コトル旧市街

コトルまで40分ほど、

コトルの話をしましょう・・・、‘皆さんほとんど寝てしまう’と愚痴りながらの添乗員のお話(のあらまし);

内海のなかの内海、その一番奥にあるのがコトルです。前を海、後ろを絶壁に囲まれた3角形の旧市街が世界遺産に登録されています。

この地に最初にやって来たのがギリシャ人でアクリオン(?)という植民都市をつくっていました。その後、ローマ人が入って来て属州とします、最初に要塞化されたのが3世紀ごろと云われています。西ローマが崩壊した後、ゲルマンのフン族などがやってきましたが、ゲルマン系にはなりませんでした。内海の、そのまた奥という地形のために助かったとも言われています。

その後、ビザンチン帝国の支配下におかれ、12世紀にはセルビア王国に組み込まれます。セルビアは資源が豊富であったが港がなかったのでコトルが重要な港湾都市となりました。

15世紀の半ばには、ダルマチアの沿岸部やブドヴァなどと共にヴェネツィアの支配下に入ります。以後、16世紀と17世紀のわずかな期間のオスマン支配を除いて、コトルは400年に渡ってヴェネツィアに領有されます。

このヴェネツィア支配時に城壁が強化され、長さは4.5kmにもなりました。城壁の幅2~16m、高い所は20mもあります、260mの山頂に伸びる万里の長城のような城壁の要所要所に要塞や砦が築かれました。

コトルは外敵による崩壊は免れたのですが、1667年の大地震と、近年になって1979年にも地震に襲われ大損害を被ります。ユネスコは1979年、世界遺産に登録しますが、同時に危機遺産のリストにも載せました。現在は、ユネスコの支援もあって元のように復旧され、たくさんの観光客をあつめています。

さて、添乗員のお話を子守唄代りにする人、ウトウトと聞きながらもついつい睡魔に誘われる人など、旅の快い疲れもあって皆さん至福の時に浸っている。と、‘着いた! 皆さんオヤスミのところ申し訳ないが、コトルに着きました’と添乗員が現実に引き戻してくれる。

で、城壁や要塞が正面に見えて来たと思ったらバスが前に進めなくなった、渋滞である。岸壁を見ると12万トンのクルーズ船、ソルティ号が接岸し、7万トンクラスのリヴィエラ号も傍に停泊している。

3000~4000人の観光客が小さなコトルを訪れている勘定なので大渋滞が起きるのは仕方がない。地中海やアドリア海の観光をするヨーロッパの人々は大型クルーズ船で観光地巡りをすることが多いので、そうしたクルーズ船と鉢合わせしたら、Oh my God! 諦らめるしかないようだ。

海の門と呼ばれる正面入り口を潜ったところの広場で、周りの建物の説明を聞きながらガイドさんを待つ。目の前の時計塔は17世紀のもの、塔の前の角錐のように先が尖った柱は‘恥の柱’と言われ、罪人をこの柱に縛り付けて晒し者にしたとか。広場に沿った左側の建物は旧総督邸、オープンカフェが並び、霧が時々噴射され暑さを和らげてくれる。広場の突き当りの左手がタウンホールで、右側の建物には武器が貯蔵されていた。この広場も軍事広場と呼ばれていたのだそうだ。

ガイドさんを待つ間、ブドヴァに続いて、わがツアー選りすぐり美女の写真を撮らせて貰う・・・・、岐阜から一人参加の上品な若い女性(友達の都合で一人参加になった由)、プリトヴィッツェやドゥウブロブニク城壁を手を引きながら観光されていた微笑ましい母娘さん(お母さんは70代後半とお見受けした)、お友達2人組(若かりし頃は2人ともさぞ美形であったろうと思われる)、など。

ガイドさんは大渋滞に巻き込まれているのか15分ほど待っても現れない。で、添乗員が痺れを切らし、自分が案内しましょうと歩きだした。右手に向かい、狭い路地のような通りを抜けると、ファサードの左右に鐘楼を持つ教会が見えてきた、聖トリフォン大聖堂である。

この教会はローマカソリックの教会で、12世紀にロマネスク様式で建てられましたと言うのが添乗員の説明だが、聖トリフォンとは何者なんだろう、右の鐘楼と左の鐘楼は明らかに違うようだが何故なんだろう、どうして大きなバラ窓があるんだろう、などについての説明はない。

ガイドさんが来ないというハプニングは予想していないので、手元資料はバスの中に置いてきており、われらがベテラン添乗員にも細かいことはわからないと云うのが正直なところのようだ。

大聖堂の写真タイムの後、西(?)に向かって路地をゾロゾロと歩き、一見、小屋のような教会と2本の鐘楼を持つピカピカの教会が斜向かいになっている広場に出る。小屋のような教会は聖ルカと言い12世紀にカソリックの教会として建てられたが、17世紀にセルビア正教の教会に変更されたもの、ピカピカの教会の教会は元々あった修道院が火事で焼け、その跡地に20世紀に建てられた正教の教会だとのこと、などなど話を聞いていると、ガイドさんが現れた。

添乗員とガイドさんの話し合いで、あらためての旧市街観光はせずフリータイムにすることに決まったようで最初の広場に戻るようだ。こんなケースではガイド料はどうなるんだろう、添乗員は添乗日誌に正直に書くのだろうか、それともガイドさんに貸を作るんだろか・・・・ ぶつぶつ一人ごちながら皆さんの後についていく。