シラクーサ観光

考古学地区

ふたたびバスに乗って山手のネアポリス考古学地区に向かう、ガイドさんは同乗しないでバイクで上っていくそうだ。観光後、市内に帰るのが不便らしい。

オルティージャ島から始まったシラクーサ殖民都市は本土側に発展していき、アクラディーナやティケという町が出来、さらに北西部にネアポリス(新しい町)が建設されていった。そのネアポリスが現在、ネアポリ考古学公園になっていると言うことのようだ。

ギリシャ劇場

まず最初はギリシャ劇場 、野外劇場である。大きい、しかもエフェソスやボスラなど大型劇場も階段の傾斜が険しいのに比べて、この劇場は段差を低くしてあるのでゆったりとした感じである。

観客席の中段に上ってガイドさんの説明、
このあたり一帯は石灰岩の台地で、このギリシャ劇場が最初に造られたのはBC5世紀だそうだ。石灰岩の斜面に座席や階段を彫り出し、全体としてすり鉢状に仕上げてある。

ヒエロン2世の時代に観客席が増築され、上の方の草地になっているところにも観客席があり61列あったが現在は48列になっているそうだ。

観客席の直径は150mくらい、15,000人を収容したという。劇場は観客席、オルケストラと舞台(スキーネ)の3つの部分から構成され、当初、観客席は180度以上に広がり、オルケストラは円形であったが、ローマ時代に観客席もオルケストラも半円形に作り変えられたそうだ。剣闘士の真剣勝負や猛獣との闘いなどローマ人好みの劇場になるように手を加えたとのこと。

毎年、夏になるとギリシャ悲劇などが上演されるとかで、現在、舞台や観客席などの工事が行われている。舞台のところには高い階段のようなものが建設されているので、オルケストラ、舞台やスキーネの跡がどうなっているのか確認出来ない。

今年はアガメムノンとエウメニデスが1カ月半に渡って上演されるらしい。一番高いチケットは€80、曜日によって学生割引があるが、よい席を取るためには3時間も並ばなくてはいけないそうだ。

草地のところまで上って見下ろすと、松林越しにシラクーサの市街、さらに遠くにイオニア海が望め、この場所が絶好の立地だということが良く分かる。

シチリアのシンボル、メドゥーサについて

草地の上方は石材を切り出した跡の広場になって、その奥に洞窟が並んでいる。

添乗員は洞窟を背景に皆さんの写真を撮っていて、話好きのガイドさんが手持ち無沙汰のようなので、シチリアのシンボル、3本足のメドゥーサについて聞いてみる。

ギリシャ神話でメドゥーサは目が合った者をすべて石に変えてしまう怪物の筈だが、そんな怪物をシチリアのシンボルにしたのは何故なんだろうと言う質問である。

ガイドさんの話、‘その理由はメドゥーサの頭を見れば分かります、メドゥーサの頭髪は無数のヘビでしょう。ヘビは大地や水を表し、子供をたくさん産んで育て、また植物を育てる豊穣神の化身として崇められています。農民はどこでも豊穣を願います、シチリアの農民も豊穣を祈ってシンボルにメドゥーサを選んでいるんです’と言うものであった。さすがに博識のガイドさん、明快で分かり易い。

そう言えば、日本でも竜神に五穀豊穣を祈願したりするので、ヘビを豊穣の神とみるのは世界共通の信仰なのかも知れない。キリスト教はヘビを忌み嫌っているらしいが。

天国の石切り場

ギリシャ劇場に隣接して天国の石切り場とロマンチックな名前で呼ばれる一帯がある。

かって、石材を切り出すために掘られた洞窟があちこちにあったのだが1693年の大地震で崩落してしまい、その跡に植えられたヤシ、オレンジ、レモンの木やアカンサスなどの草花が生い茂り、この辺り一帯が天国のようだと言われたことから来ているらしい。

遊歩道を進んでいくと、ディオニシュオスの耳と言われる洞窟がある。

洞窟の高さは23mあるそうで、入口が耳の形をしている。石材を掘って洞窟となったもので、中は暗くて慣れるまでちょっと時間がかかるが、奥行きは結構広い。反響がいいと言われて手をたたいてみると、なるほど響きがよい。

この洞窟をディオニシュオスの耳と名付けたのはカラヴァッジョだと言われている。マルタの牢を脱獄してシチリアに逃れたと聞いたことがあるが、そのシチリアはシラクーサだったらしい。カラヴァッジョがこの石切り場を訪れたのが1606年頃だとするとあちこちに洞窟が残っていたはずである。‘ディオニシュオスの耳’は入口が耳の形をしていることから分かるが、ディオニシュオスと冠したのは僭主ディオニシュオスが政敵を洞窟に閉じ込めて、その謀議などを洞窟の上から盗み聞きしたという言い伝えに因んだもののようだ。

カラヴァッジョと言えば、ナショナルギャラリーの‘エマオの晩餐’では、真ん中の何処にでもいるような若者がキリストだと聞いて、キリストをこんな風に描いてもいいのかと驚いたし、ウィーン美術史美術館やボルゲーゼ美術館でみた‘ゴリアテの首をもつダヴィデ’では闇から浮かび上がるように描かれたゴリアテの首にぞっとし、しかもその首はカラヴァッジョの自画像だという説明を読んで仰天したことがある。光と影の巨匠と言われるカラヴァッジョはどうしも気になる画家の一人である。

ヒエロン2世の祭壇

天国の石切り場の見物を終えて、道路を歩いているとヒエロン2世の祭壇といわれている遺構が見えてくる。ガイドさんによれば長さ約200m、奥行きが22mある巨大な祭壇で、ゼウス大祭の時には一度に450頭の牛を丸焼きにしたそうだ。

ゼウスに生贄を捧げた後は、飲んだり食ったりの大宴会になったと言う。僭主はこうして市民のご機嫌を取らなければならなかったようだ。

祭壇は現在、基壇が残っているだけだが、かっては、列柱が取り囲み立像が安置されていたらしい。スペイン支配の時代にオルティージャ島の要塞の建設の石材としてこの祭壇やギリシャ劇場、隣にある円形闘技場など壊して持っていったのだそうだ。

(後で、ゼウス大祭と言えば、そもそもゼウス神殿はどこにあったのだろうと思い、‘archaeology in sicily’を開いてみると、BC6世紀、パピルスが自生するシアネ川の河口に近い高台に建てられていたと書いてある。ヒエロン2世の祭壇からは西に3kmも離れているらしいが、ゼウス神殿はゼウス大祭とは関係がなかったのだろうか? 博識のガイドさんと別れた後なので、後の祭り)

円形闘技場

ヒエロン2世の祭壇から歩いてすぐの所に円形闘技場がある。ローマ時代の闘技場である。
管理の手抜をしていらしく雑草が伸び放題になっているが、楕円形で、140m×119m、25,000人を収容するヴェローナに次ぐ大きさだそうだ。

70m×40mのアリーナでは剣闘試合や海戦ショーなどが行われた。アリーナの真ん中にある大きな穴は左右の溝と繋がっており、剣闘士や猛獣を迫り上げたり、海戦ショーの時には水を満たしたり引かせたりしたものらしい。

道路から眺める円形闘技場はとても25,000人を収容したとは思えないが、この闘技場から特に多くの石材が剥ぎ取られたのかも知れない。