釉薬煉瓦のライオン(バビロン出土、BC6世紀、幅227cm、高さ 105cm、テラコッタ煉瓦)

新バビロニア王朝のナボポラッサル王(BC625~605)と2代目の王ネブカドネザル2世(BC604~562)によってバビロンは再建され、イシュタル門からマルドゥク神が祀られたエサギラ神殿に通じるバビロンのメインストリート‘行列道路’の両側の壁は彩釉煉瓦に浮き彫りされたライオンで飾られていた。

ドイツが発掘し、イシュタル門や行列道路一部がベルリンのペルガモン博物館に復元されている。(ペルガモン博物館につては →)
ルーヴルのこの1頭のライオンは、ペルガモン博物館からの借物だそうだ。
彩釉煉瓦の浮き彫りライオンは、まず浮彫のある素焼き煉瓦を作り、その上に輪郭線を黒っぽい釉薬で描き、他の面に色釉を施してから焼成して作るとのこと。

カルディア王朝(新バビロニア王朝)第二代目の王ネブカドネザルの手によってバビロンの町の再建事業は熱心に進められた。
町には東西に主要な道が通ることとなったが,南北方向に通る行列大通りは,王宮とマルドゥク神殿とがこれに面していることからもわかるように,バピロンのメインストリートであった。

図版に見るライオンは,この行列大通りに面した壁の装飾の一部である。
彩釉煉瓦を壁面にびっしりと並べ,ライオンの姿が浮彫で現れてくるように工夫したものである。同様の技法を用い,王宮の玉座室など重要な建物やイシュタル門などにも装飾が施された。これはまず浮彫のある素焼き煉瓦を作り,その上に輪郭線を黒っぽい釉薬で描き,他の面に色釉を施してから焼成したものである。

ドイツオリエント協会の発掘隊がバビロンを発掘した際にはこれらの煉瓦はばらばらに崩れ落ちていた。それを丹念に拾い集め再構成したものである。ライオンは古代メソポタアにおいては冥界の王ネルガル神のシンボルと考えられていた。

ネブカドネザルの宮殿の玉座室の彩釉浮彫では,ライオンの列の上方に生命の樹のモティーフが並んでいる。この行列大通りのライオンも、玉座室のライオンと同様ある種の象徴性を持たされていたものであろう。

ホルスの誕生(BC8世紀末、アルスラン・タシュ(ハダト)出土、高さ8.5cm 幅9.9cm 象牙・金箔製)

シリア北部、ユーフラテス川近くのアルスラン・タシュ(旧ハダト)はアラム人の都市であったが、BC8世紀後半にアッシリアの支配下となった。その時、この地を治めるアッシリア総監の大きな宮殿が建てられたとされているが、その宮殿の跡からたくさんの象牙細工が発掘された。

これらの象牙細工は王座や寝台の木製調度品の装飾として使われていたものと考えられているが、アッシリアがシリアやフェニキアを征服した時に収奪した戦利品らしい。

この「ホルスの誕生」は1枚のパネルに貼られている12~3枚ほどの小さな象牙細工のうちの1枚である。2人の有翼精霊(羽根の縁には金箔が貼られている)が両側から、ハスの上のホルスの誕生を祝福している場面である。
象牙もそうだが、ハスの花の上でホルス神を連想させたモチーフは明らかにエジプトのものである。

牡牛像(BC8世紀末、アルスラン・タシュ(旧ハダト)出土)

ホルスの誕生などの象牙細工で有名なアルスラン・タシュ(旧ハダト)は広大な円形城壁に囲まれていた。この像はその城壁の門を守る2対の牡牛のうちの1体、体長は2mあまりである。
どっしりとしているが、彫刻としては荒削りである。「コルサバードの中庭」の人面有翼牡牛像のように5本足であるのはアッシリアの影響を受けているのだろうか。

イシュタル女神を表わす石碑(BC8世紀頃、テル・アフマル(旧ティル・バルシプ出土)高さ122cm)

