エウフランシウス大聖堂

門を入ると中庭(アトリウム)があり右手に聖堂、左に洗礼堂、その奥に鐘楼がある。

ガイドさんの説明によれば、エウフランシウスバジリカ、洗礼堂、鐘楼、中庭、礼拝堂や司教の邸宅などの初期のキリスト教の複合建造物が保存されているのが世界遺産に登録された理由なのだそうだ。

洗礼堂

先ずは、洗礼堂に入る。洗礼堂はエウフランシウスバジリカ建設の初期に中庭と一緒に造られた8角形の建物で木造りの天井も8角形である。
天井の木材はしっかりしており1500年も経っているとは思えない、近世の何時かに修復されたものと思われるがどうだろう。

床の真ん中に穴が掘られており、ガイドさんによれば、水が満たされたこの穴に全身を浸す、浸水と呼ばれる方法で初期のキリスト教の洗礼は行われた。

キリスト教徒が洗礼を受けるのは、アダムとイブが楽園で罪を犯したため人間は生まれながらに穢れており、全身を聖水に浸して洗い流すためだそうだ。
こうした洗礼堂が残っているのはヨーロッパでもめずらしいらしいとのこと。

博物館、教会床モザイク

洗礼堂の見物の後は博物館へ

博物館(もとの司教館?)の彫刻、椅子や祭礼用具などの展示は素通りして床モザイクの展示室に向かう。途中、窓から外をのぞくと野外の床モザイクが見える、建物は取り壊されても床モザイクは残ったようで、花瓶から出た木の枝が奔放に枝垂れ、花を付けている様子は華やかなである。とても4世紀~6世紀のものとは思えない見事な芸術品である。

モザイク展示室には幾何学模様のモザイクが多く展示されているが、目を引くのは並んで展示されている魚のモザイクと貝殻とイルカ?のレリーフである。魚はキリスト教が公認される以前には信徒が隠れシンボルとしたとのこと。よく見ると歯と目玉はするどく、エラは赤く背の辺りは青みがかっておりリアルである。

隣のレリーフには帆立貝とイルカその下の破風には十字架と鳩がデザインされており、キリスト教が公認された後の作品のようである。帆立貝は聖ヤコブのシンボルとされているが、ヤコブの遺骸が見つかったのは9世紀になってからと言われているので、巡礼以前からキリスト教では帆立貝を何らかのシンボルとしていたものと思われる。異教徒にして浅学の身ではどういうことなのか思い及ばない。

奥の壁に先ほど窓から見た床モザイクと同じ図柄のモザイクが展示されている。変だなと思って後でガイドさんに聞いたら、博物館に展示されているのがオリジナルで屋外の床モザイクは見学者のために元々あったように復元したものだそうだ。このほかにも保存状態のよいものはみんな剥がして博物館に持ってきたようだ。

この後、4世紀、5世紀の床モザイクの平面図の説明を受け、屋内で発掘されて保存されているいくつかの床モザイクを見る。

エウフランシウス聖堂のモザイク

聖堂に入る。聖堂は身廊と両側の側廊の3廊式で、身廊と側廊は大理石の柱で区切られている。たしか、聖堂はデクマヌス通りと平行しているので、東西の軸に沿っているものと思われる。で、入口が西、聖所はキリストを象徴する東に、というヨーロッパの大聖堂の建築様式がすでにエウフランシウス聖堂に取り入れられていたようである。

さて、ガイドさんの説明によれば、エウフランシウス聖堂はAD553年から10年ほどかけて建設され、聖母マリアに捧げられた、そのため後陣の中心である半円ドームにはキリストではなく聖母マリアが描かれている。

金のモザイクで描かれた天上から下がっているリングのようなものは神の手を表しており、その下に幼子を抱く聖母が慈悲深く描かれている。聖母を囲んでいるのは天使や司教たちで、左から2人目のエウフランシウス聖堂の模型を持っているのがエウフランシウス司教である。

この聖母子のモザイクは初期キリスト教において聖母子を描いたものとしては唯一現存しているものとされている。(バルカン半島や中南米など国々では聖母マリアに捧げられた教会が多い、これは毛むくじゃらのイエスより幼子を抱く優しいマリアの方が庶民に浸透し易いと云うキリスト教普及の戦略があったものと思われる)

後陣の一番上の段には金のモザイクを背景にキリストと12使徒が描かれている。カメラを望遠にして良く見るとキリストは少年のように描かれ、何やら書かれた本を手にしている。

12使徒はそれぞれ持っているシンボルによって判別することが出来るが、キリストの左、天国への鍵を持っているペテロ以外の使徒は福音書や巻物、王冠しか持っていないので誰か分からない。ラテン語を勝手に類推するとキリストの右隣がパウロ(キリスト教布教の第一功労者だが12使徒には含まれないはずだが?)、その右の王冠を手にしているのがヨハネ。ペテロの左で福音書を持っているのがアンデレらしい。

祭壇を覆う天蓋は13世紀に造り替えられたものだが、4本の柱は6世紀のもの。正面の庇には受胎告知の場面がモザイクで描かれている。受胎告知と言えば後陣も窓の横にも描かれていると言われて近づいてみるが、角度が難しくて旨くカメラの収めることが出来ない。

ビザンティン・モザイクの傑作と言えば、アヤソヒアやモンレアーレが思い出されるが、10~13世紀のものである。これらはキリストを威厳に満ちた姿で描いているのに対し、エウフランシウス聖堂のキリストははつらつとした少年のように描かれている。また、聖母子を描いたものとしては唯一現存するものとされているらしい。

で、エウフランシウス聖堂見物はお仕舞い。