本堂を出て中庭から建物の外観を見ると、豪華に意匠された腕木庇や扉、天井には唐草、蓮、ライオンなどが緻密に彫刻されキャンディ建築の匠が見てとれる。この現在の本堂はキャンディのシンハラ王朝の最後の王による建立と言われているので、日本の年代では江戸中期頃に当り東照宮の陽明門は50~60年前と言うことになる。

本堂の裏手にはアルート・マリガワと云う3階建の建物があって、釈尊入滅2500年を記念して建てられたものだそうだ。

入口にはスリランカの寺院の伝統に従ってムーンストーンとガードストーンが置かれているが、ムーンストーンの模様はポロンナルワのライオンや象などと違って蓮が刻まれているようだ。

階段を上がって中に入ると、部屋の上辺に釈尊の誕生から涅槃に至るまでの絵や仏歯が運ばれてくる様子など20枚ほどの絵が掲げられている。ペラハラ祭に参加するイギリス人などの絵もあって、ちょっと違和感があるが、スリランカの人たちは植民地支配時代をどう考えているのだろうか?

右手の奥にはタイの信者から贈られた金色の仏陀坐像が安置され、その脇にはいろんな国から贈られた仏陀像も置かれている、日本の室生寺からのもあるそうだ。

2階、3階の博物館ではヤシの葉写本などを見てアルート・マリガワの見物はおわり、この後ペラハラ祭で仏歯を乗せた象のはく製や閣議場などを見て仏歯寺の見物は終わり。

キャンディアンダンス

仏歯寺の見物が終わって一休み、夕方からはキャンディアンダンスの見物の予定であるが添乗員は会場に先乗りしている。何でも予約席を確保していても大勢の見物客の中には勝手に座ってしまう不届者が
いるらしく、予約席の見張をするんだそうだ。ご苦労さん。

キャンディアンダンス、元々はキャンディ一帯の高地で行われていた宗教儀式で、祭りの際に悪霊祓いとして踊っていたものらしい。庶民は悪霊祓いで厄除け、健康、繁栄を願ったようだ。

近年ではペラハラ祭でも人気の出し物となっており、この人気にあやかって常設の小屋でショウとしてキャンディアンダンスを上演し観光客を大勢集めているようだ。

さて、6時になってキャンディアンダンスが始まる。
オープニングは太鼓の激しい競演、

屈強な男性が2人出てきて横長の太鼓をもの凄い速さで叩き始めた。儀式の始まりには伝統的にこのように太鼓を叩くのだそうだ。そのうちに男性の数が増えて勇壮な太鼓の競演となった。

プージャの踊り

次に女性たちが出て来て踊り始めた。仏陀に祈りを奉げるプージャを表しているとのこと。腰や手の動きなど優雅に表現されているようだ。

この後、戦いに行くシンハラ兵士を表すバン・ナトゥマと言う踊り、魔力によってコブラを飼い馴らすコブラの踊り、悪霊を追い払う仮面の踊り、戦いの神の乗り物とされる孔雀の動きを表現するマユラの踊りなどが続き、最後は燃え盛る炭の上を素足で渡る火渡りの儀式で盛り上がってフィナーレとなる。

キャンディアンダンスを見物してホテルに帰る途中、写真ストップしてキャンディ湖に沈む夕日を眺める。