タオルミーナ~アルベロベッロ

イタリア半島本土へ

予定より少し早めにタオルミーナを立ち、40分ほどでシチリアとイタリア半島をつなぐ玄関口、メッシーナに到着。

昼食の後、1時過ぎにバスごとフェリーに乗り込む。甲板に出てみると太陽がいっぱいのメッシーナの街並みが目の前に広がっている、いよいよシチリアとはお別れである。

フェリーの乗船時間は20分ほど、あっと言う間に本土のヴィッラ・サン・ジョヴァンニ(車で渡る場合はレッジョ・ディ・カラブリアではなく13kmほど北にある、こちら)に着く。

イタリア半島のつま先がカラブリア州で、土踏まずのターランド湾の1部にバジリカータ州が顔を出し、踵の部分がプーリア州となっている。プーリア州のアルベロベッロに向けて506kmの長旅が始まる。

A3号線で北上、左手には美しいティレニア海が広がり、右はアペニン山脈の最南端のアスプロモンテ山麓の高台が続いている。しばらくするとA3号はティレニア海から離れ高原地帯を走り続け、ピッツォと言う町の辺りで再びティレニア海が見えてくる。この後、州の中央部のカタンザーロ県やコゼンツァ県などにまたがる広大なシーラ山塊(高原)をドライブ。(シーラ高原には1000m前後の山が連なり、最高峰は1929mのボッテ・ドナート)

コゼンツァ(コゼンツァ県の県都、周辺人口を含めると25万人)を過ぎ、さらに一路北上、隣のバジリカータ州にまたがるポッリーノ国立公園の山々を見ながらA3号に別れ、シバリと言う町を過ぎるとイオニア海のターランド湾に進んで行く。

アルベロベッロの歴史など

話は前後するが、トイレ休憩の後、アルベロベッロについての添乗員のレクチュアー、「アルベロベッロとは‘美しい木’という意味です。何故‘美しい木’という名前がついたかと言うと、ずっと昔にはこの辺りは樫の木が茂る美しい森が広がっていたので、そう呼ばれるようになったと言い伝えられています。(本当はラテン語で‘戦いの森’の意味だと、市長のインタビー記事か何かで読んだ気がするが、‘美しい木’の方がロマンがあってよろしい)

続いて、アルベロベッロの歴史について、「15世紀後半のスペインが南イタリアを支配していた頃、アルベロベッロ周辺の領主にジャン・ジィロラモ伯爵と言う人がいました。当時、建物を新しく建てるには王の許可が必要とされており、建物には税金が課されることになっていました。

とんがり帽子の屋根はモルタルなどの接着剤を使わず石灰岩の平板(キャンカレッレ)を積み重ねたものなので取り壊しは容易に出来き、徴税官の来ることを察知すると伯爵は農民達に一晩で屋根を壊させて、徴税官に屋根がないものは家ではないから税金は払いませんと言わせたそうです。そうして、徴税官が帰っていくと、また、屋根を元通りに直しました」

つまり、アルベロベッロのとんがり屋根は悪賢い伯爵が税金逃れを企んだ結果ということらしいが、屋根を壊したとしても建物の壁が残っており、屋根材のキャンカレッレが付近に散らばっていただろうから徴税官は何が行われたか容易に分かった筈である。また、円錐形の屋根をしょっちゅう壊したり、積み直したりする職人の技術が要るだろうし、そう簡単なものとも思えない。

ちょっと眉唾ものだが、ジャン・ジィロラモ伯爵と言う実名が登場するし、その後、領民が過酷な伯爵家を国王に訴えて、王直属領になったという話も伝えられているのでまんざら作り話という訳でもなさそうだ。となると、当時の家は石を組み立てるだけのもっとプリミティブなものだった、となるのだが・・・・・

屁理屈は置いて話を戻すと、「とんがり屋根が1つの家はトゥルッロと言い、とんがり屋根が2つ、3つ、それ以上ある場合はトゥルッリと呼ばれています、単数形がトゥルッロで複数形がトゥルッリです。

アルベロベッロにはトゥルッリが1400戸ほどあると言われております。トゥルッリがかたまった地区があり、普段滅多に目にすることがない風景ですので楽しみですね。

3角屋根を積み上げる職人のことをカベンタリと言いますが、トゥルッリの屋根にはたいていマークが描かれています。マークには意味があって、キリスト教に関連するもの、呪術的なもの、惑星を表すものなどがあります。

そして、3角屋根の頂上にはピナクルと呼ばれる小尖塔がのっています。このピナクルにもいろいろな形のものがあり、もともとの意味は魔除けだった言われています。風見鶏のようにも見えますが固定されていて動きません。

どんなマークがあり、どんな形のピナクルがあるのか、プリントを用意しているのでお配りします、トゥルッロの構造を簡単に図解している絵も付けているので参考にして下さい」

配られたA4サイズのプリントを見ると、マークには太陽、月、火星などや色々な形をした十字架 、三叉ほこなど多士済々である。これらは一種の紋章のような気がするが、各家が一番目立つ屋根に自らの希望や信仰などを表現しているのであろうか?

ピナクルと呼ばれる小尖塔は何れも‘魔除け’にしてはちょっと大人しい気がするがどうなんだろう? シリア旅行で見たメソポタミアの‘魔除け’は悪魔を撥ね付けるような凄みがあったが、アルベロベッロの悪魔は優しいのかも知れない。

トゥルッロはどのように造られてのいるのか興味があったが、構造図を見ると円錐形の屋根は2重構造になっているようだ。屋根の内側は石を少しずつ内側に持ち送るように積み上げていきドームが造られている。上からの重力を分散させるには円錐形のドームにするのが一番合理的である。 そうして、内側の石の上に砂利を詰めて平らにし、外側は薄く割ったキャンカレッレを空積みにして屋根を完成させると言うことのようだ。

今日も日暮れになり、とんがり帽子のような屋根がところどころに見えるようなってしばらくしてアルベロベッロの宿に着く。