午後はオプショナルとなっていて、ポロンナルワ遺跡の観光に参加する、参加者は5名である。
スリランカ仏教の第一の聖地はアヌーラダブラで、2番目がポロンナルワと言われている。
このツアーには第一の聖地が含まれておらず、2番目のポロンナルワもオプションになっている。
いかにもネイチャー志向のこの旅行社のツアーらしい。

昼食の後、ポロンナルワに向けて出発。65kmほどらしいので1時間半くらいで着くようだ。
途中、象が池で水浴びしている光景に出くわして写真ストップ。野生の象が道路脇の池にいるなんてちょっと信じられないが、先ほど国立公園の縁を通ったので、国立公園の象が迷子になったのか、あるいは、園外散歩を楽しんでいるのかもしれない。

2時半過ぎにポロンナルワに到着、先ずは大きな湖の縁で写真下車。ガイドの説明では、この湖はパラークラマ.サムドラと言い周囲が19km、貯水池として王様が造ったのだそうだ。

スリランカの王は都を造る時、最初に行ったのが灌漑用の貯水池と水路の整備だったという。農耕で生きる民にとって一番大事なことは水を確保することなので、王は統治に必要なことを熟知していたらしい。それにしてもこの貯水池は湖のようにデカイ。

(BC5世紀頃からアヌーラダブラにあったシンハラ王朝は南インドのチョーラ王朝の度重なる侵略を受け、11世紀の初め頃、ついに都を90kmほど離れたこのポロンナルワに移した。

ポロンナルワ期のシンハラ王朝はウイジャヤバーフ1世(1070~1110)王、孫のパーラクマ・バーフ王が灌漑設備や建物の建築など国の建設などに努め、さらにニッサンカ・マーラ王(1187~1196)などが仏教都市に発展させた。

ポロンナルワも13世紀後半にはチョーラ王朝の侵略を受け、都は捨てられたのでポロンナルワが仏教都市として栄えたのは200年ほどだった)

宮殿遺跡

ガイドブックを見るとポロンナルワ遺跡の観光はパラークラマ.サムドラ湖の東岸に沿って南から北に自転車で1日かかけて巡るのが良いらしいが、われらはマイクロバスでてっとり早く見物するのである。

で、最初の見物は宮殿跡、パーラクマ・バーフ王が建てた宮殿だそうで、もともとは7階建であったが現在は3階の壁までしか残っていない。だが、レンガ造りの壁は厚さが3mもあり重厚と言うか威圧的な感じであり、王の権力の大きさを窺わせる。

宮殿の裏手に出るとレンガで仕切られた部屋がいくつかあり、水洗トイレのようなものも残っている。部屋数は1000もあったと言われているらしいが、敷地の規模からしてとてもそんな容量はないと思われる。現在の50部屋くらいがいいところかも・・・・。宮殿には兵士は常駐していなかったそうだ。

宮殿から少し離れたところに石の柱がたくさん建っているとろがある、閣議場の跡だそうだ。柱には各大臣の名前が彫られていて、大臣たちはその名前の前に座って閣議に臨んだらしい。

閣議場のそばに集会場があって、土台にはいろんな形の象が刻まれている。

シヴァ.デーワーラヤNO.1

次にバスが止まったのがシヴァ.デーワーラヤNO.1(シヴァ.デーワーラヤNO.2は少し離れているらしいので、われらの見物コースに入っていない、デーワーラヤは寺院の意)

宮殿はレンガ造りであったが、こちらは石造りでヒンドゥ教の寺院だそうだ。石の積み上げや継ぎ合わせに漆喰などの接着材を使っていないそうだ。石工の技術が相当のものであったことが窺われる、当時はドーム型の屋根もあったらしい。

造られたのは13世紀、シヴァ神を祀る寺院である。仏教が隆盛していたポロンナルワに何でヒンドゥ教の寺院が造られるの? と言うことだが、ガイドの話では、当時、王妃がヒンドゥ教徒であったので彼女のために建てられたと言われているそうだ。でも、侵略してきたタミル人が建てたと言う説もあるらしい。

