旅行社のパンフレットではダマスカスで1泊し、半日、市内観光をした後、パルミラに移動することになっていたが、日本出発が半日遅れているのでいきなりパルミラに向けて出発、3時間半弱のバスの旅である。

ガイドさんは60才くらいの男性。考古学に詳しいそうで、遺跡や博物館などの説明が楽しみだが、英語のガイドなので添乗員の腕次第といったところ。

シリアの簡単な地図が配られ旅程の説明の後、まずは添乗員のシリアについてのお話から、国の名前はシリア・アラブ共和国、大統領はバッシャール・アル・アサド。

面積は18万5千k㎡、日本の約半分で14の県がある。公用語はアラビア語、1946年までフランスの委任統治下にあったのでお年寄りはフランス語が話せる。

人口は1800万人、ダマスカスが首都で郊外も含めると400万人が首都に住んでいる、85%がイスラム教、10%がキリスト教。国土の多くを沙漠が占めているが地中海や山岳地方には四季がある。

サマータイムをとっていて、夏時間の今は日本との時差は6時間。通貨はシリアポンド、US$20を空港の銀行で両替したら1012シリアポンド(SP)だったので、1SPは2.37円くらいのようだ。買い物をする時は

大雑把にUS1$=50SPになるらしい。

ダマスカスを出てしばらく走ると、沙漠が全面に広がってくる。エジプトで見た砂漠はさらさらの砂であったが、シリアの沙漠は小石や砂礫が敷き詰められたような沙漠でたまに薄い緑が見られるようだ。何千年か経つとシリアの沙漠もサハラ砂漠のようにさらさらの砂になるのだろうか。

2時間あまり走ってバグダッド・カフェというところでトイレ休憩、裏にはベドウィンのテントやとんがり帽子のような土の家がある。沙漠のど真ん中にあるこのバグダッド・カフェは映画のシーンに使われたそうで、沙漠を走る観光客やトラックの運転手には格好のティータイムといったところ。 (旅の日程へ)

バスがパルミラに向けて出発し、添乗員のシリアの歴史についてのお話が始まる、

チグリス河とユーフラテス河に挟まれた地域はメソポタミアと言われ、世界最古の文明が栄えたところで、シュメール、アッカド、アッシリアやバビロニアなどの古代国家が支配した地域である。

大シリア(現在のシリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナやトルコの一部を含む)はメソポタミアと地中海の間の地域で、‘肥沃な三日月地帯’の一部としてBC3ミレミアム世紀にはエブラなどの文明があったが、アジア、ヨーロッパ、アフリカの十字路にあたるこの地にはメソポタミアやヒッタイト、エジプト、ペルシャなどが進出し、さらにギリシャ・ローマやビザンチン帝国、イスラム時代になるとウマイヤ朝、アッパーズ朝、セルジューク朝などの王朝からオスマントルコなど入れ替わり立ち代り支配者が交代している。

シリアの歴史は複雑でこんがらがってしまいそうだが、添乗員の話や地球の歩き方などの説明をもう少し詳しくまとめてみると、

 年代  できごとなど
 BC2500頃  BC2500年頃、北シリアにセム族系のエブラ王国が繁栄していた、26万人の人口を擁していたと言われている。エブラはアナトリア(トルコ)、チグリス・ユーフラテス河(イラク)、ペルシャ(イラン)などの商業の中心であった。数世紀の間、シュメール、アッカド王国とこの地域の交易路の支配権を争っていたが、アッカドのナラム・シン王にBC2250頃に滅ぼされる。 
 BC2400頃  BC2400年頃、セム系民族のアモリ人が遊牧をしながらアラビア半島からやって来る。一族のカナン人は中部の沿岸地方を占領し住みつく。造船技術者、船乗りとして地中海地方とシリアの交易をにぎる。BC1800年頃にはフェニキア人と呼ばれるようになる。(フェニキアは高価な交易品であった巻貝からとれる染料の紫色からきている)フェニキアの交易都市の一つがウガリット。またフェニキア人はアルファベットを発明した。フェニキア人の貿易はBC1200頃には地中海からイギリス、インド洋に及んだ。カルタゴはフェニキア人の殖民都市。
 BC2000頃  中央シリアに住みついていたアモリ人がメソポタミアに進出、シュメール都市国家を滅ぼす。BC1800年頃に古バビロニア王国を興す。ユーフラテス河沿いの交易都市マリ王国の宮殿は300の部屋を持つほどであったがハンムラビ王に滅ぼされる。
BC1600~BC1100

 

 エジプトが侵入、ヒッタイト(ラムセス2世とのカディシュの戦いで有名)の支配が一時期あるが、長期にわたりシリア地域を支配する
BC1000頃 ヘブライ人がパレスチナに王国を興す。同じ頃アラム人がダマスカスに進出、陸上交易を支配、BC600年頃に新バビロニア帝国を築く。
BC550  ペルシャのアケメネス朝がメソポタミア、シリア、エジプト、アナトリア、インダス河流域を支配する大帝国を築く
BC330  アケメネス朝ペルシャはアレキサンダー大王に滅ぼされ、後継のセレウコスが首都を北シリアのアンティオキアに置く。
BC63  セレウコス朝はローマに滅ぼされ、シリアはローマ帝国の属州となり、その後対峙していたペルシャのパルティアやササン朝に対するローマ軍の東方防衛線になる。シリア砂漠の隊商都市パルミラは3世紀半ばには軍事力を蓄え、東方防衛拠点として半独立を認められる。AD395年、ローマ帝国分裂、シリアはビザンチン帝国の支配下になる。
AD661 イスラムがダマスカスを首都にウマイヤ朝を開く、その後AD754年にはアッパーズ朝が樹立し、バグダットを首都とする。
 AD1096~1270  十字軍の遠征、第1回から第8回まで続く。第1回遠征でエルサレムを占領し、住民を虐殺する。シリア各地にクラック・デ・シュバリエなど城塞を築く。第2回の遠征ではサラディンにエルサレムを奪回される。サラディンはアイユーブ朝を興し、ダマスカスやアレッポなどシリアの都市が繁栄する。
AD1250~   マムルーク朝がアイユーブ朝に代わってシリアを支配。モンゴルやティムール侵入の後、1516年にオスマン帝国がシリアをマムルーク朝から奪う。この後第1次世界大戦までオスマン帝国の支配が続く。

また、アモリ人とかアラム人とか多くの名前が出てきて紛らわしいので、少し系統的に整理してみる。

セム族 ━ 東方セム族 ━ アッカド語族 ━ バビロニア人 

                      ━ アッシリア人

    ━ 西方セム族 ━ 北西セム語族 ━ カナン人 ━ウガリット人

━フェニキア人

━ヘブライ人

                     ━ アモリ人

                     ━ アラム人 ━パルミラ人

                            ━ナバテア人

           

━ 南西セム族  ━アラビア人 

シュメール人は何処から来たのか分からないようだが、後の種族はセム族が枝分かれしたものと見ておけばよさそうだ。

(サムネイル画像をクリックすると大きいサイズの画像になります。画像の中ほどの両端の矢印をクリックすると画像を前後に移動出来ます。画像の右下の○をクリックするとサムネイル画像に戻ります)