円形劇場

列柱道路をしばらく進むと、左手に円形劇場がある。
入口の前でガイドさんの短い説明、
BC2世紀初めに造られたローマ劇場で、1952年に発見された。
砂に埋もれていたので保存状態がよくほぼ原形をとどめている。音楽や演劇が演じられたが、罪人を虎やライオンと戦わせる見世物も行われた。

チケット売場の奥の扉を潜ると、オーケストラの語源とも言われるオルケストラ(舞台と観客席の間にある半円形のスペース)に出る。ここで合唱隊コロス(コーラスの語源)がうたったり踊ったり、また罪人を獣と戦わせたりしてパルミラの住民や隊商たちが楽しんでいたらしい。

観客席は13段が残っているが、劇場としてはちょっと小ぶりな感じである。3千人を収容したと言われているが、どうかなと思われる。

観客席に上って正面を見ると、コリント式の円柱が並ぶ舞台の壁がほぼ完全な状態で残っていて、宮殿のファサードを思わせる。

現在もこの劇場では毎春、歌や民族舞踊のパルミラ・フェスティバルが行われているそうだ。

添乗員から3兄弟の墓の内部は撮影禁止となっていると教えられていたので、チケット売場で3兄弟の墓の絵葉書を買って円形劇場の見物はお仕舞い。

元老院

円形劇場のそばに元老院の跡、その奥に取引所、アゴラなどがある。

浴場や劇場、元老院やアゴラなど公共施設が集まるこの辺りがパルミラ市街の中心のようだ。

元老院は崩れたままなのでよく分からないが、柱廊で囲まれたスペースに馬のヒズメの形に並んだ座席の跡があって、元老院の会議場だったらしい。

ガイドさんによれば、10万人いたパルミラの元老院にしては小さくてお粗末なのでパルミラ商人達の本拠だったとかいう説があるとのこと。

元老院の奥はアゴラ、アゴラは広場とか市場の意味でローマ遺跡にはよく見かけられる広場である。このアゴラはAD2世紀前半のもの、84×71m、列柱で囲まれ屋根があったらしい。柱などにはパルミラ貴族の彫像がたくさん飾られていた。

アゴラでは商品取引が行われたが、演説や元老院の決定事項とかニュースを知らせていたそうだ。

アゴラに隣接して取引所があり、パルミラを通る商人はここで関税を支払わなければならなかった。この関税が豊かなパルミラの源泉であった。

四面門

列柱道路に戻ると、道路の脇にめずらしい形の柱が立っている。テトラピロンと言い、正方形の台座の上に4本の円柱が立ったものが4組あり、街の中央の交差点に造られるものらしい。円柱はエジプトの赤花崗岩でアスワンからわざわざ運んで来たという。それぞれ4本の円柱の中には彫像が置かれていたそうだ。現在の四面門はシリア考古局によって復元されたもので、少し黒みがかった1本の柱だけがオリジナルとのこと。ここでデクマノスは少しだけ角度が変わっているようだ。

バール・シャミン神殿

四面門を右に折れてバール・シャミン神殿に向かう。

バールは主、主人、所有者などの意味を持ち、固有の神ではなくバール・レバノン(杉の主)やバール・サホン(北方の主)などいろいろな神に使われた呼称である。シャミンは天を表すので、バール・シャミンは‘天の主’である。

フェニキアではバールはハダト神に結び付けられていたので、バール・シャミンは雷雨と豊穣の神であり、天の主人である。しばしば翼を広げた鷲の姿で表現されるという。

神殿はAD130年頃に建てられたもので、ハドリアヌス帝が資金を出したとも言われている。5世紀には教会に造り替えられたりしたので、現在もファサードには6本の円柱も残り、本殿の保存状態はよい。

中庭の列柱に、‘オダイナト、傑出した執政官’という献辞があって、当時、まだオダナイトは王ではなかったが、ローマから高く評価されていたことを示しているという。

エラベル家の墓

パルミラ市街地の見物が終わり、バスはパルミラ遺跡の西側に広がる墓の谷へ。

斜面に点在する崩れかけた塔墓を見ながら進み、タワーの形をしたエラベル家の墓のそばでバスを降りる。エラベル家といえばナボ神殿の建設に多額の寄付をしたパルミラの有力者である。

ガイドさんによれば、墓は4階建で28m、AD103年の建立。200ほどある墓の中で一番大きくシリア考古局が1974年に修復したので保存状態もよい。3階のバルコニーのところがエラベルの墓で、その下に碑文があり、AD103年にエラベル、マーネ、ショキ、マリクの4人が建てたと書いてあるとのこと。

中に入ると、正面に家族の胸像、天井には花びらに囲まれた4人が描かれたフレスコ画ある。壁とコリント式柱の間に横穴が作られ、1つの穴に9個の柩を引き出しのように納められるようになっている。墓のアパートと言った感じで全部で300の柩を収容することができたという。

添乗員おすすめのバルコニーで写真を撮ってエラベル家の墓の見物は終わり。

3兄弟の墓

墓の谷の次の観光は3兄弟の墓、地下墳墓である。ナマイン、マレー、サエディの3兄弟がAD160年に造った。

墓室はT字形になっていて、真ん中の部屋の正面には赤っぽいフレスコ画がある。かすれて判然としないが、ガイドさんによればギリシャ神話の英雄アキレウスが女装して隠れているところで、アキレウスはデルフィーの神託でトロイ戦争に行けば殺されると予言されていたので、スキロスの王イコメニアのもとに身を隠し、娘に囲まれているところだそうだ。

天井にもトロイの王子ガニメデスがゼウスの使いの鷲に攫われているところなどが描かれていて、ヘレニズム文化の世界である。

3兄弟の墓も引き出し様式で、53個の横穴があり、それぞれの穴に6つの柩を収めていた。右の部屋が家族用で、左は分譲、賃貸されていたという。

フェニキアのバール・シャミン、バビロニアのベル・マルドゥクやナボなどの神々が祀られるパルミラだが、共同浴場、円形劇場、元老院、アゴラやデクマノスなどとくれば、ギリシャ・ローマのデザインによって造られたローマ遺跡なんだなと実感させられる。