マス料理の昼食を終えて、レストラン出発は2時20分過ぎとなった。上湖にも足を伸ばしたので予定が少し遅れるようだ。次の観光地のシベニクに着くのは5時過になるらしい。

で、ハイウエイを順調に走り、添乗員の話の通り、トンネルを抜けると荒涼とした荒地が続く風景に変わってきた。この辺りは雨量はそれなりあるはずだが、石灰岩質のため保水力が無く、すぐに地下に流れていくと言うことなのだろうか。

さて、シベニクが近づいてきて添乗員のシベニクについての説明が始った(多少付け加えると次のようである);

シベニクはクルカ川の河口に開けた町だが、ポレチュなどがイリュリア人やローマ時代からの町であったのと違って、シベニクは10世紀に樹立されたクロアチア王国によって11世紀半ばにつくられた町である。もっとも、その後はポレチュやスプリットなどと同じようにヴェネツィアとヴィザンチンとの間でキャッチボールされたり、オスマンが攻めてきたり、ハンガリーの支配下にはいったりで、大国に翻弄されることになる。当時の要塞や見張り台の跡も聖アン要塞など僅かに残っている。

シベニクはドブロクニクなどと違って日本人には殆んど馴染みがないですが、アメリカのテレビドラマのER緊急救命室で、ジョージ・クルーニーが演じた小児科医はシベニク出身という設定になっていましたし、戦場のピアニストのマキシノ(?)もシベニク出身ということでした、そうゆう事も思い出しながら見学すると興味が湧きますよ。

今日は1時間ほどかけてシベニクの世界遺産、聖ヤコブ大聖堂を中心に観光案内します。聖ヤコブ大聖堂は1431年から造り始めて完成したのが1555年、120年もかけて造られました。ゴシック様式とルネッサンス様式が混合した建物となっています

さて、町はずれのバス停で現地のガイドさんと合流、聖サンフランシスコ教会を横手に見て旧市街に向かう。入口の近くには城壁の一部が残っていてシベニクの守護聖人、聖ジョージのレリーフがはめ込まれている。城壁は市の図書館の壁として利用されているのだそうだ。

道を挟んで反対側の建物は劇場で、毎年、国際的なお子様フェスティバルが開かれ、50年も続いている伝統のあるものとか。通りを進んでいるとフェスティバルの足場とか入賞者の名前や絵などが張られているが、去年のものなんだそうだ。ガイドさんも気にする様子はないのでシベニクの人たちはかなりのんびりしていると言うかこだわりがあまりらしい。

聖バルバラ教会

聖母被昇天教会は名前だけ、聖イヴァン教会はゴシックとルネッサンス様式が混合した15世紀前半の建物などと教えられ、少し歩いていると鐘楼が2つある教会が見えてきた。聖バルバラ教会と言ってやはり15世紀前半の建築。壁の時計はシベニクで最初の機械式時計で先ほどの聖イヴァン教会から移したものとのこと。

現役の時計だそうなのでカメラを望遠にしてみると24時間表示のようである。短針はXVIIと XVIIIの真ん中辺りを指しているので、現在時刻の17時26分にほぼ合っている。ところが、長針は8と9の間を指しており何分なのか読み方が分からない。

聖ヤコブ大聖堂

聖バルバラ教会のすぐ近くに聖ヤコブ大聖堂はある。市庁舎や共和国広場(フェスティバルに備えて観客席が広場一杯に組み上げられていて大聖堂との間が狭い通路になっている)に面した大聖堂前のスペースに固まってガイドさんの説明を聞く、

大聖堂は1431年にヴェネチアや地元の建築家によってゴシック様式で建設が進められましたが、1441年からはジョルジョ・オルシーニ(出身地名をとってシベニクのジョルジョとかダルマティナツとも綽名されている)が指揮をとりルネッサンス様式で建築されました。

