サンタ・クルス修道院

コインブラはモンテゴ川沿いの丘に広がるこじんまりとした町である。
徒歩で観光出来ますと言うことで、先ずはコインブラの旧市街の中心地、5月8日広場に面して建つサンタ・クルス修道院へ。

サンタ・クルス修道院の創設は1131年だと言う。アフォンソ・エンリケスがコインブラに軍を進めレコンキスタに参加したのが1131年だと言われているので、コインブラに拠点を置いて直ぐに建設を始めたようだ。アフォンソ・エンリケスがポルトガル国王アフォンソ1世を名乗るのは10年近く後のことである。

修道院のファサードはマヌエル様式を思わせる装飾が施されているが、16世紀前半、修道院はマヌエル1世の命で完全に改装され、当初のロマネスク様式の建築は残っていないらしい。

ガイドさんによれば、サンタ・クルス修道院はポルトガルでも由緒ある修道院で、中世にはエリートのための会合場所であったそうだ。修道院付属の学校もあり、あの魚まで話を聞きに集まったという故事が描かれたサンロケ教会の礼拝堂の主、聖アントニオもこの修道院で学んだと言う。ポルトガル初代のアフォンソ1世と2代目のサンチョ1世の棺もこのサンタ・クルス修道院に安置されているそうだ。

ミサが行われているので、入口を入ったところで中央祭壇や壁のアズレージョを眺めて修道院の見物はお仕舞い、写真も禁止である。

この後、5月8日広場からポルタジェン広場近くのバスの待ち合わせ場所まで移動する。5月8日広場から始まるヴィスコン・デ・ルスという通りが、途中で名前を変えてフェレイラ・ボルジェスという通りなってポルタジェン広場に至るが長さは400mほど。4~5mほどの道幅の左右にはブッティック、カフェ、土産物屋などが軒を連ねるコインブラのメインストリートである。

ポルタジェン広場はモンデゴ川に架かるサンタ・クララ橋の袂にあり旧市街への入口になっている。添乗員は‘お支払の広場’と言っていたが、入口の広場という意味のようだ。 (旅の日程へ)

コニンブリガ遺跡

コインブラからコニンブリガ遺跡へは20分ほど、10時前に着く。
ガイドさんによれば、コニンブリガ遺跡はケルト人の集落跡に築かれた古代ローマの都市で、BC1世紀頃から5世紀に西ゴート人に滅ぼされるまで、リスボンとブラガを結ぶ交通の要衝として栄え、最盛期には1万人の人口を擁していたそうだ。遺跡は1912年から発掘されているが、まだ10%程度しか発掘されていないという。

遺跡の中に入ると、ローマ街道が城壁を貫いて東西に伸びている。城壁の外にもローマ街道の左右に屋敷跡がある。左手の屋敷は中庭が2つもある大きなもので、床に絨毯のようなモザイクが敷き詰められている、モザイクの模様がカギ十字の形をしているところからスワスティカの館と呼ばれるそうだ。

同じような屋敷跡をさらに左に進むと、浴場跡のようなものがある。

ガイドさんによるとSPAだったそうで、正面には大きな丸いスチームサウナが復元されている。右手の煉瓦のトンネルから熱湯が流れ来る仕掛けになっていたという。熱い風呂、冷水風呂、プールなどもあったそうだ。

サウナはセメントで形を復元しているようで、手っ取り早く形状が分かれば良しとする安直な感じである。言ってみれば、古代の住居の間にモルタル作りのアパートを割り込ませたようなもので違和感が甚だしい。ポルトガル人の古代遺跡への関心はこの程度のものなんだろうか。

城壁の中に入り、カンタベルの館跡を見る。スワスティカの館を数倍したような大きな館で、屋敷内に自前のローマ浴場や高度な暖房設備、プールや列柱に囲まれた中庭、中庭に面した寝室などヨーロッパのローマ遺跡のなかでも最大級の貴族屋敷だそうだ。当時の貴族の生活の豊かさと経済力が窺えて興味深い。

この館から少し奥に進んだところにローマ遺跡には付き物のフォーラム跡が発掘されているそうだが、円形劇場の発掘は未だ着手されていないらしい。

城壁の外に戻ると、ローマ街道の右手に噴水の館があり、手前には保存状態のよいモザイクが残っている。テント屋根で覆われているところは水路に囲まれて草花が植えられた庭園風に復元されている。案内板によると、噴水の館はかなり大きな屋敷で、入り口が2つ、門番の部屋、厨房、執務室、中庭、寝室などがあり、庭園のように復元されているところはプールであったらしい。水洗トイレも備えていたようだ。

この後、遺跡からの出土品が展示されている博物館を見る、興味深いのはフォーラムの復元予想図で、かなり完成度の高い神殿が造られていたらしい。

これでコニンブリガ遺跡の見物は終わり、因みにコインブラは名前から分かる通りコニンブリガが起源である。