オスロ市内観光

現地参加のツアーは終わりだがオスロにあと2泊して、7月5日にヒースロー経由で帰国するスケジュールにしているので、ツアーの皆さんとはお別れである。朝食をとった後、時間が1時間以上あると思ってベッドに横になったが目が覚めたら10時半、バスの出発時間を15分も過ぎている。

フロントに添乗員のメモが残されていて、出発時間をのばして待って貰っていたようだ。添乗員には昨夜、お礼を言っているが、ツアーの皆さんには挨拶が出来ず大失態。添乗員の携帯に電話して、皆さんにお詫びを伝えて貰う。

日本から予約している次のホテルはオスロ中央駅南口に隣接している。
昨夜、添乗員がホテルの場所は分かりますか、JALのオスロマップがありますよと言われたが、ホテルは近いので大体分かっていると好意に感謝したところだ。4ブロック、10分ほど歩いてホテルに着く。

11時前なので部屋は無理かなと思いながらフロントと聞いてみると、今からでもOKですと言ってチェックイン手続をして呉れて、キーを貰う。
ホテルのランクはスーペリアクラス、ベルリンのホテルとほぼ同じ値段だが、2001年オープンなので部屋も新しく、バスタブ、洗面所も気持ちがいい。

今日はツアーのオスロ市内観光ではバスからちらっと見るだけだったカール・ヨハン通りをぶらぶらし、国立美術館でムンクをゆっくり観ることにしている。
カール・ヨハン通りは中央駅と王宮を直線で結ぶ約1.3kmのオスロのメインストリートで歩行者天国になっている。

オスロ大聖堂

中央駅から歩いてすぐのところにあるのがオスロ大聖堂。17世紀末に建てられたノルウェー、ルーテル派の総本山らしいが、仏教徒にはヨーロッパの大聖堂に比べると見劣りがするように見えて中には入らない。むしろ興味は大聖堂の前に立っているクリスチャン4世の像、クリスチャン4世といえばデンマークの王の中でも傑出した存在で、建設王、艶福家であるが、当時デンマークはノルウェーも支配下に置いていた。

オスロが大火に見舞われたとき、オスロの中心を3kmほど西に移し、道幅も15mに広げたうえ、名前もクリスチャニアと変えたと言われている。銅像は近くのアーケシュフース城から町をここに移せと命じている姿なのだそうだ。

カール・ヨハン通り

さすがに7月初め、北欧観光のベストシーズンなので洒落たカフェやレストラン、ブティックが並び歩行者天国は観光客であふれている。バンドの演奏やお馴染の微動だにしないパフォーマンスなど大道芸にあちこちで人だかりしている。すこし行くと左手に国会議事堂、丁度花壇が見ごろなのでベンチに座って一休みする。

よっこらしょと腰をあげ、議事堂前の広場を歩いていると正面に国立劇場、通りの反対にオスロ大学があり、オスロ大学の裏手には国立美術館があるはずで、この辺りがオスロの文化、芸術の中心のようだ。オスロ大学の前庭に銅像が2つ立っている、近づいてみると一つはムンク像である。

王宮

カール・ヨハン通りの突き当たり、坂の上にあるのが、スエーデン王、カール・ヨハン14世が建てたルネッサンス様式の王宮で、資金不足で中断したりして19世紀半ばに完成した。王宮の前には王の乗馬姿の像が立っている。カール・ヨハン14世と言えば、代訴人の息子に生まれ、後にナポレオンの将軍になった人で、ノルウェー王を兼ねるスエーデン王に出世するとは日本の戦国時代に匹敵する愉快な話である。

王宮の裏側に回ってみると、人だかりがしている。何だろうと近づいてみると、王宮に入る観光客のようだ、王宮には入れないとツアーのガイドさんが言っていたし、地球の歩き方などにも王宮には入れないと書いてあるので、チケトット売場の若い女性に、日本のガイドブックでは王宮には入れないと書いているがと聞いたら、‘6月25日から8月末頃までは入れますよ、ただしガイドツアーです’という説明であった。

入口の前に案内板があり入場料金が95クローネと表示されていたので入場するのは遠慮申し上げたが、ガイドさんも日本のガイドブックも何時の情報をもとに商売しているのか知らないが、ちょっと、職務怠慢ではないだろうか。

それにしてもデンマークのクリスチャン4世の像やクリスチャン4世通り、このカール・ヨハン14世の像やカール・ヨハン通りなど、かっての支配者に因んだものを残しているとはノルウェー人はおおらかなのだろうか、支配の色が薄く同盟関係と言ったものだったのだろうか、ヴァイキングの末裔が感謝するような善政が行われたのだろうか。