大聖堂の正面入口やこちらの北側の壁に並んでいる72人の顔やライオン門などはオルシーニの作です。彼が死んだ後はトスカーナのフィレティナッツが引き継ぎドームなど完成させました。

この大聖堂の特徴は木材やレンガなどを一切使わず全て石材で造られていることです。

その大理石や石灰岩は近くのブラチ島のもので、イスタンブールのアヤソフィア、ヴェネチアのドゥカーレ宮殿、ブタベストの国会議事堂、ワシントンのホワイトハウスなどにも使われています。

木材やレンガなど一切使わない最大の石造建造物であることやゴシック様式とルネッサンス様式が見事に融合した建築物ということで2000年に世界遺産に登録されています

さて、後ろの土産物屋や旅行代理店などが入ったロッジア風の柱には罪人が縛り付けられていたなどという添乗員の話を聞きながら、大聖堂の壁に刻まれた老若男女の顔を眺める。大聖堂の建設のために寄付をしたり、労働力を担ったりした当時のシベニクの市民たちだろうが、神聖な聖堂に自分の顔が並べられているのを見て、さぞ吃驚もし、自慢に思ったことだろう。

ライオンの門は観客席の足場がせまっているため角度がとれず、カメラ泣かせとなっていて、通り過ぎ西側のファサードに回る。実は、この大聖堂は教会堂だけで鐘楼がない、鐘楼を造る予定はあったのだが、と言う話を聞きながら内部に入る。

内部は薄く黒ずんだ感じだが、全体に重厚な感じである。天井を見上げると屋根裏が付いていないので石造りの丸い屋根がむき出しとなっている。何トンもあるような石材を落下させずに丸く組むとは高度な技術を当時の建築家は持っていたんだと感心させられる。

当時の教会では女性は2階のバルコニーからしか参拝できず、1階のフロアーは男性だけと言うことになっており、2階のバルコニーが作られているが、見せかけだけなので上がれませんとか、主祭壇の左手のキリストの磔の彫刻は16世紀の一刀彫だと聞かされた後、半地下となっている洗礼室に移る。

3畳ほど狭い部屋の真ん中に洗礼盤が置かれ、天井には洗礼を祝福する天使が華麗に刻まれている。素晴らしいと感心していると、30人のグループなのでトコロテン式に押し出さる。で、聖ヤコブ大聖堂の見物はお仕舞い。

スプリットのホテル

プリトヴィツェで少し時間がオーバー、シベニクでもゆったり目の見物だったのでスプリットのホテルに入ったのは9時前、すぐに食事となる。今晩は欧州選手権のスペインとイタリアの決勝があるので、やきもきしながら終えて部屋に直行すると試合はまだ続いている。

で、スペインが勝ったのを見とどけて、水回りを見るとバスタブユニットに凹み傷がある。水回りはいつもは直ぐに調べるのだが今夜は部屋に入って1時間近く経っているので添乗員に見て貰う。彼女の曰くには、彼女の部屋の方がもっとひどい傷があるそうで安心する。このPホテルは地球の歩き方でもトップに載っているホテルだが、細かいところに目配りがあまりできていないようだ。

気になることがもう1つ、バスタブの給湯である。バスタブの端っこにジャグジーを縦にしたようなものがあり、シャワーがあちこちの穴から出る設定になっているのだが、バスタブに湯を張る仕方が分かり難い。

コックをいろいろ操作してなんとかバスタブに浸かった後、よく見るとマークを合わせてシャワーにしたり、バスタブに湯を注いだりするようになっているようだ。マークが小さいし、説明もない。シャワーで済ませるヨーロッパ人にはそれでいいのかも知れないが、バスタブにゆっくりと浸りたい宿泊客には親切とは言えない。

日本人観光客も増加していることだし、折角、バスタブが付いているのに使われなければ意味がない。こんな所にも観光の歴史の浅さが垣間見える。

(翌朝、皆さんの話では使い方が良く分からないのでシャワーだけで済ませた人が多かったようだ)