奥に入っていくと、小さな部屋の真ん中に直径約10cm、長さ40cmほどの石の棒が祀られている。女性もいるので、ガイドは説明しづらそうだったが、シヴァ神の象徴、男根である。捧げもののようなものが置かれているので現在でもひとびとの信仰が厚いようだ。

クワンドラングル (ダラダーマルワ)

もともとクダラダーマルワと呼ばれた城壁に囲まれた四角形の広い敷地(クワンドラングルは四辺形の意)に11の建築物が建っていた。ガイドの説明ではこのクワンドラングルがポロンナルワの仏教遺跡の中心なんだそうだ。

入口を入ったすぐ左手には全体に足場が組まれて修理中の建物がある。トゥーパラーマ(?)と言い、屋根も残っている保存状態の良い寺院だが、残念ながら現在は見学出来ない。

ラター・マンダパヤ

その寺院から少し奥に進んだところに奇妙な形をした柱が何本か立っている。近づいてみると柱は8本、蓮の茎がうねったような形に造られているようだ。ちょっと分り難いが、柱の先っぽは蓮の花の蕾のように作られているらしい。

当時は柱の上に木造の屋根があったそうで、建てたのはニッサンカ・マーラ王。王はこの寺院で僧侶の読経を聞いたと言われていたそうな。

アタダーゲ(仏歯寺)

さらに少し進むと、50本あまりの柱が立っているだけの殺風景な遺跡がある。
11世紀にウイジャヤバーフ1世によって建立された寺院(ガイドによれば柱は54本ある)、当時は木造の2階があり、その2階に仏歯が保管されていたそうだ。

(アタダーゲのダーゲは寺院、アタは8を意味する。で、仏歯など8つの遺宝(?)が保管されていたと言う説や8日間で建てられたのでアタという名前がついたと言う説もあるらしい。

仏歯のほかに聖遺物が7つもあったとは考え難いので8日間建設説に軍配を挙げたい。が、なんでそんな短期間で寺院が建てられるのと言うことだが、アヌーラダブラ時代の遺材を使ったので早く建てることが出来たらしい。ところで、アタダーゲを警備していたのはシンハラ人ではなくタミル人の傭兵だったらしい)

ハタダーゲ(仏歯寺)

アタダーゲと隣り合っているのがハタダーゲ、こちらは石の壁が残っているので遺跡らしく見える。アタダーゲより一回り大きく、間口が30m、奥行きが40mくらいありそうだ。

このハタダーゲは12世紀にニッサンカ・マーラ王が建立したのはだと言われており、アタダーゲと同じように木造の2階に仏歯が保管されていたと言う。

ハタダーゲのハタは60を意味する。で、60の 遺宝(?)が保管されていたとも、60時間で建てられたと言われているらしい。60もの 遺宝(?)は論外、王の偉業を讃えて名づけられたのだから60は60時間だと言うことらしいが、いくら王が偉大だとしてもこれだけの寺院が2日半で建つ訳がない。60日で建立したとしても、じゅうぶん偉業と言えると思うが、どうだろう。

入口の前には半円形のムーンストーンが置かれ、階段の両脇にはガードストーンが立っている。ムーンストーンは参内する前に足を拭き清めるためのもの、ガードストーンは守護神が悪霊の進入を防いでいるのだそうだ。

ムーンストーンには動物が刻まれており、1番内側が馬、真ん中は象、外側は鵞鳥(?)のようである。アヌーラダブラ時代のムーンストーンには象、馬、ライオン、牛が刻まれていたが、ポロンナルワ時代になるとヒンドゥ教の影響が強まりシヴァ神の乗り物である牛を踏みつけるのを慮ってか牛が外され、また、シンハラ人の象徴であるライオンも同じように外されたらしい。そして理由はよく分からないが鵞鳥が代わりに加えられたようだ。

靴を脱ぎ中に入ると、7~8m四方の部屋があり2階に上がる階段の跡のようなものがある。その奥に進むと少し大きな部屋となっていて、3体の仏像が立っている。左の仏像は頭部が欠け、傷みが激しい。真ん中の仏像は3m近くありそうだ。

ガルポタ

ハタダーゲのすぐ側に大きな石碑が横たわっている。石の本と言われていてニッサンカ・マーラ王を讃える碑文が刻まれているそうな。