ヘルシンキ観光

バスはいよいよ市内に入って、国会議事堂が見えてくる。ガイドさんによれば、国会議事堂には門がなく、世界で最も政治家の汚職が少ない国なのだそうだ、女性の大統領は隣のおばさんと言った感じで少しも偉ぶったところはないらしい。

フィンランドは、隣国のスウェーデンに12世紀半ばから約650年間、ロシアに110年支配され、その間デンマークやドイツなども入り交じって何度も国境線が変更されるなどつらい歴史が知られている。
ロシア革命のさなかに独立を果たし、強国に翻弄されながらも独立を守っているので、ガイドさんによればフィンランドは国際会議を主催するなどなどしたたかな手腕を見せているそうだ。

元老院広場

バスがヘルシンキの中心に入り、大きな広場の横で停まる。元老院広場と呼ばれ、1ブロック分もある広場には約40万個の御影石が敷き詰められているそうだ。広場の中央にはロシア皇帝アレクサンドル2世の像が立っている。
1809年、スウェーデンに勝利したロシアは割譲させたフィンランドの首都をヘルシンキに移転、ヘルシンキの都市計画に着手した。

1822年には広場の名前の由来となった元老院、続いて大学、大学図書館などエンパイヤ様式の建物が建てられ、1852年にはヘルシンキ大聖堂が完成した。こうして元老院広場全体の完成には30年の歳月が費やされたとか。元老院の建物は今でも政府が使用しており、2階には首相のオフィスも置かれているらしい。

ロシアはフィンランドをロシア皇帝の大公国とし、フィンランド人の自治を認めるなど宥和策をとったので、フィンランド人は皇帝に忠誠を誓ったと言われている。ロシア支配のうち90年間はフィンランドに平和が訪れ、この間にフィンランド人は独立に向けた知恵を蓄え、国づくりの基礎を着実に積み上げたとのこと。

他国の、それも、かっての支配者の像が今でも元老院広場に立っていたり、アレクサンテリン通りなど皇帝の名前の付いた通りが残されていたりしているのはこうした背景があるようだ。

ガイドさんによればレーニンやスターリンなど革命家もよくヘルシンキを訪れていたそうで、レーニンは捕らえられて近くの牢獄に繋がれたが、所長がレーニンの人物を見抜いて逃がしたのだそうだ。その後のロシア革命を考えると‘若し’と言う偶然の怖さを感じる。

ヘルシンキ大聖堂

ヘルシンキのランド・マークとなっているルッター派の大聖堂、元老院広場の北側にそびえている。白い壁と薄緑のドームが美しい。元老院広場では写真タイムだけなので中に入れず、残念。

広場の南側の通りを渡ったところが免税店、フィンランドは銀製品がお勧めとか、美智子さんが北欧訪問で唯一買ったのがフィンランドの銀製品だったのがガイドさんの自慢。

マーケット広場

フィンランド湾に面した広場で、自由市場のように野菜や果物、魚などの生鮮食品、衣料品とか土産物など売っていてにぎやかである。今年は春が寒かったので果物の多くはまだ輸入品だそうだ。

短いヘルシンキの市内観光はこれで終わり、ヘルシンキの街が出来たのが19世紀になってからなので、お手軽ツアーで巡る観光名所はヨーロッパの他の街のような中世の遺産は望むべくもない。ガイドさんの話のようにフィンランド人のロマンにふれる旅をしないとフィンランドのよさが分からないのかも。