ポンペイへ

ボンゴレの昼食(美味しかった)の後、高速船でソレントに渡り一路ポンペイを目指す。

離団書

ポンペイに行くと友人に話したら、‘秘儀荘を見てこい、ポンペイの赤と言われる壁画は一見の価値がある’と言われていたので、添乗員コールの時に秘儀荘を見たいので見学コースに入っているか、フリータイムに見る時間があればいいけど、そうでない場合は次のナポリ市内観光をキャンセルしてポンペイに残りたい旨を告げていた。

で、昨日の添乗員の話では、ポンペイの観光は1時間半の予定なので秘儀荘はちょっと無理かもということで、朝ホテルを出る時に離団書を添乗員に預けてある。いずれにしてもガイドさんに聞いてみるそうだ。

さて、ポンペイはAD79年にヴェスヴィオス火山が大噴火して、当時2万5千人が住んでいたと言われる町が一瞬にして火山灰や土石に埋もれてしまった古代ローマ時代の都市遺跡である。

発掘によって、よく知られているように2000年前の町がまるで昨日まで人が住んでいた町のように再現されている。

町の政治経済の中心であったフォロ(フォーラム、アゴラと呼ぶところもある)、ローマ人が熱中したローマ劇場や円形闘技場、ローマ人の好きな浴場、豊かなポンペイを象徴する大邸宅、日常生活が分かる居酒屋やパン屋などがよくテレビや雑誌で報道されている。

また、2000人に余りの逃げ遅れて死んだ人の石膏像は画面で見ても痛ましく、現物を見るのは興味深いが直視できるか、ちょっと心配だ。

ポンペイ遺跡

フォロ周辺

マリーナ門を潜ると、石畳の道路が真っ直ぐ広場の方にのびている。車道と歩道が分けられていて、両側の歩道は馬車が通る車道より少し高くなっている。

車道の真ん中が少し高くなっているのは雨水を溝に流し易くするためらしい。車道が冠水した時のために飛び石の横断歩道が作られているのもテレビでよく見た光景である。

歩道や車道をよく見ると石畳の間に白い石が埋め込まれている、何かで読んだ気がするが、これが光って夜道の事故防止の役をしていたものらしい。

200mほど歩いた突き当たりの広場がフォロ。ガイドが二言三言しゃべって写真タイムとなる(今日のわれらがガイド殿はガイドの役はうっちゃって添乗員にべったりくっ付いている中年のイタ公といった感じである、通常は敬称をつけてガイドさんと呼んでいるが、今日は呼び捨てにする)

フォロ

フォロは幅、38m、奥行が142m、サッカーのピッチを少し細長くした感じである。ポンペイの政治、経済、宗教の中心の広場で、当時は広場の北側には縦37m、横17mの基壇の上にジュピター神殿が建ち、東西と南の3方は2層の列柱廊が囲んでいたと言う。

現在は神殿の基壇が残るだけ、列柱廊も一部が復元されているだけだが、ヴェスヴィオス山を背景にした当時の壮麗な姿が目に浮かぶようだ。

アポロ神殿

フォロの西側には保存状態が少し良いアポロ神殿があり、前庭の列柱のそばに東西に向き合ってアポロとディアナ(ギリシャ神話のアルテミス、アポロンと双子であった。英語ではダイアナ)の彫像が置かれている。オリジナルはナポリの博物館に所蔵されているので、ここにあるのはレプリカ。

バジリカ

アポロ神殿から道路を渡って南側に移るとバジリカがある。初期の段階では集会や商取引の場として使われていたが、その後、裁判所として使用されるようになった。

保存状態はよいが、建物の外からちらっと眺めるだけなので内部がどんな構造になっているのか分からないが、長方形のプランで柱が2列に並ぶ3廊式になっている筈である。(ヨーロッパの教会建築様式でロマネスク以来、バジリカ式と呼ばれるプランはここからきている)

