ホテルを8時過ぎに出発、スリランカ観光が始まる。
今日はピンナワラの象の孤児園とダンブッラの石窟寺院を見物した後、シーギリヤまで行く予定となっている。

ガイドはティランガさん、ドライバーはラメシュさん、それにドアーマンとして若いお兄ちゃんが付いている。ヨーロッパツアーなどでは観光地毎にガイドが変わり、10人ものガイドが入れ代わり立ち代わりやって来たことがあったが、今回はスルーガイドだそうだ。

われらご一行様は、関東が4人、関西から6人、九州1人の計11名で、カップル(?)が2組のほかは1人参加である。20人乗りくらいのマイクロバスなので座席はゆったりしているが、公平を期して座席を毎日移動するらしい。

ホテルを出発してしばらくすると少し広い道路に出る(地図を見るとA6線と云う 幹線道路の1つのようだ)。道路沿いの町に入ると、軒を並べる間口3軒ほどの商店、カラフルな看板など東南アジアの町の活気を思わせる。少し早い時間だが、3輪タクシー(トゥクトゥク)や車が走り、通りには買い物客も姿を見せ始めており、エネルギッシュな1日が始まるようである。

しばらく走って、スリランカの歴史を簡単に説明してほしいという要望が出たが、これについてのガイドさんの説明は、‘スリランカは5世紀からありました(紀元前5世紀?)。インドから来ました。この後16世紀にオランダ、18世紀にイギリスが来ました。そして1948年に独立しました’と言うものであった。

観光客をバカにしているのか、日本語でスリランカの歴史を説明する能力がないのか、いずれにしてもひど過ぎる。後で聞いたところでは、日本語学校で半年ほど習ってから東京のレストランでアルバイトをしていたそうだ。

また、スリランカのツアーガイド制度は4カ月ほど講習を受けて登録すればガイドになれるらしい。歴史も浅いのでスリランカのガイドさんは玉石混交のようである。以降このガイドには‘さん’はつけないことにした。

ピンナワラの象の孤児園

さて、ピンナワラまでは74kmほど、2時間足らずでビンナワラの象の孤児園に着いた。丁度、象たちが幹線道路を横切り、土産物屋などが並ぶ通りをのっしのっしと歩いて近くの川に水浴びに行くところであるが、われらはまず象舎を見学する。

もともとはジャングルの密猟で親を亡くしたり、はぐれたりした子象や失明した象などを保護して再び野生に戻す計画があったらしいが、曲折を経てこのビンナワラに移ってからは象の孤児園と云うよりは観光象園化しているらしい。

現在、象園には90頭ほどが飼育されているそうで、象舎を見回っていると2頭の子象が仲良く遊んでいたりして微笑ましい。ガイドの話ではこの孤児園で生まれた象だそうだ。こうした象はジャングルを知ることもなく、寺などの行事にレンタルされたりして一生を過ごすらしい。

この後、川べりに移動して象たちの水浴びを見物する。40頭ほどが幾つかの群れになっているようだが、よく見ると大きな雄象にも牙が生えていないようだ。昨年ケニアで見た象たちの大きな象牙には威圧される感じであったが、アジア象は牙が伸び出さなくなっているのだろうか。象牙のない象はなんとなく貧弱な感じである。

水浴びとミルク呑みがセットになった観光らしいが、われらにはミルク呑みを見る時間がない。

ダンブッラ石窟寺院

川沿いのレストランで昼食の後、12時半過ぎにダンブッラに向けて出発。ビンナワラからダンブッラまでは90kmちょっとなので通常なら2時間半もあれば充分だが、添乗員の話ではこの区間は現在、道路工事が行われているので何時に着けるか見通しが立たないとのこと。最悪の場合は2日後、シーギリヤからキャンディに移動する途中にダンブッラ石窟寺院に立ち寄ることにするそうだ。

車が進むに連れてあっちこっちやたらと工事が目立つようになって来た。幹線道路なので交通量が多いいところに、工事区間は片側通行となるので10分、20分待ちになったりしてなかなか進まない。

これは添乗員の言うようにダンブッラに何時に着けるか 分らないなと諦めていると、3時過ぎくらいから少し動くようになってきた。

そんなこんなで4時前にダンブッラに着く。
高さ180mほどの岩山の頂上近くに洞窟寺院があるのだが、途中のところまで車で行ける道があるらしいのでガイドが交渉してくれたようだが、マイクロバスでは駄目だと言われたようだ。

で、キンキラキンの巨大な大仏(中国が寄贈した?)の左脇から階段を登って行く。階段は以外と整備されており、左右の木々も緑豊かだし、猿たちが階段の隅でのんびりとしたりして風情はあるのだが、皆さんの後を遅れ遅れしながらついて行くのが精いっぱい、周りは目に入らない。

350段ほど階段を登り切ったところで靴を預けて山門を入る。

さて、ダンブッラの洞窟寺院、この洞窟にはBC3世紀頃にはすでに僧が住みついていたらしい。

BC1世紀、南インドのタミル軍によって当時の都アヌラーダプラが侵略され、ワッタガーマニ・アバヤ王(シンハラ朝第19代国王)は追放されてしまうが、このダンブッラで匿われる。

