スパイスガーデンを発って30分ほど、車がキャンディに近づくにつれ車窓も間口3間の商店街からコンクリートのビルが立ち並ぶ風景に変わってきた。

ガイドの説明ではキャンディはコロンボに次ぐスリランカ第2の都市だそうだ。キャンディはお菓子のキャンディを都市の名前としているのかと思われるが、英語表記ではKANDYである。シンハラ語で山の高い国を意味する‘カンダー・ウダ・ラタ’のカンダーをヨーロッパ人が訛って発音したことからきているそうだ。

(13世紀後半、ポロンナルワの都を放棄したシンハラ王朝は南に西に遷都を続け、15世紀から16世紀にはコーッテ王国やシタワカ王国などがポルトガルを巻き込んで入り乱れた戦いを続けた。こうした中、ポルトガルに庇護されていたコナップ・バンダーラ(後のウィマラ・ダルマ・スーリヤ)がキャンディを攻略して王位に就き、ポルトガルにも対峙していき独立の基礎を築いていった。

‘山の高い国’のキャンディは周囲を山に囲まれた盆地なので、その山々が自然の砦のような役割して外敵の侵入を防いだと云われている。こうして、1815年にイギリスによって滅ぼされるまで200年間、キャンディはシンハラ文化の華を咲かせ続ける)

高台にあるレストラン で昼食の後、市内に向かう。丁度、小学生の下校の時間に当り、真っ白な制服姿が眩しい。

車がメインストリートに入ると、ガイドがこの通りをペラヘラ祭の行列が通ると言って、ペラヘラ祭の説明をちょっとだけして呉れた。ペラヘラ祭は毎年7月~8月の新月から満月の間に行われるそうだ。最近、キャンディのペラヘラ祭はスリランカだけでなく外国の観光客にも人気が高いので地元の人々は行列の始まる5~6時間前から場所取りをして待っているらしい。

そうして午後8時になると、100頭近い行列の先頭の象には仏歯が入った金の容器が背に乗せられ、鉦や太鼓を打ち鳴らす音楽隊や賑やかなキャンディアンダンサーの群れが街中を練り歩くのだそうだ。

仏歯寺

靴を預けて裸足になり、入口を入って階段を上がるとトンネルのような通路がある。その通路には天井から壁一面に鮮やかな唐草模様や人物などが描かれている。また、ペラヘラ祭の行列も絵巻物のように描かれていて興味深い。通路の天井が高いのは象が通るからだそうだ。

通路を通り抜けた処が本堂で、正面に仏舎利容器が刺繍されたカーテンが掛けられた部屋があり、手前の大きな象牙は部屋を守っているように思える。仏歯が祀られているのはこの上の2階の部屋だそうだ。

仏歯寺ではプージャ(ヒンドゥー教の礼拝の儀礼のはずだが?)と云うお祈りの儀式がⅠ日3回、朝5時、9時と夕方の6時にあり、仏歯を拝むことが出来る(実際には 容器を見る)らしいが、われらにはその時間がない。

2階に上がると、通路には地元の人たちが敬虔な祈りを奉げており厳粛な雰囲気である。不信心者もカメラをパチパチさせるのがちょっと不謹慎な気分になる。

仏歯が収められた部屋の金銀で豪華に装飾された扉の前で手を合わせ、仏舎利容器やペラヘラ祭の写真など見て階段を降りていると、ヒンドゥー教っぽい色柄のカーテンが掛けられた入口がある。プージャの時間にはカーテンが開けられ参拝者は仏歯の収められた部屋に入れるのだそうだ。

横の壁に男女の絵が掛けてある。これはインドはカリンガ国のヘママリ王女と夫で、聖犬歯をスリランカに運ぶところだそうだ。

釈尊がBC483に入滅してクシナガラと云うところで火葬された時、遺骨は8つに分けられたが、灰の中から取り出された左の犬歯はブラマッダ国王に贈られたと云う。

スリランカの伝説によれば、4世紀にその犬歯はカリンガ国の王が所持することとなったが、敵の手に落ちることを恐れた王はその犬歯を密かに娘のヘママリ王女と夫に持たせてスリランカに運ばせた。

ヘママリ王女は犬歯を髪飾りの中に隠し、2人は修行僧の姿に変装して発見されるのを避けたりして、無事、スリランカに辿り着いて犬歯を王に贈ったとそうだ。王はその聖遺物のために立派な建物を建て毎日のお祈りを欠かさなかったと言う。

その後、王都がアヌーダブラからポロンナルワなど変わる度に、聖犬歯も転々としたが終にキャンディのマリダ・マリガワ寺院に収められることとなった。そして、12世紀頃から聖犬歯は権力の象徴とされ、聖犬歯を持つ者が正当な王位継承者とされるようになった、そうな。

火葬から1000年も経た釈尊の犬歯が、1000km以上も離れたインドの東海岸にあるカリンガ国にあったとは???