ラムセス6世の墓

ラムセス9世の墓を見た後、屋根のある休憩所まで進み、ツタンカーメンのチケットを貰って、ガイドさんの説明を聞く。

ラムセス6世とツタンカーメンの墓は並んでいます。ラムセス6世の墓には門の書、死者の書、大地の書など王様の墓に描かれるものは全て揃っています、特に玄室の天井に描かれている昼の書、夜の書が有名です。

保存状態もよく観光客には人気のある墓です。ツタンカーメンの墓は小さいですが、玄室の壁画はすばらしいです。王のミイラはCT検査が終わって戻されています。

40分後に休憩所に再集合しましょうと言うことで、ラムセス6世の墓に向かう。

ラムセス6世と言えば、兄のラムセス5世を追放して王位についたが、王としては無能で見るべき業績はなく、もっぱらの関心事は自分の墓をいかに壮麗に造るかということにあり、時間がなかったのかラムセス5世の墓を横どりし、巨額の費用を投じて拡張、装飾したと言う話を聞いたことがある。

ラムセス6世の墓はさすがに人気があり長蛇の列となっていて入口まで15分近くかかる。

入口の階段を進むと、王がオシリス神を従えた太陽神に捧げものをしている様子、ホルス神、アヌビス神、イシス女神などの神々。

糞ころがしやカルトゥーシュなどが壁や柱にびっしりと描かれている。ラムセス4世やラムセス9世の墓に描かれている洞窟の書とか門の書などと同じような場面が続き、60mも進んだとところで通路は少しきつい下り傾斜になり、天井が高くなってきて、いよいよ玄室が見えてくる。

玄室の正面の壁にはアケル書の場面がびっしりと描かれ、ドーム型の天井を見上げると天空の女神ヌトが背中合わせに、上の体には星、下には太陽が描かれている。

東の空で生まれた太陽が天の川を流れ、最後にヌト女神に飲み込まれる太陽の運行の様子が昼の世界、西の空に沈んだ太陽神は船に乗り、12時間に区切られた夜の世界を西から東に旅をしているのが夜の世界で、昼の書、夜の書といわれている。

ラムセス6世の石棺は粉々に破壊され、ミイラはアメンヘテプ2世の墓で発見されたが胴体と首、四股はばらばらで無くなった部分も多く、修復された

ミイラの右手は女性のものが縫い合わされ、首の骨であるとろに骨盤が付けられていたりして王のミイラの中で最も不幸なものになっているらしい。

ツタンカーメンの墓

ラムセス6世の墓に時間がかかり集合時間が迫ってきたが、ツタンカーメンの墓を諦めるわけにはいかないので隣に急ぐ。

丁度、見学者もいなくてすぐに墓に入る。15、6段の階段を下り、短い通路の先を右に曲がると玄室がある。ラムセス6世の墓を見た後だけに、あまりにも小さいのにびっくり。

この墓のなかに世界がうなった2000点を越える副葬品が納められていたのかと思うと不思議な感じがする。今年の1月初めに王のミイラはCTスキャンにかけられ、1700枚の写真が撮影されたと報道されていたが、王の

頭にあると言われる傷は王を殺害したことによるものなのか結果の発表が待ちどうしいところだ。

王のミイラは大急ぎで戻されたので、石棺の中には検査を終えた王のミイラが横たわっているようだ。壁にはハトホル神に対面する王やアヌビス神などに迎えられる王の姿、口開けの儀式の様子など描かれて鮮やかな色彩で残っている。

ハトシェプスト女王葬祭殿

王家の谷の墓めぐりを終え、バスはハトシェプスト女王葬祭殿に向かう。

ハトシェプスト女王葬祭殿は王家の谷の岩山ひとつ越えた断崖を背にして建てられている。3層のテラスス式の建物の直線を生かし洗練された美しさは壮麗で3500年前のものとは思えない近代的な感じがする。

古代エジプトでは葬祭殿は死後の王の再生復活の儀式を行うところであったが、ハトシェプスト女王葬祭殿は至聖所にアメン神、両翼にハトホル神とアヌビス神も祭られ神殿の性格も持ち、この葬祭殿を造った本当の目的は自分の王位継承の正当性を宣伝することにあったと言われている。

幼いトトメス3世の摂政となり、後には王位を剥奪した後ろめたさが、2階テラスの目立ち易い壁に自らの誕生のレリーフなどを刻ませたり、男性の姿でひげを付けアメン神の祝福を受けるところを描かせているのだろうか。

ハトシェプスト女王の施政は交易を重視しエジプトに多大な利益をもたらしたと言われているが、女王の死後、屈従に憎しみ募らせいたトトメス3世はこの叔母の存在を歴史から完全に抹殺する行動をとっている。

葬祭殿のレリーフを壊し、崖を崩して葬祭殿を埋めてしまい、カルナック神殿のオベリスクも壁をつくって囲って見えなくしたり、王名表からも削除してしまった。
女王の実在は葬祭殿が発掘されて初めて判明したのだそうだ。

メムノンの巨像

ラムセス2世葬祭殿などを車窓から見ながら、バスが進んで行くと道路の横に巨像2体が忽然と現れてくる。
ここはアメンヘテプ3世の葬祭殿の跡で、葬祭殿の石材は後の王達が盗用してしまい、入口に立っていた高さ20mの1対の坐像だけが残っている。

メムノンはトロイ戦争の勇者であるが、ギリシャ時代からこの像はメムノンの像と思われていたとのこと。右の像が朝な夕なにうめくような声をだして、付近の人々を怖がらせていたがローマ時代に修復して声は出なくなったらしい。
地震でひびが入り朝晩の気温の変化と風がうめき声のような音を発したのが真相ですとガイドさんの説明。

10分間の下車観光で、写真を撮ってメムノンの巨像観光はおしまい。
これでルクソール西岸の観光が終わり、カルーフと言う帆船でナイル川を渡ることになる。2隻に分かれて乗船。15、6才の子供2人が帆を操るが風がないので前に進まない。棒のような櫂を取り出し、小太鼓に合わせてのんびりと唄いながら漕ぎ出す。