ホテル出発は7時、今日の予定はプリトヴィッツェ湖群国立公園とシベニクの聖ヤコブ大聖堂を見物することになっている。 今日も天気は晴れ、気温も33~34℃に上がり暑くなりそうだ。

海岸線に沿って走り始め、しばらくすると、添乗員がバルカン半島の地図を前方のスペースに貼ってクロアチアの説明を始める。(忘れたところもあったり、少し補足したりすると凡そ次のようである)

クロアチアの面積は北海道の3分の2ほどで、人口は約450万人。丁度、ブーメランのような形をしていて、70万人あまりの首都のザグレグのある中央クロアチア地方、ポレチュなどのイストラ半島、オパティヤやリエカのクヴァルネル地方、アドリア海沿岸に沿って伸びスプリットやドブロクニクなどがあるダルマチア地方とスラヴォニア地方に分かれている。

スラヴォニア地方はハンガリー、セルビア、ボスニア・ヘルツェヴィナに3方を囲まれており、ユーゴ内戦時には辛い歴史があって多くの住民は家を捨てざるを得なかった。

今回のドライバーさんは、そのスラヴォニア出身であるが、家族はスラヴォニアに止まったそうだ。彼の曰くにはとどまって正解だったとのこと。
彼はクロアチア人かと聞かれると、俺はスラヴォニア人だと答えると言う、民族の誇りを胸に秘めているということのようだ。

クロアチアの人口構成は、クロアチア人が90%、セルビア人が5%、そのほか、ボシュニャクが0.5%、イアタリア人やハンガリー人など。クロアチア人が90%と言うことはローマカソリックの国と思ってよい。ボシュニャクはオスマンの支配時代にイスラムに改宗した人たちである。

もともと、この地にはBC10世紀頃からイリュリア人が住んでいたが、ギリシャ人がやってくる、BC4世紀にはケルト人もやって来てイリュリア人を南に追っ払う、その後BC2世紀にはローマ人がやって来たりして、6世紀には初期の南スラヴ人がこの地に入植するなどなど目まぐるしく動いた。

で、南スラヴ人とは何者ぞとなるが、ヨーロッパの主な民族はラテンとゲルマン、スラヴであります。そのスラヴは3つの地域に分かれており、東スラヴはロシアやウクライナなど、西スラヴにはポーランド、チェコ、スロヴァキア、そして南スラヴにはスロヴェニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェヴィナ、モンテネグロ、マケドニアやブルガリアが含まれます。

ヨーロッパの歴史の表舞台で活躍したのはラテンとゲルマンであり、スラヴは終始、裏方の地味な存在であった。

南スラヴ人は部族単位でこの地に移住してきており、クロアチア人やセルビア人などが定住するようになったのは7世紀になってからである。ダルマチア地方とか、中央、イストラ地方でそれぞれ歴史が少しずつ違うが、クロアチアの歴史を大まかに言うと、7~9世紀にはビザンチンが沿岸部などを支配していたが、10世紀になるとトミスラブという人がクロアチア王国を築きます。

11世紀にはクロアチアは繁栄するが、12世紀になるとクロアチアは独立を保つのだが、ハンガリーにつく貴族とヴェネチアにつく貴族に分かれたりして、クロアチア中央部はハンガリーの支配が強まり、沿岸部はヴェネチアの影響を受けるようになっていきました。

16世紀にハンガリーがハプスブルグ帝国に組み込まれると、クロアチアもハプスブルグの支配を受けることになり、一方、ビザンチン帝国を滅ぼしたオスマントルコがバルカン半島に侵攻、さらに16世紀にはウィーンまで進出したりするが、18世紀の初め頃には再び内陸部はハプスブルグ、沿岸部はヴェネチアの支配下になります。

その後、18世紀末にはヴェネチアが崩壊、第1次世界大戦でハプスブルグが没落してスロヴェニア、クロアチア、セルビア王国が建国されることになります。

そんなこんなで、バスの右手に白い石灰岩に覆われた島が見えてきた。添乗員の曰くには‘まっちろけ(真っ白)の島はクルク島’なんだそうだ。

クロアチアの海岸はリアス式海岸で、島の数は1200とも1300とも言われ、名前の付いている島だけでも70ほどあり、その中で一番大きいのがこのクルク島だとのこと。

その対岸と言うか本土側のセーニという町で30分ほどトイレ休憩した後、海岸線を離れて標高700mほどのヴェレビット山の坂道を上り始める。この山もディナルアルプス山系の1つで、これから先、こうした山を行ったり来たりしながら観光していくのだそうだ。

われらが添乗員は、伊予は道後温泉の産なのでおっとりしているのかと思ったら、あにはからんや相当のいらちである。昨日もシュコツィヤン鍾乳洞に行く途中、少し渋滞すると苛立っていたが、今日も前を走る小型トラックが遅いとご不満の様子である。

自称28才とのことなので、10才くらいサバを読んでいるんだろうと思ったら、女性陣の見立ては20才のサバ読みだそうだ。同性の見方は厳しい。

しばらく走っていると車窓に木々が南よりに傾き、枝がひん曲がったりしている風景が広がってきた。添乗員の話ではボーラと言う季節風によるものだそうだ。なんでも冬場にハンガリーの側から山脈を越えてアドリア海に吹き下りる北東風がボーラと呼ばれもので秒速が50mを越えることもあるらしい。パタゴニアのラパタイア湾の‘旗の木’と同じもののようだ。