愛と戦いの女神イシュタルは、この石碑では彼女の随獣の獅子の上に左手に綱をもって立ち、腰に長い剣を差し背に二本の矢筒を十字に組んで背負っていて、男の戦士の姿で表現されている。
円筒の形をした冠の上には円盤が載せられているが、これは金星を表している。
服装は短いチュニックと斜めの房飾りの肩掛けを組み合わせて脚はあらわになっているが、これはアッシリアの王宮の浮彫の精霊が着ている衣装に似ている。
アッシリアの王たちが、戦士の姿をしたイシュタルを好み、崇拝していたことのようだ。

BC2000年紀頃からカナンやシリアなど各地で豊穣を司る神として民衆に崇められていたのがバアル神で、地域によってバアル、ハダト、アダト、タルフンダ、ベールなどいろいろな名前で呼ばれていた。シリアを旅行した時にはバアル神像やハダト神像を博物館で見物したし、アレッポ城砦やアマイヤドモスクなどはハダト神殿の跡地に建てられていると説明された。また、パルミラにはバアル神殿やベル神殿があり、広く民衆に崇められた神様だと実感した。
Room6 にはこれら各地で発掘された雷雨神石碑が展示されている

雷を振りかざす雷雨神ハダトの石碑 (BC8世紀末、アルスラン・タシュ(旧ハダト)出土 高さ138cm幅56cm 玄武岩)

旧ハダトで発掘された雷雨神ハダトである。ハダトは隋獣の牡牛の上に乗り、両手で雷を表す三叉矛を振りかざしている。そのうなり声が雷であり、雷雨がもたらす雨が豊穣をもたらすとされているのである。
石碑をよく見ると、円筒形の冠、長くて角のあるあごひげや腰に差した長い剣、衣装などアッシリア風なので、シリアの神がアッシリアの文化と混合しているらしい。

雷雨神タルフンダの石碑(BC900年頃、テル・アフマル(旧ティル・バルシプ出土)高さ210cm 玄武岩)

この雷雨神の石碑は、トルコ国境に近いシリア北部のティル・バルシプ発掘で発見されたものである。碑文には「我はマスワのハミアタ、国王、天のタルフンダ神の僕である」とあり、碑の様式からもヒッタイトの伝統を継ぐものらしい。

左手に三つまたの矛の形の雷を持ち、右手は斧を振りかざしており、短いチュニックをまとい、ウエストにベルトを締め、そこへ剣が差されている。帽子には神格を象徴する二対の角が付けられ、頭上には、エジプトに由来する有翼の太陽円盤が、ここでは三日月と太陽盤の組み合わせになっているが、ヒッタイト様式なんだそうだ。

バアル神石碑(ラス・シャムラ(旧ウガリット)のバアル神殿出土、BC17世紀 高さ142cm 石灰岩)

右手に梶棒を振りかざし、左手の長い槍のような棒を持っている。棒の穂先は土の中に突き刺され、槍の柄からは植物の枝が生えている。嵐を引き起こし、慈雨をもたらす雷雨神の伝統的な姿でバアル神の姿が表された石碑である。
バアル神と槍の間でしゃがみ込んでいるような小さな人物は、この神を礼拝しているウガリットの王だとされているそうだ。

鬼神パズズの銘の入った小像(BC1000年紀、購入、高さ15cm 青銅製)

いかにも忌まわしいグロテスクな小像である。人間の身体に、獅子の顔、2対の翼、獅子の前足、鷲の足、 サソリの尾を生やし、先端は蛇の頭の男根をもっているという。
この小像の翼の裏面をおおう碑文には「我パズズ、ハンビの息子、猛威を振るい荒々しく山から出てくる大気の悪霊の王者、それは我である」とあり、パズズは熱風の悪霊で、西風とともにペストを運んでくるとして恐れられていたとそうだ。

一方、そのグロテスクな顔立ちは、悪の力を払いのける厄除けの力をもっているとして守護神として扱われることもあり、病人の部屋に吊り下げられていたりしたらしい。

Room6には、このほか大英博物館から寄贈された、ニムルドやニネヴェから発掘されたレリーフが壁一面に展示されている、それらは、アッシュールナシパル2世と高官、有翼精霊、アッシュールバニパル王、アッシリアの戦車などなどである。大英博物館の見物も予定しているで、もっとすごいレリーフにお目にかかれるのかもしれない。

時計をみると4時近くになってしまった。ルーヴルのメソポタミア部門は興味尽きないが、今日はオランジェリーも予定にいれているので、ルーヴルはこの辺でお仕舞い。

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