最終日程表が届いても、オプシュナルツアーの料金などの説明書やEチケットが同封されていないし、また、依頼していた国内線の帰り便の羽田経由への変更についても連絡がなく心配になって担当者に確認すると、そんな依頼があったのと云う感じであった。
出発までには何とか間に合ったが、バタバタはこの旅行社のお得意なのかも知れない。

当日、13・15の出発予定時刻が機材到着遅れとかで1時間近く遅れる。スリランカ航空は保有航空機が20機ほどらしいのでやり繰りが大変なようだ。
また、滑走路に入ってからの順番待ちで、さらに30分ほど遅れてようやく離陸する。

機種はA330-300、新品のピカピカの感じである。機内は300ほどの席がほぼ満席である。最近、スリランカ観光に人気が高まっているようなのでスリランカ航空も成田~コロンボ路線に最新鋭機を導入しているようだ。

食後、出発前にバタバタでプリン・アウトしたウィキペディアを取り出してスリランカの予習を泥縄で始める。

まずは、

国名

スリランカ民主社会主義共和国と云うのが正式名称である。我々の世代ではセイロンが馴染み深いが、1978年にスリランカ共和国に改称した。

スリランカの「Sri」は「光り輝く」、「lanka」はセイロン島の意なので、スリランカは「光り輝く島」と言う意味である。

面積

65000km2、(北海道の80%ほど)

人口

2千万人くらい。シンハラ人が75%、タミル人が15%、イスラムが9%など

宗教

仏教70%、ヒンドゥ教13%、イスラム教10%にキリスト教徒が7%ほど。仏教は日本と違って、釈尊の教えに近いとされる上座部仏教が守られている。

首都

スリジャヤワルダナプラコッテ(コロンボの南10km、30年前にコロンボから遷都)

舌を噛みそうだが、スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテの合成語。ジャヤワルダナは大統領の名前、プラは街、コッテは古くからのこの町の名前。一般にコッテと呼ばれている。

歴史

BC5世紀 シンハラ人の先祖に当たる人々が北インドから移住して王国を作った。王都はアヌラーダプラに置かれた。
BC3世紀 アショーカ王の王子マヒンダによって仏教が伝えられ、上座部仏教を主体として仏教が興隆する。その中心となったシンハラ人の多くは現在までその信仰を守ってきた。
BC2世紀
南インドからタミル人を主体とする断続的な移住者があり、現在のスリランカ.タミル人の原型を形成した。
AD5世紀 アヌラーダプラで父を殺した王子がシーギリヤ・ロックの岩山の頂に宮殿を築いて遷都、カッサパ1世となる。しかし短期間で終わる。
11世紀 11世紀の初め、南インドのチョーラ朝の侵攻によりアヌラーダプラ王都は放棄され、アヌラーダプラの南東90キロのポロンナルワに王都は移動する。11世紀後半にはチョーラ朝の勢力を撃退、ポロンナルワ王国は繁栄の時代を迎える。
13世紀 13世紀後半になると、またチョーラ朝の侵入が激しくなり、ポロンナルワを捨て王都は中部.南部に遷都を続ける。マルコ.ポーロが来島し、『東方見聞録』に記録を残す。
15世紀 15世紀後半、中央部にキャンディ王国 が成立、周囲を山に囲まれ自然の砦のような地形が外部の侵入を防いだ。
16世紀~19世紀 ポルトガル、オランダ、イギリスが次々と植民地化、キャンディ王国は1815年に消滅する。
20世紀 1948年、イギリス連邦内の自治領として独立、国名はセイロン

1956年、シンハラ語公用法案の制定やタミル人を公務員から排除するなどしたため、シンハラとタミル人の争いが激化

1972年、仏教を準国教とする憲法が制定され、タミル人は分離独立を主張し内戦が始まる

1978年、 スリランカ民主社会主義共和国となる

1983年、 タミル・イーラム解放の虎の活動が激化

21世紀  2009年、 タミル・イーラム解放の虎が敗北宣言、内戦終結

BC5世紀と言えば、日本では縄文時代の後期である。万世一系ではないだろうがシンハラ人の王朝が2300年以上も続いたことになる。また、日本の仏教伝来は6世紀とされているので、スリランカには800年も前に伝えられたと言うことのようだ。長い歴史の重みを感じるが、国内の内戦が終結したのはつい5~6年前である。このギャップをどう見たらいいのだろう。