モンレアーレ~パレルモ

マフィアの起源など

マフィアと言えば、ゴッドファーザーの衝撃が忘れられないし、最近でもナポリの街中のゴミの山の処分が進まないのはマフィアの利権が絡んでいるからだと報じられている。そのマフィア発祥の地はシチリアと言われているので、ここはひとつシチリア人にマフィアについて説明して貰う。(ホテルを出発する時、添乗員にガイドさんの話を聞きたいと頼んでおいたものだが、ガイドさんの話なのか、添乗員が自分のポケットから出したものか、定かでない)

マフィアの起源はシチリアの貧しい農村からと言われており、スペインの支配が弱まった18世紀末の頃だそうだ。
当時、大土地保有の地主や貴族はパレルモやナポリなどの都市に住み、ガベロットという農場管理人に年貢の取立てや農場の管理を行わせていた。

彼らは雇い主の無関心さを利用して年貢をごまかしたり、農地を又貸したりして農村を仕切り私服を肥やしていった。また、山賊や家畜泥棒から農地や財産を守る代償に用心棒代を上納させていた。このガベロットがマフィアの母体となったと言われているが、この時代はまだ1つの農村での親分的な存在で、どちらかと言えば牧歌的なものであったとのこと。

マフィアが今のように変質したのは20世紀に入り議会制民主主義が導入されてからで、普通選挙制度が始まるとマフィアは保守政党と結び、集票を請け負うようになり、中央政治権力と繋がりが深まっていった。ただ、この時点でもまだ農村を基盤とした暴力団的な存在であった。

ムッソリーニの時代には弾圧されていたが、第2次世界大戦でのシチリア上陸作戦ではアメリカのマフィアとシシリアのマフィアが協力したと言われ、マフィアが劇的な変化をとげるのは戦後、中東のヘロインをパレルモで精製しアメリカに送るルートを確立するなど麻薬取引に進出し莫大な収益をあげるようになってからだと言われている。

この資金はスイスやルクセンブルグで洗浄されてきれいなお金となって合法的な投資を装いさらなるマフィアの資金源となっている。さらにマフィアは土木工事などの公共事業も取り仕切るようになった。

国家がマフィアの壊滅作戦を始めると、マフィアは作戦指揮の将軍や判事を暗殺して抵抗した。その後も撲滅運動は続けられているが、何度も首相になっているアンドレオッティがマフィアとの癒着を疑われるなど、マフィアの裏での支配はいまでも続いているそうだ。

パレルモ観光

パレルモに戻って旧市街に入るとノルマン王宮が右手に見えてくる、旅行社のパンフレットではノルマン王宮のパラティーナ礼拝堂が観光予定となっていたが、最終日程表では、修理中とかで、マルトラーナ教会に変更になっている。

クアットロ・カンティ

パレルモの大聖堂を左に見ていると、添乗員が間もなくバスはクアットロ・カンティを通ります。車窓観光になるのでちらっとしか見られないので、前もって少し説明しておきます、「クアットロ・カンティは4つの角という意味でマエクダ通りとヴィットリオ・エマヌエル通りが交差する地点で、17世紀、スペイン支配の時代に造られたものです。

4つ角に面した建物の角を丸く切り取り、1階には四季を表す4つの泉、2階にはスペイン提督、3階はパレルモの守護聖女の像が配置されています、右に曲がりますがあっという間ですからよく見ていて下さい」

バスがカーブする瞬間に車窓からシャッターを押すので、クアットロ・カンティをうまくカメラに納められたかどうか分からない。

マルトラーナ教会

ベッリーニ広場の近くでバスを降りると、広場に面して2つの小さな教会が並んでいる、右は赤いドームが乗ったサン・カタルド教会で、左が観光予定のマルトラーナ教会である。

この教会のもともとの名前は海軍提督の聖母マリア教会(Santa Maria dell’Ammriraglio)と言って、ルッジェーロ2世の右腕だったシリア生まれのアンティオキアのジョルジュが1143年に建設を始めて聖母マリアに捧げた教会であった。が、12世紀末に隣に建てられたベネディクト派の修道院に接収されてマルトラーナ教会と呼ばれるようになったそうだ。

教会はローマ時代の城壁の上に建っているので、サン・カタルド教会との間の階段を上って鐘楼の下の扉から中に入るようになっている。バロック風のファサードは18世紀に増築されたものだが、現在は使用されていないとのこと。

入口のすぐ側にルッジェーロ2世がキリストから直接王冠を授かっている金地のモザイクがある。モンレアーレにあったものと同じというか、逆に、グリエルモ2世がノルマン王朝の信条に倣ったと言うことのようだ。

この後、内部を見回すとファサードの部分と後陣のところが、中央部分と一見して違うのが分かるが、創建時にギリシャ正教の正十字だったプランが縦長に増築されバロック風に装飾されたためのようだ。

中央に集まってガイドさんの説明を聞きながら天井を見上げると、4大天使に囲まれた全能のキリスト、キリストの誕生と聖母マリアの昇天、使徒などモンレアーレで見たのと同じ金色燦然としたモザイクがびっしりである。
このマルトラーナ教会のビザンチン様式のモザイクがシチリアでは一番古いのだそうだ。

聖母被昇天が描かれた主祭壇をちらっと眺めて、左側に移ると聖母マリアの足下にひれ伏する提督、ジョルジュのモザイクがある。添乗員によればこのモザイクが教会の中で一番有名なんだそうだ。

若くしてルッジェーロ2世の宰相に抜擢され、シチリア王国を築くために地中海を縦横無尽に駆け巡ったアンティオキアのジョルジュも頭髪やあご髭が白くなっているのが印象的であり、ひれ伏している姿が亀のように描かれているのがユーモラスである。

このあとトイレ時間の間に隣のプレトリア広場に行って、大理石像がたくさん並んだ円形の噴水をカメラにおさめる。

これでパレルモの観光はお仕舞い、ちょっと物足りない。いつも思うのだが、個人旅行は自分の足で歩くことが多く面から面に移動する感じだが、ツアーは点と点を線で動くので効率はよいが現地の実情にふれることがあまりない。今回はシチリアから南イタリアまでを6日で回る駆け足なので、その点と点をさらにつまみ食いする感じである。