リボン市内観光 

美術館見物の後は、15番線の市電に乗ってバイシャ地区のコメルシオ広場まで戻る。サン・ジェルジェ城から下る時に見たごとごと走る市電と違って、この線の市電は2両編成で新しい。退社時間と重なったので車内はスシ詰め、1日切符が市電にも使えるので安心だが、車内で切符を買える状態ではない。観光客は無賃乗車になってしまいそうだが、余計な心配なんだろうか。

コメルシオ広場

1辺が200mほどの広場である。中央にはジョゼ1世(1714~1771年)の騎馬像が立っている。改革王と呼ばれているが、本人はオペラなどに夢中で行政はポンバル候に任せきりにしていたようだ。ポンバル候が産業の振興や学校の建設、奴隷制の廃止などの近代化を進め、ポルトガルの遅れを取り戻したと言う。

コメルシオ広場にはマヌエル1世の宮殿があったが、1755年のリスボン大震災後、ポンバル候が宮殿跡を広場にして、3方を囲むよう主要官庁を配置している。

フィゲイラ広場

コメルシオ広場の勝利のアーチをくぐると、アウグスト通りがロシオ広場につながっているが、午前中から3度目のバイシャ地区なので2本東のプラタ通り(銀通り)を歩いてフィゲイラ広場に着く。もともと一帯には大きな病院があったらしいが、大地震の後は市場になったようだ。フィゲイラ広場として整備されたのは20世紀の中頃のことである。市電やバスの発着センターとなっており、観光客でいつも賑っているようだ。広場の中央に立っている騎馬像はジョアン1世である。

ロシオ広場

フィゲイラ広場のすぐ西にあるのがロシオ広場、旧市街の中心でリスボンっ子の待ち合わせ場所であり、古くからのカフェなどが周囲にある。

これでロシオ広場には午前中から3度も足を運んだことになるが、観光客にとってもこの広場がリスボン観光の中心になるようだ。

広場の中央の円柱の上にペドロ4世の像が立っている。ペドロ4世はブラジル王としてはペドロ1世であるが、この時代のポルトガルの歴史は複雑である。ポルトガルがヨーロッパの後進国となった要因の一つでもあるようだ。

この後、リベルダーデ通りのプラタナスの歩道をぶらぶらして、ソフィテルホテルに向かう。

シーフードの晩ご飯

ポルトガル最後の晩ご飯は、ツアーの食事に出てこなかったポルトガルのシーフード鍋料理、カタプラーナにしませんかと参加者を募って札幌、横浜の若い女性と東京の母娘の5人でソフィテルホテル近くのレストランを予約している。

席について、前菜、カタプラーナとシーフードのリゾット、ワインはブランコとオーダーすると、お目当てのカタプラーナはやっていないと言う。

仕方がないのでメニューを見直すと、この店の自慢料理らしいシーフードの盛り合わせがあり、値段はダブルだと€70。ちょっと高いが最後の晩餐だと思って散在することに決める。ワインを飲み、蟹の足をプラスチックのハンマーで叩いて身を取り出したり、貝の一種のペルセーヴシュ(Perceves)をおそるおそる口に入れたりしながら、旅の話に花を咲かせてひと時を楽しく過ごす。

グルベンキアン美術館

グルベンキアン美術館見学

日本に向けて出発する日だが、ホテル出発が11時20分、歩いて3分ほどのグルベンキアン美術館を見ない手はないので、荷物の整理を早めに済ませてホテルを出る。
グルベンキアン美術館は緑が生い茂る広大な敷地のなかにある。

パンフレットによれば、グルベンキアンはアルメニア系のトルコ人で石油産業のパイオニアとして財を築く一方、美術品の収集家として第1級の審美眼と知識を持っていたという。第2次世界大戦が激しくなる1942年、彼はリスボンに移り、残りに人生をリスボンで過ごし、1955年に生涯を終えている。

40年以上に亘った蒐集してきた美術品を一つの屋根の下に集めたいという彼の願いに答えるために1965年に財団が設立され、1969年には古代オリエントから20世紀初頭のヨーロッパ美術にいたる6000点を所蔵するグルベンキアン美術館が創立された。

駆け足で展示の順番に見ていく。
エジプトの部屋には、片膝を立てた官吏の坐像、手を上下に振って歩く若者の立像、おっぱいがキュントと立っているスレンダー女像、ネコ、など。

メソポタミヤ文明はアッシリアのニムルド宮殿からのアッシュールナシュバル王のレリーフ。シリア旅行でお馴染みになった有翼のレリーフである。

ギリシャの壷、ローマの女性頭部像、イスラムの陶器やタイル、ペルシャ絨毯、中国の清朝の青花陶器などを駆け足で見てヨーロッパ絵画のセクションへ。

15世紀、ウエイデンの聖ジョセフの肖像、ドメニコ・ガーランダイノの若い女性の肖像から始まって、ルーベンスはヘレナの肖像、レンブラントは老人の肖像。

グルベンキアンは長い間、パリに住んでいたので18世紀、フランスはラ・トゥール、フラゴナール、ブーシェなどなど。

ミレーの冬、ターナーの貨物船の遭難に続いてドガ・・・・ヘンリー・ミシェルレヴィの肖像、モネ・・・・静物、ボート、氷の融けだし、マネ・・・・シャボン玉を吹く少年、サクランボを持つ年、ルノアール・・・・モネ夫人。
ファンティン・ラトゥル・・・・ 読書
アントニー・ウードンの彫刻、ダイアナはグルベンキアン美術館の至宝とか。

おまけのようなグルベンキアン美術館の見物をして、ポルトガル見物はお仕舞い。

10月半ばのポルトガルは、太陽がさんさんと照り、カラフルで明るい南国でありました。哀愁のポルトガルは期待すべくもありませんが、もう一度ゆっくりと旅をしてみたいと思わせる国でした。

油絵と見間違えるサン・ロケ教会の洗礼者ヨハネの礼拝堂の祭壇画、静謐を感じるアルコバサのサンタ・マリア修道院と聖職者も礼拝を拒んだと言うきんきらきんに飾り立てたポルトのサン・フランシスコ教会が特に印象に残ります。