いよいよペトラ観光である。

ペトラはナバテア人の都である。ナバテア人とはあまり馴染みがないが、アラビア半島の南部、イエメン辺りから北上してきたセム族系の遊牧民ではないか言われている。BC6世紀頃、当時、ペトラ周辺にはエドム人が住んでいたが、ナバテア人がペトラを占拠し、隊商を襲ったりしていた。ペトラは交易上の要衝にあたるので、やがてナバテア人自ら隊商を組織して交易を行うようになり、富を蓄えていった。

BC1世紀頃にはダマスカスまで支配地を広げ、北の拠点をボスラに置いていた、そして最盛期にはペトラは3万人の人口擁していたという。ところが、AD106年にはローマに破れ、ペトラはローマのアラビア属州となる。その後、地震で破壊されたり、交易路がパルミラルートに移ったりしてペトラは忘れられてしまう。

ざっと、こんなところがナバテア人の歴史のようだ。

わがホテルはペトラ観光の町、ワディ・ムサより少し離れているが、その代わりモーゼの泉の前にある。朝食後、モーゼが杖で叩いた岩と今も湧き出ている泉をカメラにおさめる。このモーゼの泉からペトラまで水路が造られ、ペトラに水が供給されていたという。ナバテア人の土木技術の高さはローマに匹敵するものだったようだ。

ホテル出発は8時半。ビジター・センターまで10分ほどである。
バスの中で2JDが配られる、入場口からシークの入口まで馬に乗ることになっていて往復の料金とのことだが、旅行社から現金を貰うのは珍しい。

ビジター・センターの窓口でペトラの観光案内を貰う列に並ぶが、グループに1枚だと言われ、2~3人のところでばれてしまう。暫く後にもう1回並んでなんとかゲットするが英語のものは品切れでイタリア語らしい。

入場料が日本円で3,600円とベラボーに高く取るのに、サービスは中東流ということなのだろうか。入口を少し進んで、馬の乗り場で順番に乗る。馬と言ってもロバで、ドンキーと可愛い名で呼ばれている。手綱ひきのお兄ちゃんが、足の短いのを見取って鐙を調節してくれて、そろりと出発する。

両足で馬の胴をしっかりと締め、すばやく重心を調整するのがこつのようで、なかなか乗り心地がよい。途中、オベリスクの墓など見ながら10分ほどでシークの入口に到着する。

シ-ク

ペトラはギリシャ語で岩、シークは裂け目という意味らしいが、高さが60mから100mの絶壁が両側に迫る岩の裂け目に入っていく。

シークは全長1.2km、道幅は広くなったり、狭くなったり。狭いところは5mもないところに絶壁が垂直にそそり立っていて、ちょっと怖い。

大地溝帯の一部で、砂岩の山を水や風が浸食し、何百万年もかかってシークが出来たと言われているが、付近には同じような地形はいくらでもあるのに、どうして此処だけに絶壁の底の道が出来たのだろう? 地震が何回かあったと言われているが、何で1.2kmのシークが何処も崩落しなかったのだろう?・・・

ぶつぶつ囁きながらガイドさんの後についていく。
ローマ人の水路や石畳の道路、ナバテア人が造ったダムや水を引くための土管などを見ながら進んでいくと、石灰岩の崖のとこどころに穴が彫られている。その穴のなかに丸い棒状の像らしきものが見えるが、ガイドさんによればナバテア人の主神ドゥシャラ神を表しているとのこと、ほかにアル・ウッザー女神やアッラート女神などをナバテア人は崇めていたようだ。

さらに進んでいくと、ラクダを連れたナバテア人と言われている像が見えてくる、頭部は欠けているが腰に布を巻きサンダル靴を履いている様子やラクダのひずめが読み取れる。また、青い葉をつけた木がなん箇所かあるが、ガイドさんによればグラニット(花崗岩)は水分を保持するので植物を成長させる力があるとのこと。ペトラはなん百万年か前は海底であったと言われているので花崗岩もあるのかも知れない。

何度か角を回り、そろそろと期待しても、またシーク。こんなことを繰り返して30分もたった頃にやっと岩の間から薔薇色の神殿が顔をだす。一瞬、はっと息を呑む思いである。

エル・カズネ

幅43m、高さ30m、神殿のファサードのようであるが、ガイドさんによればエル・ハズネはAD1世紀のナバテア王の墓なのだそうだ。2階建(最近、地下の部屋が発見されているので3階建?)で、2階には遺体が安置され、1階は葬儀が終わった後に飲み食いをした部屋で長いすが置かれていたという。

よく見ていくと、1階は12mの6本のコリント式の柱が立ち、左右にある2対の像はラクダとラクダ乗りで、王を天国に運ぶ意味があるという。2階の真ん中の柱に囲まれている像はエジプトのイシス女神、丸い屋根の上には大きな壷がある。

カズネはアラビア語で宝庫の意味で、ベドウィンがこの壷の中に財宝が詰まっていると思ってファラオの宝物庫と呼んでいたという。この財宝をせしめようと銃で撃ったそうで、壷が欠けているのはそのためだそうだ。

イシス女神像の左右、柱に囲まれている像はギリシャ神話のアマゾネス、戦いの神でもあるので斧の鎧で武装しているらしい。その上の屋根のところには4羽の鷲がいる、鷲はドゥシャラ神(ギリシャ神話ではゼウス)を表すという。

イシス女神とアマゾネスの間の少し窪んだ処には2対の羽根を広げた女神がいる。羽根を広げた女神と言えば、これは間違いなく勝利の女神ニケである。

エジプトやギリシャ、ローマ、ナバテアなどエル・カズネが4つの文明の影響を受けているのはペトラが国際交易都市だったということの表れだという。

1階の部屋を覗くと殺風景な四角の部屋があるだけで、インディージョーンズに描かれたような宮殿があるわけではない。