ヌビア地方、アブ・シンベルはアスワンの南約280kmにあり、飛行機で45分、シャトル便で荷物は機内に置いたままの観光となる。

アブ・シンベル大神殿

神殿はアスワンハイダム建設時に水没する危機にみまわれたがユネスコのキャンペーンによって救済され、もとの位置より60m上に移設されたことがよく知られている。

この神殿を造ったのは建設王と言われたラムセス2世だが、それにしてもカイロから1200km、テーベからも500kmも離れたヌビアの地に巨大な神殿をつくったのは何故だろうか?

古王国時代のカフラー王が岩山をくり抜いてスフインクスを造った故事に倣って、この地の岩山に自分の権力をエジプト人やヌビア人に見せつけるために巨大な彫刻作品を作ったとも言われているが、ヌビア地方が鉱物と原料の宝庫でエジプトへの供給地であったために巨大な神殿を作り人々に権力を誇示する必要があったのではないだろうか。

岩山をぐるっと回って大神殿の正面にでると、ラムセス2世の坐像が神殿の入口を挟んで2体づつ4体並んでいる。おうっ・・、これは何だと言う感じで、エジプトに入って3日目、大きいものにも慣れてきている筈だが、この22mをこえる巨大な像には圧倒される。
また、王の顔が生き生きとしており古代エジプトの美術水準の高さに感心する。
入口の上にはハヤブサの頭を頂いた太陽神が彫られ、一番上にはヒヒたちが並んで太陽を拝んでいてユーモラスである。

神殿内に入ると列柱室があり、オリシス神の姿をした柱が4本ずつ8本並んでいる。列柱室の壁には有名なヒッタイトと戦ったカディシュの戦いの場面が描かれている。
鉄器と青銅器の差で大敗を喫したにも拘らずエジプト軍の大勝利として描かれているのは宣伝上手のラムセス2世のお愛嬌なのかもしれない。

列柱室を抜けると前室を経て、至聖所に入る、4体の像があり、右からラー・ホルアクティ、ラムセス2世、アメン・ラーとプタハ神である。
至聖所は普段は薄暗い部屋だが、年2回、春分の日と秋分の日の夜明けだけに太陽の光は坐像のうち右の3体を照らすように設計されていたと言うからその緻密な計算にはびっくりさせられる。

ただ、移設する時にわずかなずれが生じたために1日遅れになっているらしい、現代技術がおくれをとったのだろうか。

小神殿

大神殿を北に少し歩くと、ラムセス2世が王妃ネフェルトイリのために造った小神殿がある。エジプト3大美女の1人とはいえ、神殿をプレゼントされるとはどんな気がするのだろう。

正面にはラムセス2世とネフェルトイリの立像6体並んでいて、左右の端から2人目がネフェルトイリで2本の羽根、雌牛の角、太陽円盤を戴いたハトホル神として表されている。

入口の壁には王妃の前でアメン神とホルス神のために敵を殺す王が描かれていて、部屋の壁にはハトホル女神とイシス女神が王妃に戴冠しているところなど、奥の至聖所の壁にはラメセス2世を守護するハトホル女神が描かれていて保存状態もよい。

アブ・シンベル神殿はその後、長く砂に埋もれてしまい、小神殿はイスラムの時代から知られていたらしいが、大神殿が発掘されたのは19世紀になってからのことらしい。