Room55(アッシリア~新バビロン(BC1500~BC539))

洪水伝説の粘土板(ニネヴェ アシュールバニパル図書館出土、BC650年頃、縦15cm・横13.5cm、粘土)

ギルガメシュ叙事詩の第11章、このなかでウタナビシュティムは神々が人類を滅亡させるために起した洪水の話をギルガメシュに聞かせる。エア神に洪水に気をつけるよう注意されたウタナビシュティムは舟をつくり、その中に家族とあらゆる種類の動物を乗せ難をのがれる。洪水が引いた時、神々はウタナビシュティムが難を免れたことを知り、彼に不死の生命を与えたと言う。

聖書の創世記で有名なノアの方舟のネタ元ではないかとされるのが、ギルガメシュ叙事詩のこの第11章である。ギルガメシュはBC2600年頃のウルク第1王朝の伝説的な王で、死後、間もなく神格化され数多くの神話に登場し、ギルガメシュ叙事詩と呼ばれる説話にまとめられた。

物語をはしょりに端折ると、ギルガメシュは、3分の2が神で3分の1が人間と言う人物であり、暴君であった。このため、神は粘土からエンキドを造り、ギルガメシュと戦わせたが決着がつかず、結果、二人は親友となりさまざまな冒険に出かけることとなる。杉を求めた旅では森を守る怪物を殺して杉を持ち帰ったが、森の番人を殺したかどでエンキドは神に命を差し出すことになる。

エンキドが死んだことでギルガメシュは自分もまた死すべき存在であることを悟り、不死を求めて旅に出る。多くの冒険の後に、大洪水から方舟を作って逃げることで永遠の命を手に入れたウトナビシュテムに会い、不死の薬草のありかを聞きだして苦難の末に手に入れるが、蛇に横取りされ食べられてしまう。失意に打ちひしがれてギルガメシュはウルクに戻るというのである。(ギルガメシュが折角手に入れた不死の薬草を攫ったのが蛇だったのは、脱皮を繰り返す蛇が不死を暗示して興味深い)

ギルガメシュ叙事詩は、その後、アッカド語やアッシリア語など各国の言葉に翻訳され2000年以上にわたってメソポタミアの人々が最も好んだお話である。洪水伝説の粘土板はアシュールバニパル王が収集して図書館に納めたアッシリア語の粘土板の1つである。


大洪水から方舟で逃れるところが書かれている。

バビロニアの世界地図(シッパル出土、BC7~6世紀、縦12.2cm・横8.2cm 粘土)

世界を‘苦い水’と呼ばれる水の輪で囲まれた円盤であると考えていたバビロニア人の地図である。バビロニアが世界の中心に位置し、ユーフラテス川がバビロニアを通り抜けてペルシャ湾に注いでいる。円で囲まれたなかに国や都市があり、円盤の周りには伝説的生物が住む地域が8つの3角形で示されている。上部には洪水伝説のウタナビシュティムについての記述もあるそうだ。

Room56(先史時代~シュメール・アッカド、古バビロン(BC6000~BC1500))

宝石で飾られた女性の胸像(ウル王墓出土、初期王朝(BC2600年頃)、頭部の高さ63cm、金、銀、ラピスラズリ、紅玉)

マネキンが着けている宝石類はウルの王墓の玄室に通じる‘死の大坑道’から出土した。木の葉の形をした金のヘヤーバンドが髪を取り巻き、丸いワッカのような飾りが目許まで垂れ下がっている。大きなイヤリングは金製、10連のネックレスはラピスラズリなどの貴石で作られている。また、頭の上の金製の3本の花冠のようなものは櫛だそうだ。

華麗としか言いようがないが、この宝石類を着けた女性は王や王妃が死んだ時に一緒に葬られる殉死だと言う。初期王朝時代の風習が垣間見られて興味深い。

ウルのロイアルゲーム(ウル王墓出土、初期王朝(BC2600年頃)、長さ30.1cm・幅11cm、貝殻、ラピスラズリ、赤色石灰岩)

外枠の木材は腐食して無くなっているが、中の貝殻、ラピスラズリ、赤色石灰岩はそのまま残っていたのでオリジナルの形が復元されているらしい。盤には20のマスがあり、花柄模様、幾何学的な目の模様、5つの円形の点模様がそれぞれ5マスある。

残りの5つのマスの模様はいろいろである。ゲームは双六に似ているようで、両端からスタートしてサイコロを振って出た目の数だけ進み相手方に早く着いた方が勝ちとなるようだ。花柄模様のマスではオマケでいくつか進むことが出来たのかもしれない。贅をこらしたゲーム盤が5千年近くも前に作られていたとは驚きであるが、シュメールの文化がそれほど高かったと言うことのようだ。

茂みの中の子羊像(ウル王墓出土、初期王朝(BC2600年頃)、高さ45.7cm、金、銀、ラピスラズリ、貝殻、赤色石灰岩)

発掘者のレオナルド・ウーリーは‘茂みの中の子羊’と名付けたが、聖書の物語を好んだ彼はアブラハムがイサクを神に捧げようとした最後の瞬間に子羊を見つけてイサクの身代わりとした場面を連想して子羊としたようである。だが、より正しくは山羊なんだそうだ。美味しそうな木の枝の葉っぱに飛びついているポーズは通常は山羊が描かれるのだそうだ。

山羊像の本体は木製であるが、顔と4本の足には金箔が張られ、耳は銅である。捩じれた角と肩の毛はラピスラズリ、腹の毛は貝殻で作られ瀝青で固定されている。金の花のついた立ち木は金箔で覆われ、貝殻、赤色石灰岩、ラピスラズリのモザイクが施された台座で支えられている。子羊の肩から出る管は椀のようなものを支えるためのものではないだろうかと言われている。

ウルのスタンダード(ウル王墓出土、初期王朝(BC2600年頃)、縦22cm・横50cm、貝殻、赤色石灰岩、ラピスラズリ)

発掘者がこれは棒の上に乗せて軍旗のように使われたのではないかと言ったことから‘ウルのスタンダード’と呼ばれているが、楽器の共鳴箱の一部だとする説もあるようだ。

戦いの時に、これを例えば棒の上に乗せたとして、戦闘の激しい動きに耐えるように固定できるのか、また固定できたとしてもこれが部隊の士気高揚や団結に資するとも思えないので軍旗とするにはちょっと無理なようだ。

発掘された時には、貝殻、赤石灰岩やラピスラズリのモザイクの木製の外枠は消滅し、画面も潰れ、接着の役割をしていた瀝青も分解していたので、現在の画面はオリジナルに最も近いものをイメージして修復したものだと言う。

画面は‘戦争と平和’として知られており、戦争の画面ではシュメールの最も古い軍の様子を描いており、ロバに引かれた戦車が敵を踏みつける場面、また斧で敵歩が殺される場面、裸の捕虜が行列して王のところに連れて行かれる様子が描かれている。
反対側の平和の場面には王と廷臣たちが音楽の奏でられる中で饗宴を楽しみ、そこへ捕虜が戦利品を運んでくるシーンが描かれている。

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