ストックホルム観光

昨日までは目が覚めた時に起きればよかったが、ツアーになるとそうはいかない。6時半朝食、バスの出発が7時とスケジュールにしばられ窮屈このうえない。ただ、個人の旅だと道を歩くときでも前後に気をくばっているし、交通機関などで旅程に支障が出て最悪の事態になったときはどうするかとか考えたりているが、こうした心配事から開放されるのでほっとした気分になる。

現地参加の申し込みをした時、ヘルシンキ~ストックホルム間はランド・オンリーの料金には含まれず、チケット代は別料金で72000円だと言われた。貧乏旅行に正規料金はあるまいと思い、いやがる代理店の背中を押して交渉、こちらで手配することに成功した。で、チケット代は15000円、ただ、キャンセルも便の変更も出来ない。

ヘルシンキ~ストックホルム間の飛行時間は1時間だが時差が1時間あるので9時に発って、9時にストックホルムに着く。
ストックホルムのガイドさんは中年女性、16才まで日本にいたことがあるとかで、さすがに日本人の日本語と変わらない。

ドロットニングホルム宮殿

バスはストックホルム郊外にあるドロットニングホルム宮殿に向かう。
ドロットニングホルムとは、また何とも発音のし難い単語だが、16世紀末に王妃のためにこじんまりした宮殿が建てられそうで、地名を王妃に因んでドロットニングホルムと呼んでいるようだ(ドロットニングホルムは王妃の小島の意味)。

北のヴェルサユと呼ばれる現在の宮殿は17世紀末からスエーデンがヨーロッパ列強の一国であることを誇示するために造営されたもので、その後増改築が繰り返されて3階建て220室の宮殿が完成したのは18世紀半ばになってからだそうだ。

宮殿の前面にはストックホルムにつながるメーラレン湖、裏には宮殿に近い部分にバロック様式の庭園、続いて自然を生かしたイギリス庭園が広がっている。青い湖、庭園の鮮やかな緑、森の中のクリーム色の建物などの風景は世界遺産への登録資格十分と言ったところ。

宮殿左翼には現国王と家族が暮していて、それ以外が一般に公開されている。宮殿正面玄関から2階に上がったところが入口ホール、ここから庭園を一望に眺めることができるので順番にカメラのシャッターをおす。

緑の間、謁見の間、寝室などガイドさんの説明を聞きながら見て回る。
寝室のベッドは半分くらいの長さしかないが、当時は横になるのではなく腰をおろした姿のままで休んだとのこと、疲れがとれるとは思えないがどうなんだろう。

いくつかの部屋に続いて大きな部屋は図書室、中央に置かれた大理石のテーブルを挟んで学術や芸術を論じたのだろうか。
3階には中国の間やオスカルの間など、オスカルの間はギリシャ神話ヘロとレアンデルの恋物語をモチーフにしたタペストリーで飾られていてロマンチックである。

宮殿の見学の後は短いフリータイムとなり、皆の後についてバロック庭園をぶらぶら。
宮殿近くの劇場は18世紀の中頃の装置が使われているユニークな劇場らしいが中には入らない。で、ショップで絵葉書をたくさん買ってバスに戻る。

ガムラ・スタン

ストックホルム市内観光は明日の予定となっているが、添乗員とガイドさんが話し合って、ガムラ・スタンの観光を前倒しすることになる。

バスは小1時間でストックホルムの中心に入り、エヌ・コーなどのショッピング街、セルゲル広場や歩行者天国通りの賑わいを車窓から眺めながらガムラ・スタンへ。

ストックホルムの起源となったスタックホルメン島が、ガムラ・スタン(英語の OLD TOWN、旧市街)と呼ばれ、ストックホルムの中心から突出たようになっている。

中世13世紀の旧市街、ガイドさんの後について王宮や大聖堂などを眺めながら少し歩いて、目抜き通りのエステルロング通りに入る。狭い石畳の路地なので前から来る人を避けるのが大変だと思いながら歩いていると大広場に出る。

大広場

証券取引所(現在、ノーベル博物館が間借りしている)やレストラン、土産物屋などの建物などに囲まれ、観光客で賑っているが、この大広場はストックホルムの血浴と言われる事件のあった処。

1520年、反乱を制したデンマーク王クリスチャン2世は罪を赦すと偽ってストックホルム側の有力者を王宮に招き、90人あまりを処刑、この大広場は血の海に染まったと言われている。

翌年、グスタフ・ヴァーサが反旗を翻し、独立戦争に勝利するがデンマークとの争いは19世紀の初めまで続いたようだ。
スエーデンと言えば、今は中立国だが、サンクトペテルブルグ旅行の時にはバルト海周辺の覇権はスエーデンが握っていたと聞いたし、ロマンチック街道のディスケンビュールでは30年戦争の時にスエーデン軍に包囲された話を聞き、スエーデンがバイエルンまで攻め込んだのかと驚いたことがある。

フィンランドでは650年もの間、スエーデンの圧政に苦しんだと聞いたばかりで、ロシアと戦い、ナポレオンとも戦争した好戦的で強いバイキングの末裔だと思っていたが、コインの裏を見る感じである。