城内見物

三部会の間

ルイ12世翼棟の塔が見学コースの入口、石の彫刻作品の展示を見ながら次の三部会の間と言われる大広間に入る。広さはアンボワーズ城の三部会の間と大して変わらないようだ。

この広間はブロワ城のなかで一番古く、現存するフランスの世俗的な建物では最大のものと言われている。13世紀の初めにブロワ伯家によって建てられ、法廷として使われていたものであるが、1576年と1588年の2回、アンリ3世が招集した全国三部会ではこの大広間が議場となった。

現在、われわれが見学しているのは19世紀にフェリックス・デュバンによって復元されたもの。天井は紺地に金色のゆりの模様の装飾で覆われているのでちょっとあらたまった気持にさせられるが、素朴なアンボワーズ城に比べると現代的な感じである。

正面には王座が設けられ、6本の柱が一列に並んで広間を分けているので、聖職者、貴族と平民が身分毎に配置されたさまがなんとなく分かるような気もする。

王室の住居(ロイヤル・アパルトマン)

螺旋階段を上ると、フランソワ1世翼棟の2階に王室の住居(ロイヤル・アパルトマン)がある。
入口の近くに置かれたパネルの説明によれば、「現在のフランソワ1世棟の王の居室はルネッサンス時代の当時のものとは大きく違っています。部屋の配置や装飾の観点からも、王の居室は16世紀から宮廷の要求や趣味、スタイルの革新などによって常に変更され続けてきました。

事実、16世紀のブロワ城がどのようなものであったのかを記述したものは知られておりません。
17世紀にはガストン・オルレアン公(ルイ13世の弟)は、彼が信頼したフランソワ・マンサールによる新しい棟の建設を待つ間、フランソワ1世棟に住んでいました。もっとも、ガストン・オルレアン棟は完成することはなかったのですが、その建設にはフランソワ1世翼棟の4分の1ほどを取り壊し、以前の王の居室の配置をつぶしてしまったのです。(中庭からフランソワ1世翼棟を眺めた時、螺旋階段が左にずれているので何だか変だと感じていたが、4分の1が取り壊されたためと分かって納得)

18世紀には王は旧臣や貧窮した貴族をブロワ城に住まわせたので、王のアパルトマンは分割小さい部屋が幾つも作られました。
1788年には、ブロワは王家から疎まれ、軍が管理するところとなり兵舎に作り変えられました。1845年から1847年の間、歴史的遺産検査官の命によりフェリックス・デュパンがブロワ城館を復元しました。デュパンは床、壁、天井などすべての内装に責任を持ち、今日われわれがこの城館で見る王の居室に仕上げたのですが、彼のアイデアはルネッサンスにつての資料を詳しく調べることで得られたものです。

こうして、ブロワ城館は19世紀に復元されたわけですが、王の居室の煙突と王妃の寝室に通じるドアの上の装飾、そして王妃の書斎の極めて珍しい彫刻が施された木製のパネルだけが初期ルネッサンスのオリジナルとして残されているものです」とある。

現在、われわれがブロワ城内で王や王妃の部屋として見学するベッドや家具、タペストリーなどは19世紀になって、言わば観光用に復元されたものだと説明されていているわけで、いつも古城見学で感じるなんとなくもやもやしたものが晴れるようである。

王の居室

部屋には、ルネッサンス様式で装飾された暖炉が2つ据えられており、その一は金メッキの施された豪華な暖炉である。フランソワ1世のサラマンダーと王妃クロード・フランスの白いたちの紋章を花や果物の花綱がとり囲み、それぞれ4人の天使が祝福している構図は豪華、絢爛と言った感じである。

その暖炉の傍らに天蓋のついた王座のようなものが置かれている。王座と言うには如何にも貧弱な感じだが、天蓋には百合の紋章があるので持ち運び用の王座なのかもしれない。

王妃の回廊

王の居室に続く護衛兵の間には武具が陳列され、王妃の回廊にはフランソワ1世やアンリ2世など歴代のフランス王の胸像が並べられ、壁にはカトリーヌ・メディシスが子供の手を引いている絵などが飾られている。回廊の奥に見えるのはチェンバロと言う楽器のようだ。

もともと、ここは建物内の散歩が行われた回廊で、窓の外側はヴィクトル・ユーゴ広場から見上げたロッジアのファサードのはずである。フランソワ1世翼棟は端から端まで13世紀の城郭を利用して建てられもので、従来の城壁より7mも外に城壁を築いた後で、その壁の凹面を穿ってロッジアに仕立てたのだそうだ。

王妃の寝室

フランソワ1世の居室が、後にカトリーヌ・メディシスの部屋となり、彼女は波乱の生涯をこの寝室で終えたと言われている。もっとも現在のベッドなど室内装飾は19世紀に復元されたもの、 カトリーヌのCとヘンリー2世のHを組み合わせて模様などもみられる。

王妃の書斎

いかにも現代的なステンドグラスの小さな礼拝堂を過ぎて、王妃の書斎に入る。ブロワ城で唯一、修復は経ているものの元の室内装飾が保存されている部屋である。燭台彫刻のある237枚の羽目板には4つの秘密の戸棚が隠されていたと言われている。

カトリーヌ・メディシスがメディチ家の出であったことから毒薬が隠されていたなどあらぬ噂が飛んだらしいが、イタリア女がフランスを治めたことへのやっかみであろう。実際にはルネッサンスの美術品などが納められていたと言う。

王の居室

3階にはアンリ3世の居室が復元されている。寝室は金で装飾され、深紅のベッドカバーやカーテンも豪華である。
ブロワ城では歴史的に有名な事件がいろいろ起きているが、その1つがこの部屋で行われたヘンリー3世によるギーズ公爵の暗殺である。

フランスでは1560年頃からカトリックとプロテスタントの宗教戦争が貴族間の勢力争いを巻き込んで凄惨な虐殺騒動を繰り返していた。王室は新興勢力の市民の間に信者が多いプロテスタントを無視することができず宥和政策を採っていたが、カトリック派は納得せずアンリ3世をパリから追い出し、ブロワ城で三部会を開いてアンリ3世を廃位しようと企んでいたのである。その強行派の巨魁がギーズ公爵である。

優柔不断と言われたアンリ3世も切羽詰り、三部会が開かれる直前に相談があると称して王の部屋に呼び寄せ、刺客に襲わせたのである。まさに窮鼠猫をかむであるが、そのアンリ3世も翌年にはドミニコ会の修道士に殺されている。
ギーズ公の暗殺は画家達にとっても興味をそそる主題であり、ギーズホールにも展示されている。

この後、中庭に戻り、礼拝堂やフォワ塔を見てブロワ城の見物は終わり。