オスロ市内観光 

朝、わが豪華船Crown of Scandinaviaは静かなスカンジナビアの海を20ノットあまりの速さで快調に進んでいる。湾に入ってから2時間以上も走っているがオスロはまだ先のようだ。スカンジナビア半島の地図を眺めただけではよく分からないが、オスロは外海から100kmも続くオスロフィヨルドの奥にある。
で、9時15分、16時間の船旅が終わる。

オスロの市内観光はヴァイキング船博物館、フログネル公園や国立美術館など、バスはまずヴァイキング船博物館に向かう。
オスロのガイドさんは中年でがっしりした男性、あとで聞いたところではオスロ観光の著作もあるらしい。

ヴァイキング船博物館

ヴァイキングと言えばノルウェーが頭に浮かぶが、ヴァイキングの代名詞となっているデーン人はデンマークのヴァイキングである。
デーン人はイングランドに遠征したり、セーヌ川河口に基地を作り北フランス各地を略奪したようだ。

ノルウェーのヴァイキングはアイルランドやアイスランドを支配し、スエーデンのヴァイキングはバルト海、ロシアにも進出したらしい。
8世紀の初期のヴァイキングは季節の終わりには故郷に戻っていたが、9世紀半ばからは越冬基地を設営して永続的な定住地とし、その後13世紀頃には現地に同化していったと言われている。

博物館はさすがに大勢の観光客で混雑している。ガイドさんがどんどん進んでいくので、後についていけない人が堪りかねて、もう少しゆっくりして下さいと頼むが、スケジュールがタイトだと言って取り合って貰えない。ガイドもサービス業なのだから他に対応の仕方があるだろうに。

博物館正面入口を入ったところあるヴァイキング船がオーセバルグ号で、長さが20m、幅は5mくらいで、9世紀頃に商船として使用されていたもの。ヴァイキング船は最後には埋葬用になったが、オーセバルグ号は女王の埋葬に使われたと考えられていて、守り神の竜頭、馬車に家具など一緒に出土した副葬品が展示されている。

中央に進むと左手にゴクスタ号、右手にトウネ号。ゴクスタ号はオーセバルグ号より一回り大きい感じで戦いに使われた船、トウネ号は損傷が激しい。
ガイドさんによればヴァイキング船は竜骨が大きく、喫水が浅いのが特徴で水深の浅い河川にでも侵入できたとのこと。船形は流線型のカーブを描き優美だが豹のように素早っこそうだ。

フログネル公園

ヴィランゲン公園とも言われ、グスタヴ・ヴィランゲンが造った公園。
192点の作品に650体もの人の像が刻まれている大彫刻群があり、別名彫刻公園とも言われている。

バスは駐車場の関係で公園の裏手に回り、人生の輪や日時計を見ながら階段を上るとモノリットという高さ17mくらいの石の塔がある。近付いてみると、100人以上もの老若男女が天を目指しているような姿が彫刻されていてビックリ、下の方は老人が支え、一番上には幼児、その間の人々は支えたり、足を引っ張りしているようだ。

塔の周囲は子供から老人までさまざまな人間の姿の彫刻が囲んでいて、人が生を受け、成長し、やがて老いていく様子が表現されているようだ。公園は全長850mもある広大なもので、迷子になったら見つけられませんと言われてガイドさんの後をついて歩く。

公園の一番高いところがモノリット塔で、塔から下っていくと公園のほぼ真ん中あたりに噴水がある。噴水の回りを20の生命の木と人間の像がとり囲んでいて、子供、若者、成人、老人それぞれの場面で生命と人間の関わりが表現されているようだ。ここの彫刻も人間の一生をモチーフにした像だが、ガイドさんによればヴィランゲン本人は作品の解説を一切拒否していたのとのこと。

正門の方に歩いていくと橋の両側に銅像が並んでいて、真ん中辺りに‘怒りん坊’という子供の像があり、悔しそうに泣いている表情が豊かで、公園一番の人気者だそうだ。反対側にはお腹に手を当て笑っている女の子像もあり、なんともユーモラスである。

オスロ市はヴィランゲンに広大な土地と必要な材料を与えて公園を自由に造るように任せ、そのかわり彼の死後、市に寄贈させたとのこと。

国立美術館 その1

ノルウェーの画家と言えばムンク、と言っても画集などで‘叫び’を知っている程度で知識皆無だが、‘叫び’などムンクの本物をたくさん見られるのは旅の楽しみである。

最初に案内されたのが‘スタルハイムから’という絵。‘フィヨルドの観光に行く人はよく見て下さい、この絵は150年前に描かれたものですが、この様な荒々しい風景に出会います、西海岸はオスロとは全く違います’とガイドさんの説明。

次は、‘叫び’、真っ赤な空を背景に、らっきょのような頭の人が両手で耳をふさぎ大声で叫んでいる絵で、絶望的な表情が強烈な印象を与える絵だ。

ガイドさんによればムンクは日記に、‘2人の友人とフィヨルド沿いを歩いていた。日没の夕日が血に染まり、私は疲労感と不安を覚え、そして大地の叫びを聞いた。友達は私を置いてそのまま歩いていった。

この時の自分の感情を何とか絵にしようとしたのが、叫びだ’と書いているそうだ。ついでにこの絵の赤い雲の下には‘この絵を描いたのは気ちがいに違いない’と落書きがあり、ムンク本人が書いたのでは、と言う説もありますとガイドさんの説明。

ツアーの後、オスロに2日残るのでムンクの作品や印象派の絵などゆっくり楽しむことにしている。