シラクーサ観光

オルティージャ島

オルティージャ島にはバスは入れないとかで、昼食のレストランへ20分ほど歩く。
橋を渡ったすぐ正面にアポロン神殿跡がある。ドリス式の神殿であったそうだが基壇と柱が僅かに残っているだけなのでどんな神殿であったのか想像もつかないが、柱はドラムを重ねたものではなく一本柱のようだ。

アポロン神殿の写真タイムの後、しばらく歩いているとアルキメデス広場に出る、添乗員によるとニンフのアレトゥーザをモチーフにした噴水で、中央に立っているのがアルテミス女神、右手にいるのがアレトゥーザ、左にいるのが川の神アルフェイオスなんだそうだ。アルフェイオスに追いかけられたアレトゥーザは女神アルテミスに頼んで泉に変身させて貰っているところらしい。

ライスコロッケの昼食の後、ガイドさんと合流してシラクーサ観光が始まる。添乗員によるとこのガイドさんはやたらに詳しく話が長いそうで、通訳が間延びしてしまうので添乗員泣かせなんだそうだ。

旅行社のパンフレットでは予定されていなかったオルティージャ島も本土に帰りながらガイドさんが説明して呉れるそうだ。

大聖堂

鼻歌を口ずさみながら歩くガイドさんの後をついていくとバロック様式の大聖堂が見えてくる。
聖堂に入ってガイドさんの説明が始まるが、なるほど話が長い、添乗員が通訳のタイミングを測っているがお構いなしに説明が続く、

そもそもここにはBC480年にヒメラの戦いでカルタゴに勝利した記念に僭主ゲロンが建立したアテナ神殿があったが、ビザンチン時代に神殿を教会に転用したものだそうだ。バロック様式のファサードは17世紀に地震で倒壊した後、建替えられたもの。

アテナ神殿だった証拠が残っていますと言われて、右手の側廊をみると巨大なドリス式の柱が完全な形で壁に組み込まれている。壁が耐震の役割をして地震の倒壊から免れたのかも知れない。このドリス式の列柱に因んで、大聖堂は列柱のマリア (Santa Maria delle Colonne)と呼ばれているらしい。

それにしてもキリスト教は一神教でローマやギリシャアの神々を徹底的に排除したと言われているが、アグリジェントのコンコルディア神殿やこの大聖堂など教会に転用したりしてチャッカリしているなという感じである。

聖ルチア礼拝堂

後陣の主祭壇をちらっと眺めて右手に移動するとサンタ・ルチアの礼拝堂がある。
サンタルチアはナポリ民謡で有名なのでナポリの人かと思っていたがシラクーサ人だそうだ。当時はローマがキリスト教を迫害していた頃で、ルチアも罪を着せられ殉教したという。

聖ルチアはシラクーサの守護聖女とされているが祭壇に安置されているのはルチアの左腕の骨の一部だけだそうだ。聖ルチアの遺骸は数奇な運命を辿り、現在ヴェネチアの教会に安置されているというが、教会の世界にもいろいろあって生まれ故郷のシラクーサには帰れないらしい。小ぶりな肖像画が祭壇の上に飾られている。

アレトゥーザの泉

大聖堂を出て、南に移動していると海岸の際に丸い石囲いの泉がある。

ガイドさんによれば、この泉はアレトゥーザの泉と呼ばれ真水が湧いており、泉の中ほどにかたまっている植物はパピルスなんだそうだ。パピルスと言えば、古代エジプトで死者の書やヒエログリフが書かれたりしたもので、エジプトツアーでは土産物屋で茎から紙にする工程を実演して呉れたりしている。

それにしても、小さい島の海の際に真水が湧いているとは不思議である。ガイドさんの説明では本島から地下水が島の地下を通って来て、ここで湧き出しているらしい。アルキメデス広場で見た彫刻はこのアレトゥーザの泉に因んだものである。泉の傍らにも川の神アルフェイオスがアレトゥーザを追いかけているオブジェが置いてある。

ギリシャ旅行のミニクルーズで行くエギナ島のアフェア神殿の主、アフェアもアルテミス女神のニンフだったと思うが、アルテミスのニンフにはよほど美人が多かったらしい。

この後、西海岸の遊歩道、フォロ・イタリコを散策しながらバスに戻る。