フォロの南側は市役所など行政機関の建物、フォロの南東の端から市の東西を貫くメインストリートのアッボンダンツァ通りがのびている。(旅の日程へ)

公設市場

短い写真タイムの後、フォロの東側にある公設市場(両替所が併設されていたらしい)に入る。

中庭に円形に据えられた石の土台が残っており、この上に水槽がのっていて魚を泳がせていたらしい。活魚の取引もされていたようだが、入口横の壁画にも魚の絵が描かれていたりしてポンペイ市民は魚好きだったようだ。

さて、この市場での最大の見物は壁画の前のガラスケースに納められた死者の石膏像である。一瞬にしてヴェスヴィオス山の爆発の犠牲になった死者のまわりには5~7mの火山灰が積り固まっていったが、死者の肉体が朽ちると固まった火山灰の中でそこが空洞になっていた。

発掘を担当したフィオレッリというイタリア人古学者がその空洞に石膏を流し込んで死者の体をそのままに再現することに成功したのだそうだ。

ガラスケースの中の死者像は、苦痛に歪んだ表情がありありと見え、頭蓋骨が頭部からはずれそうになっている。あまりにリアルなのでもう一体のガラスケースをのぞくのは止した。

フォロ浴場

公設市場を出てフォロ通りを少し進んだ左手にフォロ浴場がある。ちょうどフォロの裏手にあたり、フォロの周りにあるのでフォロの浴場と呼ばれている。

入口にはたくさんの観光客が順番待ちをしており、クルーズ船がナポリに入っているらしく8とか9という団体番号のプラカードも見えるので今日は何処に行っても混雑を覚悟しないといけないようだ。

ローマ人は日本人と同じように風呂好きで古代ローマの都市遺跡には必ずと言っていいほど公共浴場があるが、大抵は浴場跡を眺めながら冷水浴場、温水浴場、サウナやプール、運動場などについて説明を聞くだけであり、想像力の乏しい者にはどんな風に入浴していたのか、もう一つリアリティがない。

フォロ浴場は火山灰や土石に埋まっていたおかげで建物がそのまま残っており、冷浴室や温浴室、熱浴室など当時の浴場内部を見ることが出来るらしいので楽しみだ。

入口を入って最初の部屋は脱衣場、壁に作られた棚に脱いだ衣服を入れるようになっているが鍵のかかる扉はないようだ。盗難などなかったのだろうか。

冷浴室

次の部屋は冷浴室、大きな丸い浴槽が部屋の真ん中に据えてある。熱浴室で火照った体をこの浴槽に浸かって冷ましてもよし、暑い日には冷浴室で一風呂浴びて体を冷やして隣の温浴室に移ってもよし。

温浴室

温浴室には脱衣場からも直接行けるようになっている。部屋の端の鉄柵で囲われているところには錆びて黒ずんだベドのようなものが置かれているが、これはが青銅製の大きな火鉢らしい、この火鉢で部屋全体を温めるようになっていたと言う。

この温浴室のドーム天井には豪華な浮き彫りが施されており、壁にはテラモーネの彫刻が並んでいて他の部屋より立派な感じである。

この部屋は浴客が体を温めながら噂話に花を咲かせたり、商売の情報交換をしたりしてゆったりと時を過す社交場でもあったらしい。

熱浴室

次の部屋は熱浴室、添乗員に指差された壊れた壁の中をみると2重壁になっており熱風や蒸気を通すようになっていた。床にも暖房が施され、ドーム天井もあばら状になって熱を内部に放射するように工夫されているらしい。

明かり採りのある丸天井の下には大きな大理石の水盤が置かれ、浴客はこの水盤から出る冷水で顔や手足を洗った。水盤の縁には選挙運動らしきことが書いてあるのだそうだ。

部屋の反対側には大きなバスタブが置いてある、銭湯の湯船のように使われたのだろうか。女性用の浴場はレストランになっている。