フランソワ1世の住居

王妃の居室を出て回廊を右手に進んで行くと、王の翼塔と呼ばれるフワンソワ1世のアパルトマンに至る。
フランソワ1世はドンジョンの円塔に置かれていた住居をこの東の翼塔に移したわけだがが、回廊や中庭に面して造らせた螺旋階段から直接出入り出来ることがその理由だったらしい。

この翼塔には寝室、2つの小部屋、小さな礼拝堂と執務室が置かれた。
もっとも、フランソワ1世のシャンボール滞在は狩猟のための短いものだったので、城館は臨時的に装飾が整えられ、床にはイグサを編んだものが敷き詰められ、家具調度類は簡単に取り外しが出来るように作られていた。

この後、シャンボール伯爵のミュージアムで大砲などの玩具コレクション、銀製品やベッドなど、スタニスラス・レクチンスキーやサックス元帥の友人たちが住まいしていたとされる18世紀の続きの間に展示されている豪華なベッド、サックス元帥の陶製の大きな暖炉などを見て回り、がらんとした礼拝堂を巡回して3階に上がる。

3階と屋上テラス

3階には見るべきものは何も無いが、大広間の格子状の天井はフランソワ1世の紋章であるサラマンダーの彫刻で装飾されている。サラマンダー(火とかげ)は火に棲むと言われ、聖なる炎を養い悪の炎を駆逐するのだそうだ。もう1つは狩猟のコレクションで立派な鹿の剥製やらたくさんの鹿の角が天井からぶら下げられていたりしているが、興味をひくものはない。

屋上に上がってみると、地上ではオモチャの積み木のように見えた煙突や塔は4~5階建ての建物くらいの高さがある。これらの煙突や塔の間を巡っていると、なるほど、物陰はいたるところあるので、ひそひそ話をしたり、何人かで陰謀を企んだり、はたまた情事を語らうによろしき場所だったようだ。

また、テラスからは遠く彼方にソローニュの森が見渡せ、目の前には広大な芝生が広がっている。かっては、このテラスは狩猟隊の出発や帰還、騎馬試合などを絶世の美女たちに囲まれて見物する華やかなところであったと言う。

トゥール旧市街

6時半過ぎにトゥールに帰着。シカゴの夫妻とバックパッカーはパリに戻り、熟年の姉妹はブッキング・コムでシャトーホテルを予約されているとかで皆さんとはお別れである。
日没にはまだ少し時間があるようなので旧市街の散策に出かける。パンフレットによればトゥールはローマ時代から栄えた町で、中世には王国の首都となったこともあるそうだ。旧市街は聖ガシアン大聖堂がある東寄りと、西寄りの聖マルタン聖堂の周りの市街の2つに分かれているらしい。

聖マルタン聖堂

聖マルタンはローマ軍の兵士であったが、キリスト教に入信。慈悲深く精力的な布教を行う人であったのでトゥールの司教に迎えられた、ようやくキリスト教がローマに認められた4世紀中頃のことであった。

聖マルタン聖堂を目指して歩いていると賑やかな広場に出くわした。パンフレットを見るとプリュムロー広場らしい、まだ日が高いのにカフェのテラスには大勢の若者が楽しそうに語らっているようだ。また、広場に面した通りには木骨組の家が並んでいて中世の趣を残しているので観光客にも人気がありそうだ。

広場を少し下ると聖マルタン聖堂のシャルルマーニュの塔と時計塔が見えてくる。時計塔の1階には時計屋が入っているらしくショウィンドウには時計や眼鏡が並べられている。もともとの聖マルタン聖堂は宗教戦争や大革命で破壊され残っているのがこの2つの塔だけらしい。

しばらく進むと、19世紀に建てられた現在の聖マルタン聖堂の大ドームが聳え、その天辺には聖マルタンの像が立っている。聖マルタンの死後、墓に手を置いてお祈りをすると病気もすぐ治ると言われて巡礼が絶えることがなかったそうだが、現在の聖マルタン聖堂にもお祈りに来る人が多いらしい。

聖ガシアン大聖堂

1日歩いて足が疲れてきて、休みやすみ20分ほどかけて旧市街の反対側に聖ガシアン大聖堂に着く。12世紀から500年もかけて建てられた言うゴシックのファサードは壮観である。内部には聖マルタンの奇跡を描いた見事なステンドグラスがあるそうだが、気力が失せているので中には入らない。
ツーリスト・オフィスの近くのレストランで定食をとって今日のお城見物はおしまい。