムセス2世が完成させたもので、幅102m、奥行き54mの部屋です、中央部分には高さ22mの12本の開花式パピルス柱、その周囲を取り囲むように林立している122本の未開花式パピルス柱の高さは15mです。
当時は柱の上には屋根がかかっていて、明かりを採るように工夫されていました。

柱を見るといたるところに王のカルトゥーシュや神々に捧げものする王の姿、神殿での生活の様子などが刻まれている。列柱室の壁にはラムセス2世のカディシュの戦いや有名な平和条約の条約文が刻まれているので後で見て下さいとガイドさん。

オベリスク

第2中庭にはトトメス1世のオベリスク、第4門塔と第5の間にはハトシェプスト女王オベリスクが立っている。
オベリスクはもともとは原初の丘の上にベンベン石を様式化したものと云われ、太陽の光をあらわしているとか創造神が放出した精液が石化したものでペニスをあらわすとか言われ豊穣のシンボルと考えられていたそうだ。
したがって、オベリスクは神殿を飾る重要な装飾であるが、建立者の功績や信仰を全面に刻み宣伝効果もはたしていたようだ。

ハトシェプスト女王のオベリスクはトトメス3世の抹殺方針に従い囲いがされていたので、上辺の囲いの無かった部分と下方では保存状態が明らかに違っている。
右に折れて少し行くとハトシェプスト女王のもう一つのオベリスクが横になっている。近くにある大スカラベは7回廻ると幸福が訪れるとか。聖池のところで自由行動になる。
至聖所、トトメス3世祝祭殿などみて、列柱室に戻り壁の彫刻をみる。

ところで、このカルナック神殿もローマ時代には破壊され、引き倒された列柱が散乱、オベリスクとわずかの塔門が立っているだけだったと言われている。われわれ観光客は列柱室の柱は当時からずっと立っていたと思っているが、近世になって建て直されたものだそうだ。

ルクソール神殿

カルナック神殿の南、5~6分のナイル川沿いにルクソール神殿がある。
ルクソール神殿はカルナック神殿の付属神殿でアメンヘテプ3世が第2門塔から南を、第2門塔までをラムセス2世が寄進したものである。
年に1回、ナイル川の増水期に10日間ほどカルナック神殿の聖船を安置するために造られたと言われている。豊穣を祈るお祭りが賑やかに行われたらしい。

ラムセス2世の時代になると、顕治欲の強い王は巨大な第1門塔を寄進し、自身の坐像を6体も配し、その前に天に聳えるオベリスク2本を立てたり(右側にあったものはパリのコンコルド広場に移されている)、自分の武勇を知らせるために壁に戦争の場面を彫ったりして宣伝に利用している。

第2門塔のところにツタンカーメンと王妃の像があり、門塔を抜けると14本の大列柱廊、さらに進むと中庭をパピルス柱が囲んでいる。
この中庭の奥は聖域で、ずっと後の世になって聖船を安置する台座を寄進したアレキサンダー大王の間と、至聖所がある。