旧大学

コニンブリガ遺跡から再びコインブラに戻り、現大学の校舎の間にあるディニス王広場の近くでバスを降りる。

さて、改めてコインブラ、政治のリスボン、商業のポルトに次ぐポルトガル第3の都市コインブラは文化の都市である。 人口は15万人、このうち学生が2万5千人だという。中世の時代からの建物がそのまま残る街並みが続く落ち着いた街であるが、それでいて、若者が多いので最先端の流行なども行き交う街でもある。

歴史的にはポルトガルの最初の首都が置かれてから、1255年にリスボンに遷都されるまで116年間近くポルトガルの首都であったが、コインブラの発展は多くの政治家、経済人や文化人を輩出しているコインブラ大学が寄与するところが大きいと言われている。

学生は入学する時、カッパと呼ばれる黒いマント、制服、カバンなどを購入し、所属する学部を表す赤、黄、青などのリボンを付けるんだそうで、カッパをひるがえしながら町を闊歩するそうだ。

コインブラ大学の前身となる大学は1290年にディニス王(1261~1325)によってリスボンに創設され、1308年には追放されてコインブラに移り、その後リスボンに戻ったり、コインブラに移ったりを繰り返して、1537年に最終的にコインブラに落ち着いたようだ。

ディニス王

ディニス王はポルトガル歴代の王のなかでも特段に傑出した王であった。

国境に50をこえる城を建設したり海軍の創設もしたが、レコンキスタが完成した時期でもあってか、国のインフラ整備に治世の主眼を置いた王と言われている。農民王と呼ばれた王は、沼沢の干拓や荒地の開拓をして農地を拡大したり、農地を農民に再配分したり、植林や銅や銀などの鉱山の開発、捕鯨やマグロなどの漁業、自由市を作って商業の促進を図ったり、輸出にも力を注いだという。一方、彼は偉大な詩人であり文化に深い関心を持った人で、彼の時代にはリスボンはヨーロッパの文化と知識の一大センターであったそうだ。こうしたなかでコインブラ大学の前身がリスボンに生まれたらしい。

鉄の門をくぐると、右手にラテン回廊、正面には右端から時計塔、礼拝堂や図書館の建物がコの字形の中庭を囲んでいる。時計塔は学生達からカブラ(山羊の意)と呼ばれ、大学のシンボルとなっていたという。

ラテン回廊は修復中で正面はテントで覆われており、礼拝堂は結婚式が行われていて観光客はオフ・リミット。

図書館

急遽、添乗員が図書館見学のオプションを提案、4€を払って参加する。図書館は30人ほどに入場制限され、一つのグループの見学が終わると次のグループが入るようになっている。内部は金泥細工で華麗に装飾された3つ部屋に分かれ、一番奥の部屋にはこの図書館を作ったジョアン5世(1689~1750)の肖像画が掲げられている。図書館は30万冊を所蔵するといい、荘重な装飾が施された書架に3万冊ほどが展示されている。見学のスペースは狭いので混雑し、入口の足元のカメラ禁止のマークが目に入らなかった。ガイドさんが注意をしている間に間違いついでに、2~3回シャッターを押す。

中庭のテラスからコインブラの景色を眺め、ラテン回廊の通路を歩いて、旧大学の見物は終わり。

旧大聖堂

大学から坂道を下っていると、途中に旧大聖堂がある。 アフォンソ・エンリケスの命で1140~75年に建造されたポルトガルで最も古い聖堂だそうだ。

狭い窓に厚い壁、ロマネスク様式の建物で、いかにも堅牢な要塞と言った感じである。リスボン大聖堂やポルト大聖堂などは後世に手が加えられているので、ロマネスク様式がそのまま残っている建築としては、この大聖堂がポルトガルで唯一残るものらしい。

観光の予定には入っていないが、内部を見ることが出来るということで皆さんの後について中に入る。身廊は飾り気のない禁欲的な感じであるが、正面の聖母マリアとキリスト像が飾られたゴシック様式の巨大な中央礼拝堂は荘厳そのも、近づくと圧倒される感じである。15世紀のものだそうだ。

右手にある礼拝堂にはキリストと10人の使徒、4人の福音伝道者などの像が飾られている。16世紀、ルネッサンス期のものだという。(旅の日程へ)

この後、イスラム時代の城壁の跡が残るアルメディーナ門まで降りて、短いフリータイムになる。