ポルト~ナザレ

ドン・ルイス1世橋の近くの賑やかなレストランで昼食をとった後、次の観光地のナザレに向かって出発、220kmほどの走行距離でこのツアーでは1番長い。
ポルトからリスボンへ帰る旅程であるが、地理的にはナザレはコインブラよりリスボン寄りにある。

ファド

旅程の説明やら観光地の復習などの後、添乗員が道中の慰みにとファドのCDをかけてくれる。

ファドは19世紀の中ごろにリスボンの下町で生まれ、場末の酒場などで歌い継がれた大衆音楽だったそうだ。ファドには運命という意味があり、実らぬ恋、親しい人との別れ、過ぎ去った時、かなわぬ夢など運命に翻弄される人々の哀惜と憂愁を歌ったものが多いと言う。

CDから流れてくる男女の歌声はギターに合わせて切々と歌いあげる哀調の旋律なんだが、同じ社会の底辺で暮らす民衆の歌でもペルーで聴いた哀愁漂うフォルクローレとはちょっと違う感じである。

音楽音痴には説明が出来ないが、フォルクローレはすっと頭に入り、心が揺さぶられる思いであったが素朴な旋律のためなんだろうか。

ナザレ観光

3時間ほど走ってバスが着いたのがナザレのシティオ地区。ナザレの町は長い砂浜に沿って広がるプライア地区と100mほど崖の上のシティオ地区がある。

添乗員によれば町の名前は、8世紀、西ゴートの王がロマノという僧を供にシティオにやって来た時、僧が持っていたマリア像が現在のイスラエルのナザレのものだったことから来ているそうだ。

また、12世紀初めのある霧の深い朝、ロピーニョという貴族が馬に乗って狩りをしていて獲物の鹿を岬の端まで追いかけていくと、鹿が急に姿が消えてしまう。

馬は崖の上で後足で踏ん張っている格好で、前足の下には断崖と深海が迫っていた。その時、聖母マリアが目の前に突然現れ、馬は後すだりして貴族は九死に一生を得たのだそうだ。

ロマノが死ぬ前に隠したと言われるマリア像が後になって再発見されたことやこの聖母マリアの奇跡が伝わって、巡礼者がナザレに押し寄せるようになり、聖母マリアのために聖堂が建てられたという。

広場の端の展望台からの大西洋の眺めが素晴らしいですよ、それと土産物売りなど地元の女の人を見て下さい、小学生のような短いスカートを6枚も7枚も重ね着してユーモラスですよと言われてフリータイムとなる。

ノッセ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会

まず、広場に西側に建っているノッセ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会に。
ミサが終わっているので出入りも写真も自由。現在の教会は聖母マリアの聖堂の跡に17世紀に建てられたもの。

中央祭壇のまわりは旧約を描いたアズレージョで飾られ、祭壇の横から祭壇の裏に通じる通路に入ると、ここもアズレージョで埋め尽くされている。

奥の階段を上っていくと中央祭壇のキリスト像の真下に出る。教会の内部を中央祭壇から見下ろしたのは貴重な体験で、少しばかり厳かな気分になる。
キリスト像の足元にあるのが件のマリア像なのだろうか。

メモリア礼拝堂

広場を横切って展望台の方に進むとすぐ脇に小さな礼拝堂がある。この礼拝堂が建っている場所が聖母マリアの奇跡のあったところで、あの貴族が感謝の印に建てたものだという。

礼拝堂の裏側には彼が馬に乗って崖から落ちそうになっている様子が描かれたアズレージョがある。

展望台

ヨーロッパ旅行をしても大西洋を見ることはめったに無いので、日が少し傾き、空も曇っているが、眼前に広がる大西洋展望台からプライア地区を眺めると、砂浜に沿って白い壁にオレンジの屋根のコントラストが美しい家並みが続いている。かってはイエスが育ったナザレと同じように寒村であったこの地も、今は観光客で溢れ、明るくて陽気な町に変身。スペインのコスダ・デル・ソルを見るようだ。

われらがナザレの宿もモダンな感じで、部屋はオレンジ色で統一、洗面所など水まわりもいかにも都会風でおしゃれである。