エジプト観光もいよいよ後半に入る。カイロの通勤ラッシュを避けるためにいつもより少し早く7時45分にホテルを出発。
ガイドさんが携帯でしきりに連絡をとっているが、クフ王のピラミッドは午前、午後それぞれ150人と入場制限されていて、午前中の入場となるか、午後になるか決まっていないらしい。
午後の入場となる場合は午前中、サッカラーやダフシュールを回りますとのこと。そのうち午前中のOKがとれた連絡が入ってギザに向かう。
ギザの町を進むにつれてビルの間からピラミッドが見え隠れしてきていよいよと言う感じである。

クフ王のピラミッド

駐車場でバスを降り、ピラミッドを前にガイドさんの説明が始まる。
このクフ王のピラミッドは世界最大、正四角錐のピラミッドで底辺の長さは230m、高さ137.5m、もともとは146.6mだったが、現在は尖端部分が欠けていて、頂上に立っている鉄棒が本来の高さを示しています。
傾斜角は51度52分、東西南北に面して建てられています。方位は東西方向でわずか0.5度ほどの誤差、長さは最長と最短の差が20.3cmしかありません。古代エジプト人は4500年前に驚くべき高度な天文学や精巧な建築技術を持っていた訳です。

ピラミッドに使われた石材はすべて石灰岩で基部のものが最も大きく3t、上にいくに従って2~1.5tと小さくなっています。石材の数はおうよそ230万個と言われています。
これだけの石材をどのように切り出し、運搬し、積み上げたのか正確なことはよく分っていません。
常に10万人もの人が20年に亘って働いたと言われています。
クフ王は後世の年代記では恐怖政治を行ったとして非難されていますが、最近では、ピラミッドの建設はナイル川の氾濫する農閑期に農民を経済的に助ける公共事業だったとする見方もあります。

ピラミッドの表面はごつごつした石がむき出しになっていますが、かっては外装用の化粧岩で覆われていましました、全部盗まれてしまったのです。
でも、世界の七不思議で現在残っているのはピラミッドだけです、中に入って見て下さいと言われて、盗掘用に掘られた入り口からピラミッドの中に入る。

細いトンネルを少し進むと、登りの通路となり途中、背中をかがめて歩くので結構きついところがある、40mほど行くと段があり、この段を登ると広い通路になり、さらに40mほど上ったとろに玄室がある。
やっとたどり着いた玄室には石棺がぽつんと置かれているだけで、王家の谷で新王国時代の王様達の華麗に装飾された玄室を見て来ただけにその殺風景さに驚かされる。
クフ王のミイラがこの玄室に納められていたとしたら寂しい話だ。

後でガイドさんに聞くとピラミッドの発掘調査の時にも、クフ王がここに埋葬されたとしたら盗掘されてミイラ本体はないにしても、ミイラの断片とか布切れ、副葬品など痕跡が残っている筈だが、何も発見されなかったと言うことだ。

ほかのピラミッドでも王のミイラは発見されていないらしいが、何のためにピラミッドは造られたのだろうか。古代エジプト人の死生観では王は死後天にのぼり、太陽神とともに天空を巡ると考えられていたので、天に突き出たピラミッドは王が天にのぼる階段を表現したものだと言う説は興味深い。

カフラー王のピラミッド

バスに戻り、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドは車窓観光となる。カフラー王のピラミッドは3つのピラミッドの真ん中にあり、クフ王より少し小ぶりだがピラミッドを覆っていた化粧岩が上の部分に残っていて、ピラミッドの創建当時の壮麗な姿を想像させてくれる。

メンカウラー王のピラミッド

メンカウラー王のピラミッドは半分くらいの高さしかなく、王の財力の衰えを感じさせる。バスは少し先の小高い丘に停まる、ここが3つのピラミッドを背景に写真を撮れるベストスポットでしばらく写真休憩となる。