ダマスカスの市内観光を終え、シリア最後の観光地ボスラに向けて出発する、ヨルダン国境に近いボスラまで140kmほど。

車窓には、昨日まで見てきたシリア沙漠とは全く異なる農耕風景が広がっている。シリア南部は‘肥沃の三日月地帯’の1部で小麦やトマト、キャベツ、スイカなどの野菜、オリーブや綿実などが主な農産品で、小麦は自給できるほど収量があるという。

シリアの農業は天水農業が主で、灌漑農業の技術は低いので、日本がODAで灌漑の技術協力をしていたと聞いたことがあるが、ブッシュに追従する政府のもとではどうなっていることやら。

添乗員の話では、シリア南部には4つの県があり、そのうちのクナイトゥラ県はゴラン高原に接していて、ゴラン高原はダマスカスから約60km、1974年の第4中東戦争の後、国連の平和維持部隊であるUNDOFが非武装地帯を設けて停戦の監視を続け、日本の自衛隊も40人ほどがこの停戦維持活動に参加しているそうだ。

シリアは対イスラエル強硬派と言われているが、ゴラン高原を占領されたままで、相手はアメリカから強力な武器をふんだんに供給され、手も足も出せない状態ではふんまんが鬱積するしかないのではないだろうか、一発触発の地域であることに変わりはない。

古くはヘロデ王が3人の息子に領土を分割したという話にボスラが出てくるらしいが、バスがボスラに近づいて、添乗員のお話が始まる、

BC2世紀ころ、ペトラに本拠を置いていたナバテア人が進出、支配地域をパレスチナからダマスカスまで拡大していた、その北の中心がボスラで、ナバテア人は交易路を守るために要塞を築いていた。そのナバテア王国も2世紀の初めにローマに滅ぼされてしまう。ボスラが繁栄したのはローマ時代で、ボスラは交易の要衝として植民都市化され、数多くの建造物が作られた。AD2世紀ごろにはローマ劇場も造られている。イスラム時代には劇場を堅固な城壁で囲まれた要塞に変え、十字軍の攻撃に対抗していた。

その後、劇場は忘れられ、ゴミと土に埋もれてしまったが、そのために保存状態は良いと言われている。

ローマ劇場

バスがボスラの中心に入ると城塞が見えてくる、これが外観から俄かには信じ難いローマ劇場なんだそうだ。色が黒ずんでいるのはボスラの東方の火山の溶岩で黒い色をした玄武岩のためだと言う。劇場だけでなく広場の敷石も黒ずんでいる。

まず腹ごしらえということでローマ劇場のそばのレストランで昼食。飲み物に赤いオレンジジュースがあると言われ、注文する。赤いオレンジはこの地方だけのものだそうで、味は少し甘いがしっかりオレンジである。

さて、ローマ劇場、城塞を通って中に入り、ガイドさんの説明を聞く。パルミラの円形劇場と同じようにオルケストラを挟んで舞台と観客席がある。

観客席はに3つのセクションがあり、1番下のセクションは言わばS席で14段、なかほどのセクションは18段、1番上に5段、全部で37段あり1万5千人を収容した。当時は屋根もあり雨や暑さ対策が施されていた。

劇場では音楽や演劇は勿論、罪人をライオンなどの動物と闘わせることもした。音響効果がよいので、現在も8月には国際フェスティバルが行われている。

で、短いフリータイムになり、観客席を登ってみる、傾斜が結構険しくて、足元を心配しながらなんとか1番上に上る。

上から見ると、観客席、オルケストラや舞台がほぼ完全な姿で残っていて、特に舞台背面の3層の障壁が見事に残っている。1層にはここだけ白いコリント式の柱が並び、2層、3層にはたくさんの窪みが作ってある、これで声が響くようになっているという。

数あるローマ劇場遺跡のなかでも1番美しいと言われている劇場に納得して、城塞の通路に展示されているローマ時代の彫刻やイスラム時代のモザイクを見てボスラ観光は終わり。

ヨルダン入国

ボスラから20分ほどでシリア国境の町ダラーに着く。

シリア出国手続きは、添乗員が皆のパスポートを集めて、ガイドさんが出入国事務所に持って行き、スタンプを押して返された後、係官がバスに乗ってきてスタンプと顔をチェック、20分ほどで終了する。

シリア出国のあとは5分ほど緩衝地帯を走って、ヨルダンの国境検問所に。

検問所には入国審査を待つ乗用車やトラックがずらっと並んでいる、トランクだけでなくボンネットも開け、座席の下もチェックされ、荷物は全部降ろしてダンボールを開けて中を見るなど、徹底的な検査が行われている。

イラン旅行の時、県境で同じような検査が行われていたことを思い出すが、その時にはアフガニスタンからイラン経由のルートでアヘンが流れているので厳しいチェックをしていると聞いたことがあるが、ヨルダンではその上、2005年11月に3ホテル同時自爆テロがあったので極度に警戒しているようだ。

われわれ観光客も荷物のX線検査があると言われ、スーツケースを降ろして検査場に持っていくが、なかなか検査が始まらない、係官がアサールのお祈りをして

いるらしい。こればかりはイスラムの国では文句をつけるわけにはいかない。係官がやおら戻ってきて全員無事に検査が終わる。シリア出国の時と同じようなパスポートのチェックとこの荷物検査で1時間ほど、ようやくヨルダン入国が認められる、やれやれ。 近くの両替所でUS20$を両替、14JD(ヨルダンディナーレ)を手にする、1JDは日本円で171円くらいのようだ。で、いよいよアンマンに向けて出発する。ヨルダンのガイドさんは50才台(?)、縦と横が同じくらい太っていて、ユーモラスである。