ミニバスが待てども待てども来なくてシカゴの夫妻とやきもきしていると、30分ほど遅れてやっと到着した。聞けば、モンパルナス、7時45発のTGVがストかなにかで遅れてしまって、午後のコースの出発時間にも遅れてしまったと言うことらしい。日本では新幹線などのように寸分の狂いもないダイヤで運行するのに慣れてしまっているが、世界の常識ではないようだ。
午後のコースに加わったのは3人の日本女性陣で、2人連れが東京の50~60台?の姉妹、もう1人はアラフォーらしいバックパッカーである。で、6人となって次のシュヴェルニーに向けて出発する。

すぐに車窓にはロワールのどこまでも続く菜の花の黄色や農地の緑、わずかに白い雲が浮かぶ青い空が展開してきて、フランスにいるんだと思ったりしていたので、日本語の解説はあまり耳に入らないが、なんとなく聞いていたとこでは、「シュヴェルニーの城館は1604年から30年ほどかけてアンリ・ユロー伯夫妻が建てたものですが、アンリ4世とルイ13世時代の建築の特徴である簡素で古典主義的な高貴な佇まいを示しています。(もっとも、伯爵夫妻は城館の完成を見届けることはできなかったらしい)
城館の正面はブーレ?地方の石材で造られていて、時が経つにつれて白く、固くなる性質を持っています。正面の構成は中央棟を挟んで両側がシンメトリーになっています・・・・・
シュヴェルニー城は2度ほどユロー家の手を離れて、持ち主が幾度か代わったことがありますが、
現在はユロー家の末裔である公爵夫妻が住んでいます・・・・・」

20分ほどでシュヴェルニー城に到着、例によって集合場所と時間を教えられてフリータイムとなる。出発が遅れたために見物時間は1時間弱、門を入るとすぐに広い庭園に囲まれたシュヴェルニー城館が見えてくる。正面に立ってみると、城館は左右シンメトリーで見事に均斉がとれノーブルな感じである。

ダイニングルーム

入口を入り、順路に従って右手に進むとダイニングルーム、最初に目に入るのは巨大な暖炉と、その上に飾られた胸像である。大きな暖炉の枠には金箔が塗ってある豪華なもの、胸像はアンリ4世なんだそうだ。
壁の中ほどにはぐるりと34枚の板絵が張ってあり、ドンキホーテの物語が描かれているという。また、天井から吊り下げられているシャンデリアは重さが100キロ以上あり、ブロンズに銀メッキされたもの。で、かんじんのテーブルは継ぎ足し板を使えば30人の会食ができたそうだ。

プラベートルーム

2階の右手がプラベートルームで、ウェディングドレスが展示されている新郎新婦の部屋、婦人用のサロンとしても使われたという赤い小閨房、子供部屋、家族の食堂には一家のために特別に製作された「シュヴェルニーの秋」と呼ばれる皿があるいう。このはか居心地のよさそうな小サロンがある。

武具の間

順路に従い正面にもどって、広い部屋に武器と甲冑のコレクションが展示された武具の間に入る。
槍や鉄砲、剣、甲冑など15、16、17世紀のものだそうだ。暖炉の上の絵は「アドニスの死」でアドニスの死と復活は植物の生命を象徴するとか。
ゴブラン織りのタペストリーは「ヘレネーの誘拐」でトロイ戦争の発端となった物語が描かれているそうで豪華である。
床に置かれているトランクはアンリ4世の持ち物で70kgもあるらしい。その横の旅行用ケースは17世紀のもの。

王の寝室

この寝室は王、または特に身分の高い来賓のみに使われたもので、かって、アンリ4世がここを訪れた際にもこのベッドが使われた。天蓋付きのベッドは奥行きが短いが、この時代の王などは腰を伸ばし横になって寝ることはしなかったという。不意の敵襲にそなえるためとか、横臥の姿勢は死者のみに限られたとも言われている。
部屋の周囲にはぐるっとタペストリーが掛けられているが、オデッセウスの大航海の物語が描かれているそうだ。タペストリーは保温の役割を持っていた。

大サロン

1階に降り順路に従って右に行くと城館の左翼の部屋をめぐることになる。大サロンにはこの館の建造者であるユロー伯爵や夫人、娘などのシュヴェルニー一族やルイ13世と王妃などの肖像画がところ狭しと飾られている。テーブルはマリー・アントワネットの家具職人の手によるものとか。

犬舎

肖像画の広間、図書室、タペストリーの広間などを回って内部の見物は終わり。このあと城館の周りを散歩し、シュヴェルニーで有名な犬舎を見る。
コンクリートの犬舎にフランセ・トリコロール犬が飼われているのだが、さほど広くないところ100匹もの犬がぐにゃっと横になっている光景は動物虐待を見せられているようで気持ちのいいものではない。もっともこの犬舎は環境法、田園法、公衆衛生法の許可を得ているとのこと。
機嫌直しに、チューリップが咲き誇る見事な庭園を観てシュヴェルニー城館の見物は終わり。