シーギリヤ・レディ

螺旋階段を登ったところの断崖の窪みにシーギリヤ・レディがいる。
シーギリヤ・レディの壁画はフレスコ画だが、最初にもみ殻などを混ぜた粘土で岩肌を塗り固め、次に石灰と砂をまぜた粘土で中塗りし、最後に蜂蜜などを加えた石灰を厚めに上塗りして、それが乾かないうちに赤、青、緑の3色の岩絵の具で描き上げたのだそうだ。

そのシーギリヤ・レディのところは込み合って動物園のパンダ見物のようにトコロテン式に押し出されると聞いたことがあるが、朝早くホテルを出発したので先客は5~6人にしかがいない。先ずは順番にカメラに収め、その後ゆっくり見物出来そうだ。

シーギリヤ・レディはほとんどが2人1組として描かれており、宮廷の女官とその侍女のようである。
王の為かあるいは仏陀に供える為か分からないが、そっと花を持つもの、蓮の花びらを咲かせようとするもの、花を載せた盆を運んだりするものなどが艶やかに描かれている。
レディたちはエメラルドのペンダント、ブレスレット、ティアラ、花冠などで豪華に身を飾り、赤、黄色、青、緑の色彩も華やかである。人物像は輪郭線にそって赤で影がそえられてちょっと浮き上がっているようにも見える。

ペアーのうち侍女はチュニックか何かの透けた衣をまとっているが、女官は上半身素っ裸である。高貴な女性はスッポンポンで着替えなど侍女にまかせきりにしたらしいので、肌をさらすことは何ともないのかも知れない。なで肩で豊満な胸、くびれたウエイスト、魅惑的な目つきや唇など女体の妖艶な美しさを暫し堪能する。
後、近づいてよく見るとレディたちの首には首輪のようなものが巻かれている。首飾りではなさそうなのだが何なのかよく分からない。

ところで、シーギリヤ・レディたちは雲の中から現れ、腰から上を浮かせたように描かれている。
なので、これは天界に住む天女たちを描いているのだとする説があり、どうやらこの説の方が有力らしい。
これはカーシャパ王がある高僧に建設資金の相談をした時、その僧は資金調達の方法を助言したのだが、それは王がクベーラ(?)とか云う財宝の神の化身となって頂上に住み、その神を刻印した金貨を作って流通させるとよいと云うことであった。クベーラはヒマラヤの高い山の山頂に棲んでいて、雲の神とも言われているので、シーギリヤ・ロックに雲の中から現れる天界に天女たちを描いたと云うことらしい。

ヨーロッパの画家たちはヴィーナスなどの女神と称して女性のヌードを描いていたが、シーギリヤの絵師は天界の天女と称して上半身裸の宮廷の女官を描いたのかも知れないし、その逆かも知れない。

ミラー・ウォール

さて、だんだんと観光客が増えてくるようなのでシーギリヤ・レディたちに別れを告げ、螺旋階段(上りと下りは別々になっている)を降りると、すぐにミラー・ウォールがある。
高さ2mほどのオレンジ色の壁が100mも続いているようである。ネットの記事によると、このミラー・ウォールは煉瓦を積んだ壁に漆喰を塗り、卵の白身・蜂蜜・石灰を混ぜ合わせたものを上塗りして、丹念に磨き上げたものらしい。1400年もの間の雨風による風化によって現在は光沢が落ちているが、かっては、反対側の岩肌に描かれたシーギリヤ・レディを鏡のように映していたと言う。

壁にはあちこちにみみずが這ったような感じのシンハラ語の落書がある。
シーギリヤ・ロックを訪れた旅人が美しいシーギリヤ・レディやシーギリヤ・ロックの絶景などに感嘆して書き残したもので、なかには上質の詩もあるらしい。

王宮跡

ミラー・ウォールを過ぎて、少し緩やかな階段(登り口の最初の階段と、ここの階段は大理石のようである)を暫らく進むと広場に出る。ライオンのテラスと呼ばれる広場の正面に王宮に上る入口があって階段の左右に巨大なライオンの指爪が残っている。
ヘルパーに大丈夫かと聞かれ、バァ-バのご婦人も大丈夫らしいので、OKの返事する。で、休憩なしにライオンの指爪の間に入って行く。
で、狭いライオンの口の階段を上ると鉄製の階段になった。上を見やると60度もあろうかと思われる急こう配の階段が断崖にへばり付くように延びている。ヘルパーに背中を押して貰いながら、階段は何段あるのかと尋ねると、400段くらい という返事のようである。
頂上はすぐそこだと思ってOK、okと言ったのだが、後悔先に立たずである。バァーバの方は毎日散歩で神社の階段を上り下りしているのでゆっくりなら幾らでも歩けるそうだ。
シーギリヤ・レディまでの階段は20~30段上がると踊り場があって方向転換していたが、この頂上階段は100~200段も真っ直ぐに登らないと踊り場に着かない。下を見るのも横を見るのも足が震えるので、ひたすら前だけを見て一段一段のぼっていく、そうして膝がガクガクになったころ頂上に着いた。

アホと煙は高いとこに上りたがるではないが、先ずは1番高い宮殿本殿跡に上がる。ヘルパーの曰くには礎石の上に立って両手を突き上げるポーズを取るのが決まりだそうだ。 360°展望の絶景をしばらく楽しんで、少し下ると、王の沐浴場や会議上跡など王宮の施設がある。われらのホテルは何処かとカメラを望遠にして探すと、濃い緑に囲まれた青いプールが目印となってすぐ近くだと分かる。

この後、ライオンのテラスに降りて本隊が下りてくるのを待っていると、別のツアーのガイドがライオン像の復元図を示しながら説明しているので、後で、撮らせて貰った。
ライオンの指爪だけでも巨大なライオン像であったことが想像できるが、復元図を見ると一層その巨大さが実感できる。

ところで、シンハラ語でライオンは‘シンハ’と言い、‘ギリ’は岩の意味だそうだ、で、シーギリヤはこの‘シンハギリ’から来ているんだそうだ。また、ライオンは建国神話でシンハラ王家の祖先とされているとのこと。

さて、このライオン像は煉瓦と漆喰で造られたことが分かるが、頂上の王宮やこのライオン像などカーシャパ王はどのようにして造ったのだろう。大理石や煉瓦、漆喰などの建設資材をどうやって運んだのだろう。どうやって500ものシーギリヤ・レディを描かせたのだろう。
クレーンや重機のない当時、ココナッツの皮で編んだ綱や竹を組んで運搬手段にしたのだろうか?滑車の技術があったとしても、基本的には人力でバケツリレーをして運ぶしかなかったように思える。
階段を登る途中、断崖を削って造られた階段のようなものがあったが、とても安全なものとは思えない。数えきれない犠牲者が出たことは容易に想像出来る。この意味ではカーシャパは狂気の王だったと言えるのではないだろか。