起伏15年の後、王は再び、アヌラーダプラの奪還に成功する。そして、王はダンブッラでの庇護に感謝し、石窟の拡大や多くの仏陀像を寄進したりしてダンブッラを石窟寺院へと発展させたのだそうだ。

その後、12世紀になってポロンナルワ朝時代、ニッサンカ・マッラ王によって大修復がされ、さらに時代は下って17、18世紀、キャンディ王朝の時代にも修復が行われたそうだ。

ガイドの説明では、石窟寺院は手前から奥の方に5つ並んでおり、当初に造られたのが第1窟と第2窟の寺院で、第3、第4と奥に進むほどほど年代が新しくなるとのこと。

第1窟

デーワ・ラジャ・ヴィハーラ(神々の王の寺院)と呼ばれ、狭い洞窟いっぱいに仏陀像が横たわっている。洞窟の壁をくりぬいて彫り出されたこの涅槃像は14mもあるそうだ。

日本では宗派が20近くもあり、仏さんは阿弥陀や釈迦、薬師などの如来さんや文殊、観音、弥勒、日光、月光などの菩薩さん、愛染明王とか帝釈天などなど、仏ほっとけの類の輩にはわけがが分からない。これだけたくさんの仏の仏像となれば、釈迦像と云えどもone of themになってしまう感じである。

仏像については、たいてい立っているか坐っているかで、横臥像はあまり見ないし、まして石仏となると村外れのお地蔵さんくらいしか思い出せない。

上座部仏教のスリランカで仏陀として崇められているのは釈迦だけなので、釈尊への憧憬がこうした巨大な涅槃像を造らせることになったのだろうか。

さて、洞窟内の手前の通路は人1人がやっと通れるほどなので仏陀象全体を見渡すことはちょっと難しい。
上半身に近づいてよく見ると、目が開いている。涅槃像は釈迦の入滅の姿なので目は閉じているものと思っていたが、目が開いているのは最後の説法をしている姿なのであろうか。

下半身の方に回って足の裏を見ると、赤く塗られている。これはインドからスリランカに最初に渡って来たヴィジャヤ王が上陸した時、大地が赤かったため、足の裏が赤く染まったと云う言い伝えから来ているらしい。

足元の近くにはアーナンダ像がある。いつも釈尊に寄り添っていた愛弟子のアーナンダの最後の別れの場面だそうだ。

ところで、第1窟が神々の王の寺院と言われるのは何故だろう。スリランカのシンハラ人の間では釈尊は実在したので神ではなく追憶し敬慕する対象なのだそうだ。

で、現世の悩みごとはヴィシュヌやスカンダ、サーマンなどの神々にお願いするらしい。そして人々の悩みごとを聞き届ける能力は神々を超越した存在である釈尊によって与えられていると考えられているそうだ。

なので、第1窟は神々を超越した存在である仏陀、即ち、神々の王の寺院と言われる所以なのかも知れない。

第2窟

第2窟はマハ・ラジャの寺院と名付けられている。マハ・ラジャは偉大な王の意味なので、あのワワッタガーマニ・アバヤ王のことのようだ。
ガイドによればこの第2窟が1番大きくて幅が62m、奥行きが25mあり、56体の仏像が安置され、壁や天井一面に壁画が描かれているそうだ。

入口を入った正面に白いカーテンが掛けられた本尊の仏陀立像が祀られており、いかにも重厚で穏やかな感じである。本尊の脇の仏像は、日本流に云えば、‘観音菩薩と弥勒菩薩’?

また、本尊仏の裏側にはシンハラ人の守り神、サーマンとヒンドゥ教のヴィシュヌ神が並んで立っている。12世紀、ニッサンカ・マッラ王の大修復の時には70体もの仏像が奉納されたと云われているが、これもその時の漆喰製らしい。当時、ヒンドゥ教がそれなりの認知を得ていたことを表しているものと思われる。

右手奥の方に進むと、金網の囲い中に壺が置かれている。添乗員によれば、岩壁から湧き出た水が天井をつたわってこの壺に滴り落ちているのだそうだ。この水がどこから来ているのか分からないらしいが、聖水として重要な儀式の時に使われるとのこと。

なお、ダンブッラと云うのは‘水の湧き出る岩’と云う意味で、この第2窟がダンブッラ石窟寺院の由来になっているんだそうだ。

この金網の奥には仏陀の坐像がずらっと並んでいて静寂な空間を醸し出している。また、壁や天井一面に描かれているのは釈尊の生涯やスリランカの古代の出来事がそうだが、ダンブッラ石窟寺院の長い歴史のなかで何回も塗り直されていて、現在、見られるのは18世紀キャンディ朝のものらしい。

第3、第4、第5窟

第3は偉大な新しい寺院の意味で、18世紀後半、キャンディ朝時代に造られた。長さ9mの涅槃像など50体を超える仏像がある。また、第3窟を造ったキルティ・スル・ラジャーハ王が手を合わせている立像があり、精悍な風貌が印象的である。

17時半過ぎにダンブッラを出発、30分ほどで走ってシーギリヤ・ロックが見えてきて写真ストップ、ジャングルの上に聳え立つ姿はギアナ高地で見たテーブルマウンテンを小ぶりにしたようでもある。この後、すぐにシーギリヤの宿に着く。

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