エル・カズネから右手に曲がって、アウター・シークと呼ばれる谷間を進んでいくと左右の岸壁にきざまれた大小さまざまな墳墓がみえてくる。この谷間を抜けたところにローマ劇場があり、3000人を収容したという。

このローマ劇場の辺りから視界が開けてきて、右手の山腹には王家の墳墓といわれる、壷型の墳墓(アーン)、シルクの墓、コリントの墓、宮殿の墳墓の4つが並んでいる。ペトラには500以上の墓があると言われているが、跳び抜けて豪勢な墓が4つ並んでいるので王家の墳墓と呼ばれているが、ルクソールの王家の墓のように、なになに王と結び付けられるものでないようだ。そもそも埋葬の思想がエジプトとは違っている。

道ばたにはみやげ物屋が並び、ペトラの色鮮やかな砂でラクダなどの砂絵を作る工房もある。瓶の大きさによってUS5$から30$くらいまでいろいろあるようだ。

道はこのあたりから左に曲がり、ローマの中心市街地につながっている。列柱道路(カルド)は全長約150mで、奥の凱旋門まで続いている。今は何のへんてつもない砂地のでこぼこ道であるが、かっては、道の両側に神殿や宮殿、商店街、公共浴場や役所などが並ぶメインストリーであった。(列柱道路を歩いているだけでは気付かないが、道路の左手の一段高いところには大神殿の跡がある)。途中、右手に泉(ニンファエム)があり、夏には冷水がでたという。

その向こうの山腹には翼を持ったライオン寺院とビザンチン教会がある。ライオン寺院は地震で崩壊し、柱がころがっているだけだが、ビザンチン教会にはモザイクがはっきりと残っているので一見の価値ありとガイドさんのおすすめである。

列柱道路を進み、凱旋門までくると、左手にはカツル・ビント・ファウルンの外壁が残っている。カツル・ビント・ファウルン(ファラオの娘の城)は主神ドゥシャラを祀ったとされ、高さ23mの本殿は列柱廊、前室、至聖所があった。 カツル・ビント・ファウルン(ファラオの娘の城)という神殿の名前は王女が邸に水を引いてくれた者と結婚すると約束したという伝説によるものらしい。

凱旋門からしばらく歩くとフォーラムという広場、ここのレストランで昼食をとると午前中の観光が終わりである。昼食の予約時間は11時半、少し時間がある。

食後は1時半までにビジターセンターのバスに各自戻ることになっているが、あまり時間の余裕はないらしい。横浜から参加の3人は昼食をキャンセルしてエド・ディルに出発している。

このツアーはペトラを半日観光、午後は砂漠のワディ・ラム観光となっているのだ。実は、旅行の申し込み時に、ワディ・ラムはキャンセルしてペトラに残ることを伝えていた。添乗員にも伝わっていて、昨日、簡単な離団書を提出している。

なんとかは高いところに上りたがると言われるが、午後はエド・ディルと犠牲祭壇に登る予定である。ところが、ペトラの砂利道やでこぼこ道を2時間ほど歩いて膝ががくがくし始めている。お爺さんは山へ芝刈りに行っても、ついついカートに乗ってしまうので最近は足腰がとみに弱っているようだ。

エド・ディルに登るには階段が800段もあって小一時間かかるようだし、ドンキーの乗り心地も覚えているので、ここは一番、ドンキーのお世話になることに決め、昼食までの間に値段の下調べをする。最初はふっかけてくるが、登り片道が2~3JDのようだ。食後、ガイドさんが値段を聞いてくれたが同じようである。

値段交渉は大阪人なのでベドゥインには負けないが、親方が手綱を引くというので2.5JDで手を打ち、鐙を足の長さに合わせて貰って出発する。

階段と言っても、自然の段差のような所もあり、それも崩れかかっている所が多いので、平地の乗り心地とはいかないが、それでも何となく楽しい。で、なんとか無事にエド・ディルにたどり着く。

エド・ディルはエル・カズネと同じような作りだが、一回り大きくて幅46m、高さ40mある。AD1世紀頃、ペトラの主神ドゥシュラに捧げられた神殿であったが、4世紀には教会としてされたのでエド・ディル(ディルは修道院の意味)と呼ばれるようになったらしい。エル・カズネにあった神々の彫像がここには無いが、エド・ディルは未完成品なのだろうか。

エル・カズネは薔薇色に光り輝いていたが、エド・ディルは少しくすんだ感じである。西向きなので午後にならないと良くないのか、それとも岩の種類が違うのかよく分からない。

エド・ディルをしばらく眺めた後、茶店の横を通って山の頂上に登っていく。途中、View Pointと書かれた頂上への案内標識が立っている。矢印の方向に登っていくと360度、岩山しか見えない風景が広がってくる。