アルベロベッロ~マテーラ

マテーラへ

時間厳守で10時半にアルベロベッロを出発し、バジリカータ州のマテーラに向かう。
町を離れるとすぐに広大な農地が見えて来る。見渡すかぎりの小麦畑、オリーブ林や葡萄畑を左右に見ながらドライブ。農地の区画の為なのか延々と石積みが続く景色はなんとも風情がある。

プーリア州はオリーブの生産がイタリアで1番、ワインは2番目なんだそうだ。
小麦はパスタに向いた硬質小麦(セモリナ)で、降雨の少ない夏になる前の6月頃に収穫は終わっているのだという。セモリナと言えば、昨晩のオレキエッテ(小さい耳形のパスタ)はその小麦と水、塩を混ぜ合わせ手打で作ったものとか。

プーリア州の中部、レ・ムルジェ(ムルジェ高原)は、昨日のカラブリアのシーラ高原とは全く異なり、なだらかな丘が続き何処までも行っても山がないという風景である。農地の真ん中を右に行ったり、左に曲がったりしながら、ノーチという町やジオイア・デル・コレの町を経由して11時半前にマテーラに近づく。

で、マテーラの予習をちょっとだけ

マテーラの地区に人が住み始めたのは新石器時代で、グラヴィーナ渓谷の岩場の洞窟にその跡が確認出来るそうだ。

8~9世紀頃には、ギリシャ正教の修道士たちがイスラムや聖像破壊主義者からの迫害を逃れるためにやって来て、凝灰岩で出来ている渓谷の斜面に洞窟を掘り修道院とし、住民たちも修道院の周りに洞窟を掘って住みつくようになった。人工的に掘られた洞窟に人が住み始めたのはこの時代だと考えられている。

16世紀になると裕福な人々は高台に移っていき、貧しい人たちが洞窟にとり残され、20世紀になると居住環境がますます悪化、南イタリアの‘悪夢’と酷評されるようになった。これを受けて政府が住民を強制的に郊外に移住させたのでサッシ地区(洞窟住居群)は廃墟同然となってしまった。

1993年に、人が先史時代からずっと住み続けている特異な洞窟住居群は歴史的遺産として世界遺産に登録され、人々が徐々にサッシ地区に戻ってきている。

サッシ観光

谷を隔てた正面にサッシ、右手の彼方に大聖堂の鐘楼を眺めながら昼食をとった後、マテーラのガイドさんと合流、マテーラの観光が始まる。
ガイドさんによれば、サッシはサッソの複数形で、サッソは岩、岩石の意味だそうだ。マテーラのサッシの中心部はチヴィタと呼ばれ、丘の上に大聖堂が建っている。チヴィタの北側にはサッソ・バリサリーノ、南側にサッソ・カヴェオーソという2つのサッシ地区が広がっているとのこと。

サッソ・バリサリーノ

ガイドさんの後について先ず、サッソ・バリサリーノ地区を見る。大聖堂の前の展望台から眺めるサッソ・バリサリーノは崖に掘られた洞窟住居より地上に切り石を積んで建てた家が多いようだ、ガイドさんによればこの地区には土産物屋やレストラン、人が住んでいる住居も多いそうだ。

サッソ・カヴェオーソ

短い写真タイムの後、狭い道を上がったり下がったりしながらサッソ・カヴェオーソ地区に移動、徐々に降りて行きながら洞窟住居群を見ると屋根の上に住居、その上にも住居と何層にも建ち並ぶサッシは洞窟を掘ったもの、洞窟の前面に切り石を積んで建て増したもの、切り石を積んで地上に建てた家などが渾然としている。

白い漆喰が色褪せてセピア色になった洞窟住居群は生活の匂いが薄く、一見、貧民屈を思わせる。サッソ・カヴェオーソ地区の方が洞窟住居の雰囲気を色濃く残しているようだ。さらに道を下っていくと、岩場を平たくしたところに幾つもの穴が並んで掘ってある、ガイドさんの話ではこの穴はBC何世紀も前から死者を埋葬した跡で、この辺りにはたくさんの未発掘の墓があるのだそうだ。

この場所からはグラヴィーナ渓谷の崖っぷちに建つサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会や巨大な岩塊の上に十字架が立つ岩窟教会、マドンナ・イドリスが見え、グラヴィーナ渓谷の対岸を眺めると洞窟らしきものも見える。

カーサ・グロッタ(CASA GROTTA)

岩窟教会に入ってみたいが残念ながらその予定はない、代わりにと言うわけではないがサッシの生活の様子が再現された洞窟住居があると薦められ、皆さん、€1.5払ってカーサ・グロッタと言う洞窟住居に入る。

天井は結構高く掘られているが、広さは30坪ほど、家族が暮らすには狭すぎないかと思っていると日本語の説明が流れてくる。
部屋の中で目立つのはダブルベッドである。現在のベッドよりずいぶん高いが、湿った床から上がる埃を防ぐためだそうだ。ベッドの下では鶏が卵を抱えていたのでよけい汚れていたのかも知れない。

ベッドは2脚の鉄棒を組んだ台の上に細い木の板が置かれ、その上にトウモロコシの葉をいっぱい詰めた袋を敷いたものだそうだ。

ベッドの右横に置かれているのは整理タンスで日用品が収納されたもの、ベッドの向かいの木箱はパン、小麦粉、チーズ、豆類など食料を保管していたもの。部屋の一番奥に置かれている黒っぽいタンスが人間用と家畜用の小麦を分けて保管いていた小麦用箱だそうだ。これらのタンスの引き出しや木箱は子供達のベッドとしても使われていた。幼児の死亡率が50%以上といわれたサッシで、平均して子供が6人以上いたと言う。

ベッドの反対側にはロバ馬の模型が展示されているが、馬、鶏、豚などが放し飼いされていた。入口からしか換気が出来ないので炊事場は入口の横に作られ、水は雨水を利用するので貯水槽に流れていくようになっているのだそうだ。下水の設備はなかったらしいが、どう処理したのか聞き漏らした。

この洞窟住居は観光用にきれいに整理されたものなんだろうが、家畜の糞やら病気のことなどを思うと実際の居住環境は劣悪だったことが容易に想像できる。こうした洞窟住居に農民が現在まで1000年以上も暮らし続けていたことを思うと、逆に人類の逞しさを感じるのだが、旅行者の無責任な感想はよした方がよさそうだ。

駆け足のようなマテーラの観光が終わり、ナポリに向けて出発する。